ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

川中島弾丸自転車旅 後編

こんにちは、ユキスナです(^_^)/

川中島弾丸自転車旅も後半に突入します。

本当に弾丸自転車旅なので内容的にけっこう

薄い部分はありますが、ご容赦下さいね。(¯―¯٥)

それでは次の目的地である山本勘助

お墓に向かいます!

まずは千曲川(ちくまがわ)堤防沿いの道を北に

進んでいくと、千曲川を渡る県道382号線が

見えてくるので、そこの更埴橋(こうしょくばし)を

渡って行くのですが、ここで一つ注意したいのは、

人や自転車が通る道が狭くて人一人が通るのが

やっとの所なので、通る際は十分気おつけて

進んで下さい。

そして橋を渡り終えたら、すぐに右折して堤防沿いの

道に入っていきます。そのまま直進していくと

山本勘助のお墓の看板が右側に見えてきます。

山本勘助のお墓は堤防の下の方にあるので

下って行って到着です。ここまでの距離は

川中島古戦場~山本勘助のお墓まで15分2.0kmでした

ここでもまだまだ空調服のおかげで快的です。

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ここで少し山本勘助の事について説明しましょう!

山本勘助三河国現在の愛知県豊川市牛久保町

生まれで、もともと駿河の今川家に仕官を

望んでいたのですが、それが叶わず甲斐へ移り住み

武田家に仕官し、武田の軍師となったと

されていますが、長年確実性の高い史料が

一切確認されてこなかったので、その実在について

疑われてきました。

近年になって、複数の史料から名前が確認されだし

実在していたことは確からしいです。

その山本勘助が第四次川中島決戦で考案したのが、

啄木鳥(きつつき)の戦法で、妻女山に陣を構えた

上杉方を武田軍の別働隊が霧に隠れながら強襲し、

山から川中島方面に下りてきた所を、

八幡原の武田軍の本隊で挟み撃ちにするという

作戦でした。しかし上杉謙信はその動きを見抜き、

別働隊が来る前に山から下りて、

武田軍の本体を逆に強襲して攻撃したのです。

その日川中島周辺は霧が濃かったと言われているので

武田軍は寸前まで敵が迫ってくるのが

わからなかったのだと思われます。

その時山本勘助は敵に作戦を見破られた責任を

とるため、突撃して討ち死にしました。

その討ち死にしたとされる場所が、

南長野運動公園芝生広場駐車場近くに勘助宮として

残っています。

松代大橋付近の信州そば蔵長野店の近くに、

取り戻した勘助の首と胴体が再会した

胴合橋もありますので、気になった方は

是非訪れてみて下さい。

なお2007年の大河ドラマ風林火山を観てから行くと

更に良いですよ(^^)v

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早速山本勘助さんのお墓に手を合わせていきましょう

山本勘助千曲川のほとり松代町東寺尾に

葬られたのですが、川の氾濫などがあり

墓が荒廃したので江戸時代に現在の場所へ

改葬されたそうです。

お墓の周りは良く手入れされており、地元の人達に

親しまれているのがよくわかります。

近くにあった説明板にはこの場所に

お墓が建立された理由もちゃんと書かれていましたよ。

ちょっと寂しげな場所にありましたが、

それでも全国から訪れてくれる人達がいるので、

寂しくはないですよね。

(私もその一人(^_^))

近くで畑仕事しているおばちゃんに色々

お話聞かせてもらったあとに、松代城までの行き方も

軽く聞いて出発します。

急ぎながらも夏の信州の景色を自転車に乗り、

風を切って進むのは何より日頃の疲れを

癒やしてくれますし、爽快です。

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そうこう進んでいくうちに松代城下町近くに到達!

私は今回急いでいるので城下町方面から行かずに、

国道403号沿いの道から行くことにします。

本来なら城下町通って、

真田邸と宝物館じっくり見たいですが(^_^;)

今回は諦めます。

時間のある方は是非巡ってみてはいかがでしょう。

数分後とうとう見えてきました松代城!!

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ここまでの距離は山本勘助のお墓~松代城まで

35分3.3kmです。

さすがに空調服着てても

日差しがきつくなってきました(°ー°〃)(汗)

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この松代城という城は戦国時代に武田軍が

上杉軍と対決するために築城した最前線の城で、

もともとは海津城と呼ばれていました。

この海津城を築城したとされるのがあの山本勘助です

二の丸南門の手前には、武田流築城法の特徴である

丸馬出がみられ、大手門から敵が攻め込めば、

三日月掘りのあるこの丸馬出に阻まれて困難になり、

北の搦手口から攻め込もうとすると、

千曲川が流れていて攻め込むには難儀しそうです。

やはり攻め込むなら東と西からの攻撃ですかね(¯―¯٥)

仮に攻め込んだとしても、海津城の裏手にある

山々の砦群

東側から(金井山城、寺尾城、霞城、尼巌城)があり、

南西にかけて(竹山城、唐崎城、鷲尾城、鞍骨城)が

囲むようにあって上杉方が海津城に攻め込めば、

直ぐに出陣し挟撃出来るようになっていました。

武田軍の最前線の城を攻めずに妻女山に布陣した

上杉軍が、もしそのまま海津城を攻めていたら

どうなっていたのか、

色々想像したりするのは楽しいですね。

あとどうでも良い話ですが、私が城を見て回るとき

いつも楽しみにしてるのが、堀の水に住んでる

コイやカメ達の可愛らしい姿、

つい見ちゃうんですよね(^^♪癒されます。

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本来ならもう少しじっくり見たい所ですが、

時間がないので篠ノ井駅まで戻りたいと思います

(妻女山も行きたかった(TT))

まずは国道403号線まで行き、道沿いを

西の方に向かいます。そうすると3番目の

信号機があるところに赤坂橋南という標識が

見えてくるので、そこを北に向かって行くと

赤坂橋があるのでそこを渡り、直ぐに左折して

ひたすら西に県道385号線を進みます。

そうすると北国街道と篠ノ井バイパスが

見えてくるので、地下道を通りスロットクラブメトロ

というパチンコ屋の前を385号線沿いに進んでいくと

篠ノ井駅に到着です。

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松代城~篠ノ井駅までは50分6.7kmでございます。

(;´Д`)ハァハァもっととばせば早く着きそうですが、

流石に危険なので安全上やめときましょう。

最後に自転車を返して終わりです。

ここから私は、次の目的地に向かいますが

その話はまた今度記事にして紹介しますね。

ではさらばε≡≡ヘ( ´Д`)ノせわしない

まとめ 私は今回弾丸自転車日帰り旅で限られた
    場所を行きましたが、本来なら一泊して
    ゆっくり巡るのが正解だと思います。
    より深くその土地の歴史を知るためには、
    前もって予習しておくのは大事であり、
    楽しく史跡を巡るには不測の事態を想定して
    余裕のある予定を立てておくことが
    大切だと思います。

    
   

それではまた次回の記事でお会いしましょう👋

川中島弾丸自転車旅 後編 おわり