ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

長篠城と関連史跡の旅 中編

 

長篠城から設楽原へ歩いて行ってみよう!

 こんにちは(^^)/

 前回は初めて愛知県の豊橋を訪れて

 初めてのワンマン電車に乗って長篠城址から

 鳥居強右衛門が磔にされた場所まで行きましたね。

 今回は武田軍の設楽原への進軍を歩いて体験

 してみようと思います。

 長篠城址の周りにも散策できるコースがあるので、

 時間がある方は訪れてみてください(^_^)/


 
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では鳥居強右衛門が磔にされた場所から設楽原まで

歩いて行ってみましょう。

 

 
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途中の新東名高速沿いにある新昌寺には

鳥居強右衛門のお墓や、武田方の武将

山田五郎兵衛•横田十郎兵衛•高坂源五郎

和気善兵衛や

長篠城の兵を供養するために

建てられたお墓がありますので、是非

お立ち寄りくださいね。

新昌寺の正門を出て右に進んで行くと、

飯田線鳥居駅が見えてきます。

こういうところを散策する時はトイレがどこに

あるのか気になっちゃいますよね。

鳥居駅の側にトイレあるので安心ですよ。

鳥居駅無人駅なのでここから

ワンマン電車に乗られる方は乗るときの

整理券の取り忘れと、降りる時の小銭の

用意は注意しときましょう。

鳥居駅三河東郷まで190円約7分

鳥居駅のホームは長篠城方面と豊橋方面の

電車が同じホームに来るので、

間違えて乗らないようにしましょう。

ホームに立って右側に行くのが三河東郷方面です。

ワンマン電車は自動でドアが開かないので、

1両目の後ろのドアから点滅ボタンを押して

入っていきましょう。

いつまでもドアが開くの待っていると、

そのまま発進してしまいますからね(T_T)

ホームに乗る場所が描かれていますので、

わかると思います。


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鳥居駅の時刻表も載せときますね。

ワンマン電車の乗り方などの

詳しい説明は長篠城と関連史跡の旅 前編にも

書いてあるので、参考にしてみてください。

ここから無理せず電車行くのも良いですし、

体力に自信がある人は歩いて設楽原がある

三河東郷の駅まで歩いて行ってみましょう。

では鳥居駅を通り過ぎてずっと直進していくと

工場地帯が左右に見えてきますその先には

右側の方に永観寺があり近くに武田勝頼

長篠の医王寺から戦地本陣をこの地に移した

とされる場所があります。



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左側には和楽亭というラーメン屋さんもあって

食事をするには良いです👍

和楽亭から少し歩いて横道に入っていくと

武田軍が軍議開いた場所があり、

決戦か一時撤退かを

話し合い「決戦」という結論に至って、

山県昌景土屋昌次内藤昌豊馬場信春

宿将が水場で最後の別れの盃を交わした場所だと

されています。


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飯田線沿いに戻って歩いていくと

道の駅もっくる新城が見えてきます。

ここには足湯があるので疲れた足を

癒やしてくださいね(^^♪

現代の靴で歩いても足痛くなるのに、

戦国の人たちは草履を履いて歩いていたのだから、

尚更痛いと思いますね。

ここには売店やお食事をとるとこもあります。

つぐやさんでは五平餅も売ってますし

三河製麺さんでは、ししラーメンが食べられる

みたいです。(猪ラーメン)

私は例のごとく時間を気にしながら歩いていたので、

食より史跡巡りを優先しました。

私の食事は手軽に食べられる携帯食品(^_^;)

2回目3回目訪れたときは是非グルメを堪能

した写真を載せたいですね。

時間に余裕がある方は是非お立ち寄りください。

さてさてそれではここからは道路沿いの路側帯を

通っていきます。



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ここらへんは人一人

通れるくらいの幅なので注意しながら

歩いていきます。路側帯を進んで

歩いていくと左側に歩道が見えてきます。

ここまで来ると安心ですね。

そのまままっすぐ進むと反対側の右側に

三河東郷の駅が見えてきます。

鳥居強右衛門の磔の場所から三河東郷駅まで

歩いて3.6km1時間20分位ですね。

 

運命の戦い設楽原決戦!!

 

この三河東郷から南側の勝楽寺付近で武田軍の

山県昌景隊が唯一馬防柵が無かった所を

攻撃しようとして、徳川軍の

大久保隊忠世•忠佐の兄弟と激戦を繰り広げた

勝楽寺前激戦地があります。



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更に南に行くと山本勘蔵信共のお墓があります。

山本勘蔵信共はあの武田軍の軍師で知られる

山本勘介の子であり、まだ20歳という

若さで討ち死にしました。

もともとは高坂昌澄と一緒に長篠城監視隊に

ありましたが、武田勝頼が設楽原での決戦を

決めたことにより、急いで戦地に

駆けつけたところ時すでに味方は総崩れになり

山本勘蔵信共は単騎で徳川本陣に切り込み

討ち取られてしまいました。

私は山本勘介が好きなので是非訪れたかった

ですが、時間の都合で設楽原決戦地の馬防柵の

方面に向かうことにしました^_^;


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設楽原に向かう途中道路の壁面には

織田•徳川の鉄砲隊がまさに撃とうとしてる

様子が見てわかりますね。


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現地には「合戦いろはかるた」48句というのが

設置されていていますので、全部見て回るのも

良いですね。いろはかるたを詠めば戦国の世で

必死に戦って生きた武士の姿を思い浮かべる事が

できますよ。

 「合戦いろはかるた」

い、徳川家康本陣 ろ、名高前激戦地 

は、羽柴秀吉陣地 に、設楽原古戦場

ほ、火縄銃弾丸採集地 へ、馬場美濃守信房の墓

と、設楽越中守陣地 ち、原隼人佐昌胤之碑前

り、五味興惣兵衛貞氏之墓 ぬ、柳田前激戦地

る、高坂昌澄の墓 を、甘利郷左衛門尉信康之墓

わ、瀧川助義•笠井肥後相討ノ地 

か、山本勘蔵信共之墓 よ、鳶ヶ巣山奇襲隊松山越

た、大宮前激戦地 れ、馬防柵左端

そ、牧野文斎記念公園 つ、土屋昌次戦死の地

ね、設楽原戦没者霊場 な、内藤昌豊陣地及び墓碑

ら、鈴木金七誕生の地 

む、小屋久保(戦場地域住民避難の地)

う、鵜の首(武田右翼隊進軍地)

ゐ、大宮川(一重柵) 

の、茶臼山公園•織田信長戦地本陣跡

お、信玄塚(大松•小松) く、首洗池

や、山県三郎兵衛昌景之碑 

ま、信長賞詞地コロミツ坂 け、清井田訣盃の地

ふ、信玄塚(火おんどり) こ、甲田

え、馬防柵 て、織田信長本陣極楽寺

あ、武田勝頼観戦地 さ、丸山

き、広瀬の渡•旧渡船場跡 ゆ、高坂昌澄の墓

め、信玄祖師堂跡 み、真田信綱墓•真田昌輝

し、信玄塚(大松•小松) ゑ、織田信長本陣極楽寺

ひ、設楽原決戦場碑 

も、信玄塚(火おんどり) せ、大久保兄弟陣地

す、雁峰山登り口•雁峰山額岩峠

京、勝楽寺前激戦地

高坂昌澄の句は2句あり、「ゆ」の句は昌澄の事を

詠んでいて、「る」は昌澄の父高坂弾正の事を

詠んでいます。高坂弾正川中島海津城におり

設楽原決戦には参加していませんでしたが、

勝頼公が甲斐に戻る際に身なりを整えさせて

帰陣させたと言われています。

甲斐国の民に敗戦してボロボロになった姿を、

見せないようにとの心配りをしたのですね。

高坂弾正という人は本当に素晴らしい

武将です。(TT)

あと信玄塚(大松•小松)と信玄塚(火おんどり)も

2句あります。

それでは先に進みましょう(^_^)/〜

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柳田前の激戦地にある橋には武田騎馬隊が突撃して

織田•徳川の鉄砲隊が狙っている姿が

レリーフとして描かれているのは嬉しいです。

周りの景色と良く馴染んでいますね。 

柳田の激戦地は武田軍の中央隊が置かれた場所で、

馬防柵から押し寄せる敵兵と奮戦した甘利信康

でしたが最後には無念にも自ら自刃してしまいます。


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田園と連吾川を挟んで右側の小高い丘あたりに

武田軍が布陣して左側の馬防柵の後ろに

織田•徳川連合軍が布陣していました。

設楽原決戦場には両軍の激突の様子が描かれた

屏風などもあり、わかりやすかったです(^_^)


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すぐ近くに馬防柵が設置されていて凄い迫力でした。

このようなぬかるんだ田んぼの中を歩くにしても

馬で突撃するにしても大変だったと思います。
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武田軍の突撃を防いだ鉄砲構えも再現されて

いて見応えありました。

数では倍以上の兵力でも

ここに戦国最強の武田軍が押し寄せていたかと

思うと、織田•徳川の兵も恐ろしかったに

違いないですね。
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3万の兵と1万5千の兵がこの場所で戦っていたとは

思えないほど、辺りは静かな場所で良いところです。

この場所で幾多の命のやり取りが行われていたかと

思うと心苦しくなり、戦国の世の厳しさをひしひしと肌で感じる事が出来ました。


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馬防柵には武田の武将の土屋昌次がこの場所で

戦死したとされる慰霊碑が建てられています。

最後の最後まで戦い抜いた甲州武士の

強い意志が感じられて心が震えました。

色々な想いを感じながらこの場所を後にして、

設楽原の歴史資料館に行きたいと思います。

歴史資料館は武田軍が布陣していた丘の上の方に

あるみたいです。



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設楽原歴史資料館は

開館時間は午前9時から午後5時(入場は午後4時30分)

休館日は毎週火曜日

年末年始(12月29日から1月3日)

入館料 個人一般330円•小中学生100円

    団体(20名以上)一般220円•小中学生50円

 

障害者手帳または療育手帳の交付を受けた方及び

その介護者は入館料無料になります。

(設楽原歴史資料館と長篠城址史跡保存館の共通券)

などの共通観覧料もあります。

    個人一般440円•小中学生150円

    団体(20名以上)一般330円•小中学生80円

2箇所行く方には便利ですね。

公共機関ご利用の場合豊橋駅からJR飯田線

三河東郷駅」(50分)下車、徒歩15分程度です。

自動車来る場合新東名高速道路新ICから5分程度。

駐車場も広いです。

 

    

資料館前の銅像は幕末の開国に貢献した

外国奉行だった岩瀬忠震銅像でございます。

この資料館には設楽原決戦に関する貴重な

資料や岩瀬忠震について詳しくわかる資料も

置いてあり、改めて勉強することが出来ます。

火縄銃のレプリカも置いてあり、実際に手に持って

重さを感じることもできますよ。

けっこう重かったです(^o^;

屋上にも行くことが出来て、設楽原を

高いところから観察することが出来ます。


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丁度何かを燃やした煙なのか狼煙のように

見えたりして、色々想像してしまいました。

 

戦場に散った武田方の武将のお墓参り

 

この資料館の近くには信玄塚があり、

設楽原の戦いの戦没者を埋葬した塚で

今でも大切に供養されています。

毎年8月15日には長篠•設楽原戦没者を慰めるための

「火おんどり」という火祭りが盛大に行われますよ。



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この地に訪れる事が出来た事を深く

感謝しながら黙祷しました。

この信玄塚の近くには原隼人佐昌胤公の

お墓もあるので行ってみましょう。

お墓の場所は畑の端の方にあるので

迷惑にならないようにお参りしましょう。


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設楽原歴史資料館の下の通り沿いには

山県昌景公のお墓のある場所がわかる

看板が設置されています。

 

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奥に進んで上の方に上がっていくと、

山県昌景の陣地跡付近に建てられた

お墓があります。


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右から山県昌景のお墓
その隣は山県墓と書かれていましたね。
その隣の隣が山県甚太郎昌次(三枝昌貞の弟)と

従士名取又左衛門道忠のお墓でその隣が

高坂又八郎助宣のお墓です。

山県昌景は徳川の陣に何度も攻めかかりましたが

体中に銃弾をうけてしまい、戦うことが

出来なくなってしまいます。

山県昌景は家臣の志村又左衛門に首を斬らせ

持ち帰るように頼みました。

(敵から取り返したという説もあります。)

志村又左衛門は土地の者に遺体を埋葬して

もらいたいという手紙と小烏丸という小刀を

残し、首を持って甲斐まで走りました。

因みにこの志村又左衛門という人物は

志村けんさんの祖先です。

今回時間の都合ですべての武田方の将の

お墓に行けませんでしたが、

次回来たときは他の武将のお墓も

お参りしたいと思います!

丁度三河東郷の駅に向かう途中から

小雨が降り始め、涙雨の如く悲しい

気持ちになりましたが、

本当にこの場所に来れて良かったと思いました。

是非皆様もこの設楽原を訪れて、

甲州武士の最後の生き様を肌で感じて

みてはいかがでしょうか(^_^)

今回は行く場所が多いので、時間の

問題などで長篠と設楽原に関する

お土産などを詳しく見ることが

出来ませんでしたが、次回訪れたときの

楽しみにとっておこうと思います。

では三河東郷駅から豊橋に戻りたいと思います。

ワンマン電車に乗るときは整理券を忘れずにとって

豊橋駅の整理券自動精算機で払いましょう。



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本当は山本勘助が生まれた牛久保武田信玄公が

狙撃された野田城も行きたかったのですが、

残念ながら無理でした(^_^;)

長篠城址と設楽原周辺には史跡が広範囲に

あるので、レンタサイクルなどの移動手段が

あると便利だなと思いました。

車でも行けますが、道の狭い場所などが

あるので、バイクか自転車のような小回りが

きく乗り物の方がよいですね。

 

長篠城と関連史跡の旅 中編 おわり

 

次回長篠城と関連史跡の旅 後編へつづく(^^)/