ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

真田の鉄壁の城岩櫃城へいざ出陣 後編

皆様こんにちは、記事を書くのが途切れ途切れに

なっているユキスナです(^_^;)

前回は潜龍院跡地から十二様通りを尾根沿いに行き

天狗岩まで来たところまで記事にしましたね。

今回は天狗岩から岩櫃城跡地まで進んで行きたいと

思います!

 

真田氏が誇る難攻不落の城に潜入!

ここで岩櫃城の事を簡単に説明しますと、

この城を最初に築城したとされる吾妻太郎助亮は

鎌倉時代にこの地を治めていたとされますが、

真偽は確かではないとの事。

戦国時代になると吾妻氏の子孫と称する斉藤憲次が

岩櫃城を支配して吾妻郡一帯の地侍を掌握します。

岩櫃城は憲次とその子・憲広に受け継がれてゆき

斎藤憲広は上杉氏に属し勢力を拡大を図るが、郡内の

豪族羽尾氏と鎌原氏の領地争いに介入

(羽尾氏に味方)両氏の仲介に入っていた

信濃国小県郡の真田氏、および真田家の

主家である甲斐の武田氏による介入を招くこと

になってしまう。

この後武田氏と真田氏の介入により斉藤氏の勢力は

衰えしまいやがて駆逐されてしまうのです。

武田信玄は家臣の真田氏にこの吾妻郡を

支配するように命じていましたが、

武田家中ではこの吾妻郡に真田氏と同族の

海野氏や滋野氏がいたことから、手を組んで

反旗をひるがえすのではないかと懸念

してました。しかし武田信玄は真田幸隆を

信頼して任せる事にしました。

この時の武田信玄への恩義を幸隆は

忘れていなかったのかもしれませんね。

1582年(天正10年)甲州征伐

(織田徳川が甲斐に侵攻した際に主家の

武田勝頼をこの岩櫃城まで逃げるよう

進言したのも何となくわかる気がします。

真田昌幸は現在の潜龍院跡地だった場所に

武田勝頼を迎えて急いで城館を造らせたと

いわれています。)

そしてここから真田氏による岩櫃城支配が

始まります。真田氏は吾妻地方の進出を狙い

沼田城、名胡桃城を攻略して上田城との街道を

整備しました。

因みに沼田城はこれより後に北条氏との争いの

きっかけとなる重要なお城です。

岩櫃城は西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、

北は岩山で天然の要害となっている。

堅牢なお城でございます。


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岩櫃山(標高802m)の中腹東面に

位置する山城で、城郭の規模は

1.4キロ平方メートルと上州最大を誇っております。

更に150mほど行くと虎口と二ノ丸がある。

その西に堀切があり、屈折して竪堀に繋がっています

 本丸には北に土塁が残っていたり、

四阿や説明板の「岩櫃城本丸址」の大きく立派な

木碑が建てられていたりして、帯曲輪は

発掘調査中であるとの事です。


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竪堀が残されていて当時の様子が伺えますね。

現在では木々が生えて見通し悪いですが、

戦国時代は敵が何処から攻めてくるのか

よく見えたでしょうね。

岩櫃城の恐ろしさは郷原城に柳沢城など複数の

支城で連携構築されて、敵が何処から攻めて来ても

対処できる構造になっていたのが、鉄壁の堅城と

言われた理由の一つだと思います。

 

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本丸から少し行くと二ノ丸にたどり着きます。

本当ならもう少し見て行きたいところですが

このまま中城の方まで降りて行きたいと思います。


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途中の分かれ道で群馬原町駅方面の矢印が

あるので、そちらの方に進んで行くと

中城にたどり着きます。
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私が行ったときは草木がけっこう茂っていて

わかりにくかったですが、

本丸の東側に位置し攻め込む敵が

斜面を横方向に移動するのを規制するために

設けられた竪堀により区画されていました。

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この中城は平沢登山口からは山道(遊歩道)を

5分ほど登った場所にあってすぐです。


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登り口に「岩櫃城跡」の石碑の由来説明板が

建てられています。

近くには岩櫃山登山口休憩所などがあり、

パンフレットなどもおいてありますよ。

観光案内所の近くからは出浦淵真田家臣だった

出浦氏の館があった場所と橋台跡が歩いて行ける

距離にあります。

今回は行けないですがまた訪れたときは

こちらの方も行きたいと思います。

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そして最後に観光案内所に入ってみましょう(^^♪
この観光案内所の中には岩櫃城の全体がわかる

ジオラマがおいてあり、ここを先に見てから

城跡を回るのも良いですね。

この観光案内所には岩櫃城について詳しく

書かれている本なども販売されているので、

ここで購入して本の内容と実際の城跡の

感じなど見比べてみるとより深く岩櫃城の事が

知れると思います。
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今回の岩櫃城跡の観光案内所でのお土産は

御城印ニ枚と真田紐がついたお洒落な

熊よけ鈴でございます。

昔より熊がいつ何処から現れるのか

わからない状況なので、

もしもの時のためにも岩櫃城跡を歩く際は

こういうアイテムもあれば安心ですね。

個人的には熊よけスプレーもあれば

良いですが、いざ目の前に熊が現れたら

素早く吹きかける事ができるのか

自信はありませんので、普段から訓練しとくに

こしたことはないですね。
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ではまた次の記事でお会いしましょう(^^)/〜


真田の鉄壁の城岩櫃城へいざ出陣 後編 おわり