ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

のんびり散歩 神奈川県津久井城 中編

皆様こんにちは(^^)/ユキスナです。

では津久井城のんびり散歩中編に行来ますよ〜

あくまでもユルユル歴史散歩なので、

へぇーこんなとこあるんだ!

行けたら行ってみたいな〜と思えるくらいに

軽い気持ちで見ていただけたら嬉しいです。

 

 

武田軍VS北条軍の三増峠の戦いで武田軍勝利!

 

前回は三増峠の戦いについて少し触れましたが、

三増峠の戦いとは甲斐の武田信玄が相模の北条の

城である小田原城を攻めたあと、城下に火を放ち

甲斐に引き上げる際におこった戦いです。

籠城している敵を誘い出すため

無理に攻めなかったのかもしれませんね。

(因みに上杉謙信が10万の軍勢でも落とせなかった

堅城でもあります。)

三増峠の戦いにおいて津久井城は北条方の城で

武田軍を背後から急襲する位置にあり、

滝山城北条氏照(子)、鉢形城の氏邦(子)の2万の軍を

援護するには重要な場所にありました。

小田原城からも氏康(父)と氏政(子)が出撃し

挟み撃ちできると画策していたのですが、

武田信玄はその動きをいち早く察知して、

別働隊の小幡信貞と加藤景忠らを津久井城に向かわせ

敵が援軍に向かうのを阻止しました。

この時津久井城にいた北条方の将は内藤景豊です。

結局山の高い位置に陣をはった武田軍は

優位な展開に持ち込み、逆に武田軍の有力武将である

山形昌景隊が挟み打つ形に持ち込み、北条軍に

勝利します。(山形昌景は赤備えでも有名です。)

北条軍の援軍である

氏康と氏政が到着する前に決着がついてしまったので、

両者は小田原城に引き返すことになります。

この戦いで両軍合わせて4000人もの死者を

出しました。普通なら追われる立場になると

怖い気持ちになりますが、さすが信玄公の軍略ですね。

 

 

飯縄曲輪からの本城曲輪まで

 

それでは飯縄曲輪群に行ってみましょう。

飯縄曲輪には飯縄権現を祀っている神社があり、

飯縄権現不動明王の化身で軍神として

戦国の武将に好かれていました。

後北条氏飯縄権現の信仰場所である高尾山を

庇護しており、津久井城でも軍神の力を

授かりたいと神社を創建したのだと思います。

元々この山は天狗山とも呼ばれてたらしく、

昔天狗でも住んでいたのかなと想像したりして

歴史ロマンを感じてみるのも楽しいですね。

 

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この飯縄曲輪の北側には津久井城のシンボル的

存在の樹齢900年の大杉があったのですが、

2013年の夏の落雷により焼失してしまいました(TT)

今では大杉の一部が見られます。


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飯縄曲輪を進んでいくと、太鼓曲輪

と本城曲輪の間にある堀切と引橋があった

場所があります。


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堀切は一度落ちたら這い上がるのに苦労しそうな

ほどの急峻な溝であり、攻めるのも大変です。

今では草木が生い茂って見通し悪いですが、

戦国時代では周りもよく見渡せて、今の堀よりも

若干深かったと思われます。

堀切には取り外し可能な引橋がかけられていて

敵が来たら、橋を収納して侵攻を防いでいたと

思われます。

本城曲輪の手前の太鼓曲輪はしゃもじ型に削られた

場所にあり、飯縄曲輪からの敵に備えるために

東側を土塁で固めてあります。

太鼓曲輪の東側にある細い道を下の方に

降りていくと、家老屋敷跡にも行きます。

 

↓本城曲輪に向かう途中の堀切です。

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本城曲輪の近くの昔で言えば、

米曲輪跡に案内板が設置されており、

当時の様子が伺えますね。

 

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米曲輪近くには土蔵跡地があり、

ここに戦に必要な物資が置かれていたのですかね。

引橋を渡らなければ土蔵にたどり着けないので、

本当に重要な場所だったのがわかりますね。

 

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それでは最後の砦である本城曲輪に

行ってみましょう。

本城曲輪のある場所は結構広く

より多くの兵士で守ることができます。

今では木々が周りに目立ちますが、見通しを

良くするため伐採して、頂上からも敵の様子が

よくわかるようにしていたんですね。


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本城曲輪には江戸時代に家臣の子孫が

建立した津久井古城記碑があります。

ちょっと影になって見えにくいですかね^_^;

 

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ここから少し降りた米曲輪辺りに案内板が

あるので、津久井城全体の位置と今いる場所を

確認しながら、次行く場所を効率よく周りましょう。


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その前に何だかんだ恒例になりつつある

トイレチェックです。

津久井城の米曲輪を花の苑地方向に

進んでいくと、トイレがあるので今のうちに

済ませておきましょう。

こういう所に行くと急にお手洗いに

行きたくなる事があるので、

助かることが多いです。

下に降りればトイレはあるのですが

間に合わない場合もありますからね^_^;

歳を重ねると余計にありがたいと思います。

春はこの場所からみる津久井湖の紅葉や桜も

素敵ですよ。

 

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戦国時代でも紅葉綺麗だったのかなと

思いつつ、本城曲輪から山をおりていき

根小屋地区のパークセンターに行ってみます(^_^)

下る途中には津久井城址碑もみられますよ。

私は山城に登るときは攻める気持ちで、

山城から降りるときは城方の兵の気持ちになり、

守りながら攻める気持ちでいつも訪れています。

皆様も戦国時代に思いを馳せて

歩いてると、また一つ違う発見をするかも

しれませんよ。


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津久井城案内板参考

 

❖馬込•小倉地区の十兵衛山方面の記事は

 また訪れたとき追記していきたいと思います。

 本城曲輪•米曲輪•太鼓曲輪なども新たな

 写真を載せていければ良いと思っています。

 

 

のんびり散歩 神奈川県津久井城 後編へつづく