ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

山梨県大月市の岩殿城跡を登頂 後半

 

 

   

 岩殿城跡の北側畑倉口から登頂を目指す

 

 皆様こんにちは(^_^)/

 岩殿城跡の登頂後半に参りたいと思います。

 では一度丸山公園入口まで戻りそこからの先の道に

 進んで行きますと、中央高速が下に見えてきます。


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途中まで歩道がありますが、その先からは

道路端の路肩を歩いて行きますので、

気おつけて進んで行きましょう。

岩殿城の東側には今はなき円通寺というお寺があり

非常時には砦化され、桂川葛野川を渡ってきた

敵兵を迎撃出来るようになっていました。

円通寺よりも北の方には東光寺という寺があり

こちらは少し高い位置にあったので、非常時には

砦化及び敵軍の監視の役目を

担っていました。

もし敵が桂川を渡って強瀬から攻めてくれば

円通寺から出撃した兵に攻撃され、

岩殿城の後ろの方に回り込んで行こうとすれば、

途中の裏砦の宝林寺を攻略しなければならず、

近くの葛野川を渡って攻め込もうとすると

対岸の円通寺からまたもや兵が出撃して攻撃されます。

宝林寺を攻略して、葛野川を渡らずそのまま北側まで

行き、東光寺付近から川を渡って攻め込み砦を陥落

させたとしても、その先の深さ70m幅100mの

大沢堀に進路を塞がれその堀を何とか

突破したとしても、その先の武家屋敷がまた

砦となり攻めるのに難儀しそうです。

やっとのおもいで武家屋敷を通り抜け

岩殿城に攻めようとすると新宮出丸

(新宮洞窟·鬼の岩屋)から

兵が出撃して、攻撃の勢いを削がれて

しまいます。

東と北からの攻撃が難しいならば西側から

と思いますが、浅利村から行こうとすれば

兜岩や稚児落としでも有名な場所でもある

岩山や足場の悪い道を通っていかなければ

ならず、攻め込むのは難しく思えます。

このルートは落城時の逃げ道にも

なっていたらしいです。

岩殿城は幾重にも山麓防衛の施設があり、

容易に陥落させることが難しい難攻不落の

山城で、織田に追われ最後に武田勝頼公が

籠城するため目指した理由もわかります。

 



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  ↑

  東光寺方向から見た山麓防衛網の配置

①岩殿城本丸 

円通寺(非常時砦化)

③宝林寺(裏砦)

④東光寺(非常時砦化及び監視所)
△大沢堀

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 では引きつづ円通寺があった場所近くを

 通り過ぎひたすら道なりに国道139号線を

 進んで歩いて行くと、左側に畑倉登山口が

 見えてきます。

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 畑倉口登山道入り口では大月の桃太郎伝説

 登場する鬼が、住処にしていたとされる鬼の岩屋

 の看板などもあり、登る途中こちらも少し

 見ていきたいと思います(^^)/

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 それでは岩殿城を後から足軽になった気持ちで

 登って行きましょう!
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 登山道に入ってすぐに近くを小川が流れていて

 足場に気おつけながら前に進んでいくと、

 人がすれ違う程度の幅の道が上の方まで

 続いており、トレッキングポールなどを活用して

 安全に登るため足に負担をかけないように

 行くのが良いと思います。

 戦の時は刀や槍を持ってこの山を登って

 行かなければならないと思うと、ゾッとしますね。

 しかも当時の岩殿山はより登りにくく防御を

 固めていたと思うので、普通に登るよりかなり

 きついと思われます(^_^;)

 

 
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 そして少し登って行くと岩殿山の頂上に行く方と

 鬼の岩屋(新宮洞窟·新宮出丸?)に向かう方の矢印が

 見えてくるので、左の鬼の岩屋の方に

 一旦寄り道していきます。

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 人一人が通れるくらいの細い道を少し歩くと

 目の前に本当に鬼が住んでそうな岩の洞窟が

 見えてきます。


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 昔の人はこの岩屋を見て鬼が住んでいると

 思ったのですかね。

 ちなみにこの新宮洞窟(鬼の岩屋)は出丸として

 活躍したり、

 兵舎としても使われていたらしいです。

 そんなことを考えながら再び山城に

     登って行きます!       

 
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 なかなかの傾斜を重いリュックを背負いながら

 登るのも辛いものがあるのに、

 鎧武者や足軽など装備を色々持ちながら

 登っていくのは、相当登りにくかったろうと

 つくづく思いました。

 それにくわえて城方の兵が防御のために

 攻撃を仕掛けてきたら、足場の悪いこの場所では

 一気に麓まで転げ落ちてもおかしくないです。

 昔の山城は現在のように木が生い茂っていないと

 思うので、つかまる場所もなく味方を巻き込み

 あの世行きです(-_-;)

 
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 現在の岩殿山を登っても転げ落ちそうに

 なりそうで怖いと思うのに、

 それをさらに登るのを邪魔されたら

 戦意を喪失してしまいそうです。

 戦国時代は死にものぐるいで城攻めを

 すると思うので、直に諦めて逃げる

 というのはあまりないと思いますが、

 私が足軽だったら諦めて下山しちゃいそうです(^_^;)      f:id:yuki-snu2:20210728204459j:image 


 そんなこんなでいよいよ岩殿城の本丸近くにまで

 迫ってきました!

 ここからラストスパートですよ(^_^)/

 一番激しい攻防戦をハァハァ息を切らせながら

 突破していきます!!


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 ようやく難関を突破して岩殿城本丸到着!!

 何とかたどり着きました(^_^;)良かった。
 
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 本丸跡地には防災無線施設が設置されていますが

 この防災無線施設も撤去されるらしく、より当時の

 本丸跡地に近づけると思います。

 

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 本丸からは大月の町並みや桂川がよく見えますね

 織田軍が笹子峠を越えて攻めて来ても、

 北条軍が東から来ても全て手に取るように

 わかります。

 この場所から岩殿城全体の兵士に指令を出して

 いたのですね。

 富士山も綺麗だし岩殿城本丸まで来て良かったな(^^)

 今回は登山道の一部が通行禁止なので、

 他の箇所を見て回れませんが、

    達成感がありました!

 

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 ここでお昼休憩してからの下山になるのですが、

 降りるときは登る時よりも注意が必要です。

 山道には枯れ葉が積もっている場所や

 疲労で足の関節など痛くなったりするので、

 急がずゆっくりトレッキングポールを

 第三の足と思って、体を支えて無理のない

 ように下山するようにしましょう。

 私も降りる時足が痛くなりトレッキングポールに

 助けられました👍

 それでは下山したら、元来た道を戻り大月駅

 観光案内所によって行きたいと思います(^^)/

 

 岩殿城跡に行ったら買いたいお土産!
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①岩殿城の御城印と武将印

 2021年は信玄公生誕500年の年なので、

 岩殿城の御城印と武将印にも記念のロゴマーク

 ついています(^_^)/

 販売場所は大月駅前観光案内所です。

 ロゴマーク入りの御城印の販売

 期間は2021年の3月20日〜12月31日まで

 販売価格は300円です。

小山田信茂公の手作り木彫りのお人形ストラップ

 1200円

 個数限定の木彫りのお人形ストラップなので

 一つとして同じものはありません!!

 大月の彫刻家小俣喜昭さん(68)が作った作品です。

岩殿山のピンバッチ600円はぜひ小山田信茂公の

 木彫りのお人形ストラップとセットで

 買ってもらいたいですね

 歴史好きにはたまりません。

 

まとめ

 岩殿城は武田勝頼公が、最後の決戦に選んだ

 城だったのに小山田信茂さんに最後に

 裏切られてしまい、思うように活用出来なかった

 不運な城でしたが、もしこの岩殿城で織田軍と

 戦っていたら相当手強く落とすのにかなり

 苦労したと思われます。

 それほどこの岩殿城は難攻不落の山城であり、

 東の最重要防衛拠点だった事がわかります。

 通常時は小山田氏が岩殿城を管理して

 非常時には武田氏が活用していたと

 思われる城を小山田氏は大切に守り、

 領民を何が何でも守りたいと強く願った

 小山田信茂公の優しさや主家を裏切らねば

 ならない苦しい心の葛藤など、

 現地に来て本丸まで登り、景色町並みなど

 観た時この風景を戦火に巻き込みたくないと

 思う気持ちが少しわかったような気がしました。

 今回私が行った時には強瀬ルートが通行禁止に

 なっており、畑倉口から行きましたが下山を

 浅利ルートから行けば、揚城戸など稚児落とし

 なども通れます。

 時間の関係と他の用もあり畑倉口から下山

 しましたが、時間に余裕がある方は是非

 訪れてみてください。

 

 次回は是非岩殿城全体を見て回り、記事に追加

 記載出来れば良いと思っています。

 お土産も新しいものがあったら載せていきたいと

 思います。お楽しみに(^_^)/

 

 

 では次回またお会いましょう    おわり

 

 

 

山梨県大月市の岩殿城跡を登頂 前半

 

 

 

岩殿城跡まで戦国武将の気持ちで歩いて行こう!

 

 こんにちは(^_^)/今回私は山梨県大月市

 岩殿城跡に歴史散策してきました。

 岩殿城跡のある大月市までは東京の新宿駅から

 特急あずさで約1時間くらいで行けます。

 交通費を安く済ませたいなら中央線の各駅電車で

 行くのも良いですね。

 各駅電車で東京に戻るときは高尾駅で中央特快に

 乗り換えると早いですが、凄い混みます(^_^;)

 東京から行く方は新宿駅から

 特急あずさで大月駅まで行くほうが止まる駅は

 3駅ですし、座席にゆったり座って行けるので

 オススメです。八王子と立川からも特急に

 乗れるので、皆さんが近いと思う駅から

 お乗りください。

 特急で新宿〜大月まで行くと2362円です。

 

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 駅から歩いてすぐの公衆トイレ近くで

 可愛らしい桃太郎自販機発見!

 調べてみると、ここ大月では桃太郎伝説なども

 残ってるらしく非常に興味深いです。

 大月桃太郎伝説のお話はまた別の記事で

 書いていきますね。お楽しみに👍

 では大月駅から岩殿城跡まで行ってみましょう(^^)/

 

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 駅前広場左方向に古民家麺処かつらさんの横の

 旧甲州街道を進んでいくと、分かれ道があるので

 遮断器がある左に行きましょう。


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 ここからでも岩殿山が良く見えますね。

 この道を電力会社沿いに歩いていくと、

 小さい通りが現れるのでそこを右に曲がって 

 進んでいきますと、桂川に架かる高月橋が

 見えてきます。


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 高月橋からの景色は良いですけど、下覗くのは

 怖いですね(^_^;)

 橋を渡り終えると山沿いの上り坂を

 上がっていきます。

 ここらへんは交通量が多いので道を渡るときは

 気おつけましょう。

 いよいよ上り坂を歩いていくと岩殿城跡に行く

 入口が見えてきますよ。

 
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 こういう道を歩いていると戦国時代の人も

 歩いていたのかなと思いふけってみたり、

 城跡を訪れるたびその土地の歴史を肌で感じるのは

 本当に良いですね。 
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 上がって行く途中左側から下の桂川

 大月の町並みが見えてきます。

 ここからだと織田•徳川が攻めてきたら

 良くわかりますし、大軍が来たら恐怖しますね。

 
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後方の猿橋方向を見ると桂川が天然の堀のように

作用して、岩殿城に攻めてくる敵の侵攻を

防いでくれる様子がわかりますね。

東の方角から攻めてくるとしたら北条軍ですので、

ここで籠城戦をしたとしても周りを織田徳川北条に

囲まれる事になり、勝つことは困難になります。

 

 

岩殿城を築城した小山田氏と武田氏との関係

 

岩殿城を築城した小山田氏と武田氏との関係に

ついて軽く説明しますと、この甲斐国を武田氏が

統一する前は、元々武田氏と小山田氏は争う

関係にありました。小山田氏は甲斐国東部の

郡内有力国衆で独立して自分の領地を

治めていましたが、武田信虎(武田信玄公の父)の

時代に武田氏と和睦して従属国衆になり、

武田軍の中でも重要な重臣になって

戦の場では敵が恐れるほどの、

部隊を動かして奮戦しました。

しかし、武田家が衰退し滅亡の時には小山田氏は

自分の郡内の人々を守るために武田信玄公の

子である武田勝頼公を裏切り、裏切られた

勝頼公は現在の甲斐大和からすぐの

田野の地で織田軍と最後まで交戦するも

力尽き、現在の景徳院があった場所で

最後をむかえ武田家は滅亡します。

その後小山田信茂公は投降するも

織田に一族すべて処刑されてしまいます。

世間では主を最後の最後で裏切るような印象ですが

小山田氏が治めていた郡内の人々にとっては、

小山田信茂公のおかげで戦火に巻き込まれないで

すんだのですから、かけがえのない救いの

英雄なのです。



岩殿山にある丸山公園の絶景スポットとは?


ここからさらに登っていくと、門と

丸山公園のふれあい館が見えてきます。


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このふれあい館は中世の城をイメージして

作られており、一階と二階の一部では

大月市出身の山岳写真家の白籏史朗先生の

作品が見れます。岩殿城の資料や小山田氏関連の

事がよくわかるように、展示物なども

設置されています。

開館時間は午前9時〜午後4時

休館日は毎週月曜日で

交通アクセス

自動車だと中央自動車道大月IC.より

駐車場まで約20分

大月駅から徒歩で30分

年末は12月27日から翌1月5日まで。

駐車場は岩殿山の丸山公園市営駐車場が

高月橋近くにあります。

(令和3年4月から白籏史朗写真館の入場料が

 無料になります。)

このふれあい館の近くに本丸まで続く登山道の

入口がありますが、平成31年8月に

ふれあい館〜山頂間で落石があり、登山道の一部が

被害があったとの事です。

令和2年の夏に行われた調査でもまだ落石のおそれが

あるとの事なので、こちらからの登山は通行止めに

なっています。

山頂まで行かれる方は岩殿山の北側にある、

畑倉口から山頂までのルートがあります。

登られる方は十分に注意して、装備など整え

用意してから行かれる事をオススメします。

因みに岩殿山の標高は634mで東京スカイツリー

同じ高さです。

東京スカイツリーを徒歩で登るのですよ普通に

疲れますし、足場も悪いですから十分注意を(^_^;)

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丸山公園には他にも乃木希典の碑などもあります。
乃木希典は登頂した際に鏡岩を見て

(ウサギも登れないと)と感嘆したそうです。

たしかにゴツゴツした岩場は迫力があり、

登りづらいですね(^o^;)


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この乃木希典の碑の後方は小さな山みたいに

なっており、そこの上にベンチが設置されているので

お昼など休憩するにはもってこいです。

さらに少し進むと大月の町並みや富士山と桜が

展望出来る有名な場所があります。
↓そこから撮った景色です。
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春になり桜の季節になると桜と富士山と松の木が

一緒に撮れて、とても綺麗ですよ(^o^)

桜まつりなども開催されているのでこの時期しか

出会えない自然の美しさを体感できると思います。

 

では岩殿城跡を登頂前半はここまでです(^_^)/ おわり 

 

次回 岩殿城跡を登頂後半をお楽しみに。  

   後半では畑倉口方面から登頂を試みます。 

                   

                     

 

長篠城と関連史跡の旅 後編

 

 

 

三河支配の重要拠点の一つ吉田城へ

 

 こんにちわ(^^)/いよいよ最終回の

 長篠城と関連する史跡の旅でございます。

 今回は長篠城と直接関係する史跡では

 ありませんが、三河支配における

 重要拠点の一つである吉田城に行ってみます!

 帰りの新幹線の時間ギリギリまで

 見に行きますよ 。

 それでは豊橋駅から歩いて吉田城へ

 向かいたいと思います。


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豊橋の街なかには豊鉄市内線の路面電車

通っていて、吉田城に行くには

豊橋駅前から乗って

市役所前の駅で降りれば行けます。

電車賃は運賃全線均一大人180円 小児90円

路面電車の乗り方は前から乗って運賃箱に

現金で払うか、ICカード(PASMOも使えます。)で

タッチして払って降りるときはボタンを押す。

バスと同じですね👍

私の場合は市内を少しでも見ていきたいので

歩きです(^_^;)小雨が降っているので、

100円ショップに寄りビニール傘買い

少し早歩きで行きます。

駅前大通り進んで行くと田原街道が見えてくるので、

そこを左に曲がってしばらく行くと歩道橋が

あるので右側奥に歩いて渡り終えると、

豊橋市公会堂が見えてくるのでそこを左に

行けばすぐです。

吉田城の歴史を軽く説明しますと、

戦国初期の頃より松平氏と今川氏は

東三河における重要拠点の一つであった吉田城の

奪い合いを続けており、その度に城主が

代わっていきました。その後松平氏の力が

弱体化していくと、それをみた今川氏は

本格的に東三河国の直接支配に

のりだし、三河国の国衆にも協力させて、

統治支配を強めていきました。しかし、

永禄3年(1560年)5月今川義元桶狭間

敗れると、東三河においての今川氏の

影響力は低下しました。

その千載一遇の時を逃さなかった

松平家康後の徳川家康は吉田城を

攻略し、見事ここに今川氏の支配は

完全になくなりました。

その後武田氏との攻防戦を元亀2年の(1572年)~

天正10年(1582)まで三河遠江の両国で繰り広げて、

長篠の戦いが始まるまでは徳川氏は劣勢に

なっていました。

なかでも元亀2年には設楽郡の防衛網を突破した

武田軍が吉田城下近くまで攻めてきましたが、

徳川の家臣で城代の酒井忠次東三河国衆と

共に武田軍の猛攻をしのぎ、追い返すことに

成功しました。その後も酒井忠次は必死に

武田軍の侵攻を防ぐ事に尽力していく事になります。

この後長篠の戦いで敗れ勢いをなくした武田氏は、

滅亡していく事になり、武田氏を滅ぼした

織田信長明智光秀の謀反により命を落とす事に

なります。

その後は織田信長の家臣だった豊臣秀吉

天下人になり、その秀吉の命により

関東移封になった徳川氏の代わりに

池田輝政が吉田城の城主となります。

池田輝政播州姫路に移封されるまでの間に

城下町の大改修などの整備にも力を入れていました。

では城内に入ってみましょう(^^)/

三の丸口であったであろう入口から入り、

二の丸口門跡及び二の丸御殿跡を通り過ぎると、

本丸御殿につながる本丸門跡には石垣が

残されており、堀の様子もよくわかりますね。
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本丸御殿があったであろう場所まで来たら

しばし雨の中で立ち止まり吉田城の歴史を

肌で感じ、ここまで無事来れたことを心の中で

感謝していました。

↓これは本丸ではございません鉄櫓です。

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本丸にある隅櫓(鉄櫓くろがねやぐら)は

昭和29年に再建されたもので、

模擬再建されたものでも実際にその場にあると

嬉しいですよね。

私が訪れた時は中には入れませんでした(^_^;)

 

吉田城鉄櫓

入館料は無料

入館時間は10:00〜15:00まで

休館日は月曜日

 

本丸がある広場から北側に行くと北御多門跡や

川手櫓跡に腰曲輪跡などが見られます。
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吉田城は戦になれば背後の豊川近くに作られている

本丸がとくに弱点となるため、川沿いの石垣は

とくに高く作られています。

階段は急なので登り降りするときは

注意が必要です。


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鉄櫓後ろ側面の方の堀もしっかり見えて敵の侵入を

防いでくれるのがわかりますね。
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まだまだ城の全体の様子を見て回りところですが、

今回はこのくらいで吉田城を名残惜しいですが

去りたいと思います(^_^;)

皆様はゆっくり見て回ってくださいね。

私は少々せっかちなところと心配性なところが

あるので急いで戻りますε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

また機会があったら訪れて今度は全体を見て回り

新たな写真も載せて更新したいです。

 

 

長篠及び設楽原合戦に関連するお土産を探して

 

帰りの楽しみのお土産探しはワクワクしますよね。

今回は長篠城と設楽原に関連するお土産を探して

いたのですが、なかなか見つけることが

出来ませんでした(^_^;)

唯一見つけたのが豊橋駅ビルにあるカルミア

2階南館の「みかわいいもの」というお店です。

東三河の特産品や工芸品などが販売されております。

長篠設楽原の戦いの(鉄砲巻き)が売っておりました!

本来なら長篠や設楽原のある現地で探すのが

一番ですが、今回は初回ということで

移動することに集中して余裕がありませんでした。

次回訪れた際は新しく調べて掲載出来れば

良いと思っています。

車で行かれる方は新東名高速道路から行ける

長篠設楽原パーキングエリアにある、

織田徳川連合軍の陣屋を見立てて作られた

建物などを訪れるのも良いですよ。

長篠陣屋食堂や戦国グッツが買えたり、

火縄銃の展示や馬防柵などがおいてあるエリアがあり、

歴史好きにはたまらないスポットになっております。

しかも歩いて隣接する織田信長本陣跡にも

行くことができます。

車で行った時はこちらの方も是非チェックして

おきたいですね。


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設楽原や長篠に関係してないですが「知多の梅酒」

「蒲群みかんサイダー」など美味しい飲み物や

お酒なども売っております。
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愛知といったら味噌煮込みうどんや手羽先ですよね。

定番のお土産ですが、自分で作って食べるのは

また一段と美味しくいただけるので、是非お土産に

買っていかれることをオススメします(^^)/
↓買ってきたものを作ってみました👍
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手羽先はオーブントースターであぶると

程よく焼けて良い香りが食欲をそそります。
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お土産で買うのも良いですが、

豊川や吉田城の鉄櫓を眺めながらの手羽先を

食すのも良いですね。

(注:現地で手羽先食べたかったなという願望です(^o^;))


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今回は初めて愛知県豊橋に降り立ち何とか

長篠〜設楽原に行き、できる限り史跡に

行きたかったのですが、やはり日帰りだと

時間がなくなって行けるところも限られて

来ますよね(¯―¯٥)泊まりがけで来る方がゆっくり

巡ることが出来て体力的にも楽に歩けると

思います。

(私は弾丸日帰り旅がほとんどです(^_^;))

次回来る機会がありましたら新しく写真や

記事を更新していきたいと思います。

長篠城の周りに築かれた砦にも装備を

整えて行きたいですね。

 

それではまた次回の歴史散歩の旅で

お会いしましょう(^_^)/     

長篠城と関連史跡の旅後編    おわり

 

  

長篠城と関連史跡の旅 中編

 

長篠城から設楽原へ歩いて行ってみよう!

 こんにちは(^^)/

 前回は初めて愛知県の豊橋を訪れて

 初めてのワンマン電車に乗って長篠城址から

 鳥居強右衛門が磔にされた場所まで行きましたね。

 今回は武田軍の設楽原への進軍を歩いて体験

 してみようと思います。

 長篠城址の周りにも散策できるコースがあるので、

 時間がある方は訪れてみてください(^_^)/


 
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では鳥居強右衛門が磔にされた場所から設楽原まで

歩いて行ってみましょう。

 

 
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途中の新東名高速沿いにある新昌寺には

鳥居強右衛門のお墓や、武田方の武将

山田五郎兵衛•横田十郎兵衛•高坂源五郎

和気善兵衛や

長篠城の兵を供養するために

建てられたお墓がありますので、是非

お立ち寄りくださいね。

新昌寺の正門を出て右に進んで行くと、

飯田線鳥居駅が見えてきます。

こういうところを散策する時はトイレがどこに

あるのか気になっちゃいますよね。

鳥居駅の側にトイレあるので安心ですよ。

鳥居駅無人駅なのでここから

ワンマン電車に乗られる方は乗るときの

整理券の取り忘れと、降りる時の小銭の

用意は注意しときましょう。

鳥居駅三河東郷まで190円約7分

鳥居駅のホームは長篠城方面と豊橋方面の

電車が同じホームに来るので、

間違えて乗らないようにしましょう。

ホームに立って右側に行くのが三河東郷方面です。

ワンマン電車は自動でドアが開かないので、

1両目の後ろのドアから点滅ボタンを押して

入っていきましょう。

いつまでもドアが開くの待っていると、

そのまま発進してしまいますからね(T_T)

ホームに乗る場所が描かれていますので、

わかると思います。


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鳥居駅の時刻表も載せときますね。

ワンマン電車の乗り方などの

詳しい説明は長篠城と関連史跡の旅 前編にも

書いてあるので、参考にしてみてください。

ここから無理せず電車行くのも良いですし、

体力に自信がある人は歩いて設楽原がある

三河東郷の駅まで歩いて行ってみましょう。

では鳥居駅を通り過ぎてずっと直進していくと

工場地帯が左右に見えてきますその先には

右側の方に永観寺があり近くに武田勝頼

長篠の医王寺から戦地本陣をこの地に移した

とされる場所があります。



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左側には和楽亭というラーメン屋さんもあって

食事をするには良いです👍

和楽亭から少し歩いて横道に入っていくと

武田軍が軍議開いた場所があり、

決戦か一時撤退かを

話し合い「決戦」という結論に至って、

山県昌景土屋昌次内藤昌豊馬場信春

宿将が水場で最後の別れの盃を交わした場所だと

されています。


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飯田線沿いに戻って歩いていくと

道の駅もっくる新城が見えてきます。

ここには足湯があるので疲れた足を

癒やしてくださいね(^^♪

現代の靴で歩いても足痛くなるのに、

戦国の人たちは草履を履いて歩いていたのだから、

尚更痛いと思いますね。

ここには売店やお食事をとるとこもあります。

つぐやさんでは五平餅も売ってますし

三河製麺さんでは、ししラーメンが食べられる

みたいです。(猪ラーメン)

私は例のごとく時間を気にしながら歩いていたので、

食より史跡巡りを優先しました。

私の食事は手軽に食べられる携帯食品(^_^;)

2回目3回目訪れたときは是非グルメを堪能

した写真を載せたいですね。

時間に余裕がある方は是非お立ち寄りください。

さてさてそれではここからは道路沿いの路側帯を

通っていきます。



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ここらへんは人一人

通れるくらいの幅なので注意しながら

歩いていきます。路側帯を進んで

歩いていくと左側に歩道が見えてきます。

ここまで来ると安心ですね。

そのまままっすぐ進むと反対側の右側に

三河東郷の駅が見えてきます。

鳥居強右衛門の磔の場所から三河東郷駅まで

歩いて3.6km1時間20分位ですね。

 

運命の戦い設楽原決戦!!

 

この三河東郷から南側の勝楽寺付近で武田軍の

山県昌景隊が唯一馬防柵が無かった所を

攻撃しようとして、徳川軍の

大久保隊忠世•忠佐の兄弟と激戦を繰り広げた

勝楽寺前激戦地があります。



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更に南に行くと山本勘蔵信共のお墓があります。

山本勘蔵信共はあの武田軍の軍師で知られる

山本勘介の子であり、まだ20歳という

若さで討ち死にしました。

もともとは高坂昌澄と一緒に長篠城監視隊に

ありましたが、武田勝頼が設楽原での決戦を

決めたことにより、急いで戦地に

駆けつけたところ時すでに味方は総崩れになり

山本勘蔵信共は単騎で徳川本陣に切り込み

討ち取られてしまいました。

私は山本勘介が好きなので是非訪れたかった

ですが、時間の都合で設楽原決戦地の馬防柵の

方面に向かうことにしました^_^;


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設楽原に向かう途中道路の壁面には

織田•徳川の鉄砲隊がまさに撃とうとしてる

様子が見てわかりますね。


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現地には「合戦いろはかるた」48句というのが

設置されていていますので、全部見て回るのも

良いですね。いろはかるたを詠めば戦国の世で

必死に戦って生きた武士の姿を思い浮かべる事が

できますよ。

 「合戦いろはかるた」

い、徳川家康本陣 ろ、名高前激戦地 

は、羽柴秀吉陣地 に、設楽原古戦場

ほ、火縄銃弾丸採集地 へ、馬場美濃守信房の墓

と、設楽越中守陣地 ち、原隼人佐昌胤之碑前

り、五味興惣兵衛貞氏之墓 ぬ、柳田前激戦地

る、高坂昌澄の墓 を、甘利郷左衛門尉信康之墓

わ、瀧川助義•笠井肥後相討ノ地 

か、山本勘蔵信共之墓 よ、鳶ヶ巣山奇襲隊松山越

た、大宮前激戦地 れ、馬防柵左端

そ、牧野文斎記念公園 つ、土屋昌次戦死の地

ね、設楽原戦没者霊場 な、内藤昌豊陣地及び墓碑

ら、鈴木金七誕生の地 

む、小屋久保(戦場地域住民避難の地)

う、鵜の首(武田右翼隊進軍地)

ゐ、大宮川(一重柵) 

の、茶臼山公園•織田信長戦地本陣跡

お、信玄塚(大松•小松) く、首洗池

や、山県三郎兵衛昌景之碑 

ま、信長賞詞地コロミツ坂 け、清井田訣盃の地

ふ、信玄塚(火おんどり) こ、甲田

え、馬防柵 て、織田信長本陣極楽寺

あ、武田勝頼観戦地 さ、丸山

き、広瀬の渡•旧渡船場跡 ゆ、高坂昌澄の墓

め、信玄祖師堂跡 み、真田信綱墓•真田昌輝

し、信玄塚(大松•小松) ゑ、織田信長本陣極楽寺

ひ、設楽原決戦場碑 

も、信玄塚(火おんどり) せ、大久保兄弟陣地

す、雁峰山登り口•雁峰山額岩峠

京、勝楽寺前激戦地

高坂昌澄の句は2句あり、「ゆ」の句は昌澄の事を

詠んでいて、「る」は昌澄の父高坂弾正の事を

詠んでいます。高坂弾正川中島海津城におり

設楽原決戦には参加していませんでしたが、

勝頼公が甲斐に戻る際に身なりを整えさせて

帰陣させたと言われています。

甲斐国の民に敗戦してボロボロになった姿を、

見せないようにとの心配りをしたのですね。

高坂弾正という人は本当に素晴らしい

武将です。(TT)

あと信玄塚(大松•小松)と信玄塚(火おんどり)も

2句あります。

それでは先に進みましょう(^_^)/〜

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柳田前の激戦地にある橋には武田騎馬隊が突撃して

織田•徳川の鉄砲隊が狙っている姿が

レリーフとして描かれているのは嬉しいです。

周りの景色と良く馴染んでいますね。 

柳田の激戦地は武田軍の中央隊が置かれた場所で、

馬防柵から押し寄せる敵兵と奮戦した甘利信康

でしたが最後には無念にも自ら自刃してしまいます。


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田園と連吾川を挟んで右側の小高い丘あたりに

武田軍が布陣して左側の馬防柵の後ろに

織田•徳川連合軍が布陣していました。

設楽原決戦場には両軍の激突の様子が描かれた

屏風などもあり、わかりやすかったです(^_^)


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すぐ近くに馬防柵が設置されていて凄い迫力でした。

このようなぬかるんだ田んぼの中を歩くにしても

馬で突撃するにしても大変だったと思います。
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武田軍の突撃を防いだ鉄砲構えも再現されて

いて見応えありました。

数では倍以上の兵力でも

ここに戦国最強の武田軍が押し寄せていたかと

思うと、織田•徳川の兵も恐ろしかったに

違いないですね。
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3万の兵と1万5千の兵がこの場所で戦っていたとは

思えないほど、辺りは静かな場所で良いところです。

この場所で幾多の命のやり取りが行われていたかと

思うと心苦しくなり、戦国の世の厳しさをひしひしと肌で感じる事が出来ました。


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馬防柵には武田の武将の土屋昌次がこの場所で

戦死したとされる慰霊碑が建てられています。

最後の最後まで戦い抜いた甲州武士の

強い意志が感じられて心が震えました。

色々な想いを感じながらこの場所を後にして、

設楽原の歴史資料館に行きたいと思います。

歴史資料館は武田軍が布陣していた丘の上の方に

あるみたいです。



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設楽原歴史資料館は

開館時間は午前9時から午後5時(入場は午後4時30分)

休館日は毎週火曜日

年末年始(12月29日から1月3日)

入館料 個人一般330円•小中学生100円

    団体(20名以上)一般220円•小中学生50円

 

障害者手帳または療育手帳の交付を受けた方及び

その介護者は入館料無料になります。

(設楽原歴史資料館と長篠城址史跡保存館の共通券)

などの共通観覧料もあります。

    個人一般440円•小中学生150円

    団体(20名以上)一般330円•小中学生80円

2箇所行く方には便利ですね。

公共機関ご利用の場合豊橋駅からJR飯田線

三河東郷駅」(50分)下車、徒歩15分程度です。

自動車来る場合新東名高速道路新ICから5分程度。

駐車場も広いです。

 

    

資料館前の銅像は幕末の開国に貢献した

外国奉行だった岩瀬忠震銅像でございます。

この資料館には設楽原決戦に関する貴重な

資料や岩瀬忠震について詳しくわかる資料も

置いてあり、改めて勉強することが出来ます。

火縄銃のレプリカも置いてあり、実際に手に持って

重さを感じることもできますよ。

けっこう重かったです(^o^;

屋上にも行くことが出来て、設楽原を

高いところから観察することが出来ます。


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丁度何かを燃やした煙なのか狼煙のように

見えたりして、色々想像してしまいました。

 

戦場に散った武田方の武将のお墓参り

 

この資料館の近くには信玄塚があり、

設楽原の戦いの戦没者を埋葬した塚で

今でも大切に供養されています。

毎年8月15日には長篠•設楽原戦没者を慰めるための

「火おんどり」という火祭りが盛大に行われますよ。



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この地に訪れる事が出来た事を深く

感謝しながら黙祷しました。

この信玄塚の近くには原隼人佐昌胤公の

お墓もあるので行ってみましょう。

お墓の場所は畑の端の方にあるので

迷惑にならないようにお参りしましょう。


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設楽原歴史資料館の下の通り沿いには

山県昌景公のお墓のある場所がわかる

看板が設置されています。

 

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奥に進んで上の方に上がっていくと、

山県昌景の陣地跡付近に建てられた

お墓があります。


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右から山県昌景のお墓
その隣は山県墓と書かれていましたね。
その隣の隣が山県甚太郎昌次(三枝昌貞の弟)と

従士名取又左衛門道忠のお墓でその隣が

高坂又八郎助宣のお墓です。

山県昌景は徳川の陣に何度も攻めかかりましたが

体中に銃弾をうけてしまい、戦うことが

出来なくなってしまいます。

山県昌景は家臣の志村又左衛門に首を斬らせ

持ち帰るように頼みました。

(敵から取り返したという説もあります。)

志村又左衛門は土地の者に遺体を埋葬して

もらいたいという手紙と小烏丸という小刀を

残し、首を持って甲斐まで走りました。

因みにこの志村又左衛門という人物は

志村けんさんの祖先です。

今回時間の都合ですべての武田方の将の

お墓に行けませんでしたが、

次回来たときは他の武将のお墓も

お参りしたいと思います!

丁度三河東郷の駅に向かう途中から

小雨が降り始め、涙雨の如く悲しい

気持ちになりましたが、

本当にこの場所に来れて良かったと思いました。

是非皆様もこの設楽原を訪れて、

甲州武士の最後の生き様を肌で感じて

みてはいかがでしょうか(^_^)

今回は行く場所が多いので、時間の

問題などで長篠と設楽原に関する

お土産などを詳しく見ることが

出来ませんでしたが、次回訪れたときの

楽しみにとっておこうと思います。

では三河東郷駅から豊橋に戻りたいと思います。

ワンマン電車に乗るときは整理券を忘れずにとって

豊橋駅の整理券自動精算機で払いましょう。



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本当は山本勘助が生まれた牛久保武田信玄公が

狙撃された野田城も行きたかったのですが、

残念ながら無理でした(^_^;)

長篠城址と設楽原周辺には史跡が広範囲に

あるので、レンタサイクルなどの移動手段が

あると便利だなと思いました。

車でも行けますが、道の狭い場所などが

あるので、バイクか自転車のような小回りが

きく乗り物の方がよいですね。

 

長篠城と関連史跡の旅 中編 おわり

 

次回長篠城と関連史跡の旅 後編へつづく(^^)/



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長篠城と関連史跡の旅 前編

 

長篠城駅までワンマン電車の乗り方など

 

 こんにちは(^_^)/ユキスナです。

 今回は愛知県の長篠城と関連する史跡をぶらぶら

 散策してきた記事を書きます。           

 簡単に長篠城までの行き方を説明しますと

 東京駅〜豊橋駅まで東海道新幹線で1時間20分

 豊橋駅長篠城駅まで飯田線で1時間 590円

 東海道新幹線に乗ると富士山良く見えるので

 楽しいですよね(^_^)

 

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 人生初めて愛知県の豊橋に降り立ちました(^o^)
 初めての場所を遠出して散策するときは

 ワクワクして楽しいですよね。


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 豊橋駅から飯田線に乗り換えて行きましょう

 途中構内のお土産屋さんが気になっちゃい

 ましたが帰りにゆっくり見ようかな(^.^;

 (飯田線1番線本長篠行きか2番線天竜峡行き)

 因みに交通系ICカード飯田線で使う

 場合は豊橋駅豊川駅間までしか使えないので、

 IC乗車券が導入されている地域から対象外と

 知らずに列車を乗り継ぐ場合注意が必要です。

 豊橋駅から長篠城駅に向かう場合には

 豊橋駅で切符を買って行ったほうが良いです。

 他には青空フリーパスというのがあり

  土曜、休日及び年末年始12月30日〜1月3日の

  期間利用可です。

 JR東海の場合、東海道本線飯田線

 豊橋〜飯田までが利用可能です。

  ❖大人2620円❖子供1310円なので、飯田線沿い

 の史跡を巡る人はあらかじめ購入しておくと便利

  です。

  飯田線はワンマン電車が走っているので、

  乗り方降りたも説明しておきます。

 乗る時は緑の点滅ボタンを押し、乗ったら

 赤いボタンで閉めるか、自動で最後に閉まる。

 ドアは自動で開かないので、注意しましょう。   

 2両編成なら1両目の後ろのドアから乗って

 1両目の前のドアから降ります。

 バスと同じ感じで利用出来ますね。

 ワンマン電車は先頭車両にワンマンと書いて

 あるので、よく見てみましょう。

 たしか豊橋から乗る場合は車掌さんも乗って

 いるので、どこの車両からでも乗れたと思います。
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 行き先が豊橋の場合

✤.車掌さんがいる電車なら車内で切符が 買えます。

✤.整理券の発行機がある場合は整理券をとって

   おいて、豊橋駅の改札で精算するのがよいです。

 例、長篠駅から乗って豊橋で降りるときは

 整理券を取って豊橋駅についたら

 整理券を持って係員改札口ガラス張りの

 部屋の整理券精算機に整理券と乗車賃を

 入れてください。

 (豊橋駅の係員改札口は時間帯によって混むので

 注意です。)

 

 無人駅で降りる場合(豊橋から乗って降りる時)

✤.車掌さんがいる場合は、降りるときに切符を

 回収してくれる。 

✤.車掌さんがいなければ運転士さんが受け取って      

 くれます。  

✤.車掌さんいなくて運転士さんにも渡せない場合 

 は、降りた駅に切符回収箱が置いてあります。 

 

 無人駅から無人駅に行く場合

✤.車掌さんがいれば車内で切符を買えます。 

✤.ワンマン運転でも運転士が対応してくれる場合 

 があります。 

 

 基本的に電車内の運賃箱で使えるのは小銭 

 なので、あらかじめ小銭を用意しておいた方が 

 良いです。お釣りは出てこないので注意です。 

 両替できるのは千円札までですので 

 1万円札しかない場合は、下車するときに 

 運転士にその旨を伝えて1万円を払い 

 概算収受票を貰いましょう。 

 その概算収受票を駅の係員まで持っていけば 

 運賃を払ったあとの残りのお金が戻ってきます。

 (あと電車乗るときの整理券の取り忘れにも注意

 しましょう。汚したり折り曲げたりしたら機械が

 読み取れないみたいです。^^;)

 基本ワンマン電車もトイレはついてます。

 ワンマン電車に乗りなれてない人は事前に 

 調べておくといざ乗るときに焦らないですね。

 では長篠城に向けて出発しましょう(^^♪ 

 長篠城駅まで1時間くらい電車に揺られて 

 飯田線をまったりゆったり乗って行くと、 

 途中に山本勘助の生まれたところ牛久保 

 あったり、武田信玄が狙撃された野田城 

 近くを通ったり歴史好きにはたまらない 

 場所が多いです。 

 私の場合日帰りなので長篠城と関連する史跡 

 数カ所が目的ですが、泊りがけで行く方は 

 ゆっくり他の史跡を巡る事ができると思います 

 そしていよいよ長篠城駅に到着です!! 

 駅は無人駅なので電車から降りるとき 

 車掌さんに乗車券を渡して行きましょう(^^)/ 

 無人駅というだけあって周りに何もありそうも 

 ありません(・・;)トイレは駅から

 すぐ降りて左側の線路沿いの方にありました。

 駅から少し歩いていくとドラッグストアがあり

 そこで食べ物買えたりします。

 

 

長篠城行ってからの馬場信房公のお墓まで

 

 それでは長篠城址までは歩いて8分なので

 向かっていきましょう。

 最初に目に見えてきたのは長篠城址史跡保存館

 無事到着したという感じですね(^_^)


 保存館は開館9時〜17時まで火曜日休館

 年末年始は12月29〜1月3日まで休みです。

 入館は16時30分まで

 個人 高校生以上が220円 小•中学生は100円

 団体 一般.高校生以上(20人以上)が170円

 団体 小•中学生(20人以上)が50円

 車でお越しの方は新東名高速新城ICから

 国道151号線を飯田方面に約3キロメートルです。

 無料駐車場は普通車50台 大型バス2台まで

 お食事を取りたい方は近くに食堂もありますし、

 ここらへんは鳳来牛が有名なので保存館から

 少し歩いていくと、こんたく長篠焼き肉

 レストランなどもありグルメを堪能するにも

 良いです。

 (鳳来牛は希少な牛であり市場にあまり

 出回らないと言われてます。

 是非現地を訪れた際は味を

 堪能してみてください。)

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 館内は長篠城攻防戦の展示物や長篠城

 ゆかりのある資料などが常設されています。

 御城印は長篠城と柿本城が販売されていますよ

 (300円)です。

 日本100名城No.46長篠城のスタンプは1階の

 多目的トイレ前(館外)に設置されています。

 ここで長篠城の事を軽く説明しますと、

 長篠城は長篠菅沼氏が居城にしていましたが、

 武田信玄三河侵攻の際に一進一退の攻防戦を

 繰り広げ何とか守り続けていました。

 しかし、菅沼総領家·田峯菅沼氏の説得に応じて

 やむなく武田の力の前に屈しました。

 元亀4年(1573年)西上途中で病が悪化して、

 武田信玄はそのまま亡くなってしまいました。

 その好機を逃さず徳川家康長篠城

 奪取したのです。

 天正3年5月21日に武田の跡を継いだ武田勝頼

 1万5千の大軍で徳川家に帰参した奥平氏

 籠もる長篠城を取り囲むことになります。

 そこから織田徳川VS武田の設楽原の戦いに

 向かっていくのです。

    それでは長篠城跡散策をしましょう。
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 長篠城の縄張りがよくわかりますね。

 南側断崖上に位置する天然の要害になってます。

 この本丸空堀を登るのは大変だ(・・;)


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 本丸跡地で目をつぶって歴史のロマンを

 感じてみましょう。 自分が今立っている

 場所で武田軍に囲まれても諦めずに

 戦い抜いた武士の姿が想像できますね(^_^)
 
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 長篠城の後方には武田軍が監視のために築いた

 5つの砦があります。

 君ヶ伏床砦(きみがふしど)

 姥ヶ懐砦(うばがふところ)

 鳶が巣山砦(とびがすやま)

 中山砦(なかやま)

 久間山砦(ひさまやま)、設楽原決戦の時には

 長篠城の押さえの役目もありました。

 時間があればすべての砦を回りたいところですが

 今回は、長篠城にいながら5つの砦に監視されてる

 雰囲気を感じたいと思います(^o^)/
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 今回私は城の周りを見ていて時間がなくなったので

 保存館はじっくり見学しなかったですが、

 時間のある方は是非長篠城の歴史を知った上で

 城跡を見て欲しいですね。

 ではそろそろ長篠城から歩いて

 500メートルの場所にある馬場美濃守信房の

 お墓に行きたいと思います。


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 こちらのお墓は畑の中にあり、一見したら

 わかりづらい場所にあるので見落とさないように

 向かいましょう。

 こちらには戦死碑が明治24年に建立されており

 最初からあった古い墓石もあります。

 別に討ち取られた場所にもお墓が存在します。

 馬場美濃守信房は武田の重臣武田勝頼が敗走

 した時には殿として敵の追撃を阻止したとされる

 勇将です。


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 私は武田軍が好きであり武田家に少なからず

 縁があるので、山梨の甲府で買った日本酒を

 信房公のお墓にあったコップに注ぎ

 お供えしながら御冥福をお祈りしました。
 最後まで主君の為に命をかける姿に感動し

 今もなおこの地に眠る信房公に想いを寄せながら、

 この場を後にします。

 あと長篠の戦とは関係ないですが、

 この信房公のお墓の近くに中央構造線露頭と

 いう日本列島の中央(関東~九州まで)を通る

 約1,000kmに渡る日本最長の断層を見ることが

 出来ますよ。

 崖のそばに足場が設置されてますが足元には

 十分に気おつけて見学なさって下さい。

 (現在2020年にあった大雨の影響で見学

 できないらしいです)



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忠義の武士鳥居強右衛門が磔にされた場所

 

それでは奥平氏の家臣、鳥居強右衛門

磔(はりつけ)にされた場所に行ってみましょう。

その前に長篠大橋渡った先にコンビニがあるので

そこでトイレを済ませたり、飲み物など買って

おいたほうが良いですよ👍

コンビニから新東名高速の方に進んで行き

高速を通り越してすぐ左側の道をまっすぐ進んで

行くと到着しますが。私は途中のトンネル入って

行っちゃいましたが、こちらは車道の脇を通って

行くので車が来たら怖いです。

実際に歩いていくと20分位ですかね


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鳥居強右衛門の磔(はりつけ)にされた場所は

手前に畑があり遮るものがなく見通しが良い

場所にあるので、遠くからでもわかります。



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長篠城から見たらこんな感じで、今は草木で

見えにくくなっていますが当時は見晴らしが

良く、鳥居強右衛門が磔にされた場所が

良く見えた事でしょう。

鳥居強右衛門長篠城に籠城していた奥平貞昌の

家臣で城の周りを武田軍に取り囲まれてるにも

かかわらず、命をかけて岡崎城徳川家康

援軍を要請しに行き、長篠城に戻ったところを

武田方の兵に見つかり捕まってしまいます。

武田勝頼は早く長篠城を落したいと

思っていたので、鳥居強右衛門と取引しようと

しました。武田の家臣にして厚遇する代わりに

城内に籠もる兵に援軍は来ないと言って、

開城させる事が条件でしたが鳥居強右衛門

味方を裏切ることなく援軍は来ると大声で

長篠城に向かって叫びました。

それを見た勝頼は激怒し鳥居強右衛門

磔(はりつけ)にして処刑しました。

この鳥居強右衛門の忠義の心に感銘した

織田信長徳川家康は奮起しその後、設楽原で

武田軍を破るのです。

武田軍にとって鳥居強右衛門は敵でしたが

武士としては尊敬される存在だと思います。

鳥居強右衛門のお墓は新昌寺にあるので

お墓参りするのも良いですね。
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近くの牛渕橋から豊川と宇連川が合流する

位置にある天然の要害の長篠城の姿が

わかる場所があるのでこちらも是非

訪れてみてください。

 

次回は武田軍が設楽原に歩いて向かったのを

体験すべく私も実際に歩いて散策していきたいと

思います。

お楽しみに(^_^)/         おわり

 

長篠城と関連史跡の旅 中編へ続く

 

(因みにこの場所を訪れたのは2020年の3月頃です)

 

 

 

 

 

 

 

 

のんびり散歩 長野県荒砥城編

初めての山城初級編


こんにちは!ユキスナです。皆さん元気ですか(^^)/

今回からのんびり山城散歩も記事にしていきますよ。

第一回目は長野県の荒砥城です!!

荒砥城は長野県千曲市上山田という所にあり、

戸倉上山田温泉でも有名な場所でもあります。

私は東京上野駅〜長野県上田駅まで新幹線で行き、

上田駅しなの鉄道に乗り換え戸倉駅まで行きました。

東京からだと2時間くらいで、気軽に行けるので

良いですよ。では戸倉駅から歩いて行きましょう!

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荒砥城までけっこう坂道登っていくので千曲川に架かる

万葉橋手前のコンビニで、食べ物と飲み物買っておくと

良いですよ。

ここらへんでのコンビニは、万葉橋手前のところと

万葉橋渡って左折した中央通りをまっすぐ進んだ所にも

あります。近くには温泉施設も多数あるので、

時間のある方は是非立ち寄られてはいかがでしょう。

そして千曲市総合観光会館前の

長野県道498号線をそのまま進むと城入り口の看板が

見えてきますから、そこから坂道登って行きます。

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ここで荒砥城について軽く説明しますと、


荒砥城

城主 山田氏→屋代政国、屋代秀正

この地の豪族村上氏の一族山田氏の居城で、

村上氏の本城葛尾城の支城でもあります。

その山田氏は吾妻清綱とともに真田幸隆の策略で、

砥石城において討ち死にしました。

いち早く武田にくだった村上義清重臣、屋代政国が

荒砥城に入ったのですが、1582年織田の武田攻めで

武田氏が滅亡したあと上杉氏に従うことになります。

海津城の副将として入るのは良かったものの、

村上義清の息子(山浦景国)と仲が悪かったので、

このあと政国は勝手に荒砥城に戻ってしまいました。

一番最初に武田にくだったので、

政国は信用されなかったんですね(・・;)

それを知った上杉景勝は荒砥城を見張るため

稲荷山を築城、案の定屋代正国は徳川と通じ

上杉景勝が荒砥城を攻め落とすことになります。

このあと生きのびた屋代政国は徳川家康のもとで

働くことになりました。

そのような時代背景がある場所を攻める気持ちで、

歩いていくと色々考えちゃって楽しいですね。

しばらく行くと中間地点の見晴台が見えてきますが

そこまで行くのに汗びっしょり(^o^;でした。

ちなみに私は汗っかきなので、だいたい予備のシャツも

用意してます。

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見晴台からは村上義清の居城葛尾城方向も確認でき、

眺めは抜群!しばらく食事休憩したあと、

いよいよ出発しますよ。

途中には善光寺大本願別院や日本歴史館などあります

今回は素通りして先に進みましょう(^_^;)

いざ荒砥城に突入!!

そしてついに荒砥城入口到着!!

荒砥城は千曲市城山史跡公園として利用されており、

駐車場もあるので車で来るには良いですよ♪


開園時間
開園 (午前9時〜閉門(午後5時)受付近くトイレあり
   入場は午後4時30分までです。
休業日が12月29日〜1月3日(年末年始)
入場料大人1人300円団体(20名以上)1人250円
   高校生1人150円団体(20名以上)1人100円
   中学生以下無料
   駐車場普通自動車15台(無料)
   ※大型バスの駐車は出来ないようです 
   戸倉駅から、タクシー利用される方は
   10分くらいで行けます。

案内所近くに自販機あるのは助かりますね(^_^)

この案内所近くに四の郭があり、少し歩いていくと

三の郭に行きつきます。

そこをさらに行くと二の郭矢倉門に到達です。

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↑こういう心づかい良いですね♪

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そしてこの矢倉門こそ大河ドラマ風林火山

登場した門!

実際に来てみるとやはり違いますね(^^♪感動です

ここで撮影されていたと思うと、

心がウキウキしてきます。

何も建物なくても山城探索の場合は想像して

楽しむのが、一番だと思っていましたが、

やはり建物とか再現されていると

さらに深く想像できたりするので、面白いですね。

ここから二の郭突入し、石垣の通路通った先には

やぐらや兵舎が再現されていて、

兵舎の中は展示スペースになっていました。

やぐらの上からは上田方向から川中島方向まで

見渡せるので、敵が進軍してきたら直ぐにわかります

二の郭を制圧したあと残るは主郭!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノオー

主郭には兵舎と城主の館がありますが一気に制圧!!

エイエイオー!!という流れですかね。

館の中に入って写真撮れるようになってるので、

記念に一枚撮るのも良いですよ。

城主気分に浸れます👍

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大河ドラマでも使われた撮影現場


今回この荒砥城に来た理由が、私が好きだった

大河ドラマ風林火山でロケ地として

紹介されていたのがおおきいです。

大河ドラマの中では海ノ口城の戦いが再現されており

荒砥城の兵舎とやぐらが色々な場面で登場しました。

荒砥城に行くのなら是非大河ドラマ風林火山

観てから行くとより楽しめると思います。

他にも大河ドラマ江〜姫たちの戦国

の撮影場所にもなっていたみたいなので、

こちらも是非ご覧下さい

荒砥城にあるやぐらからの信州の景色は最高なので、

是非皆さんも一度訪れてみてください(^^)/

戸倉駅から荒砥城まで歩きなら

1時間30分くらいでした。歩いて行く場合は

マイペースで登って行きましょう。

歴史に興味がない人も、温泉行くついでに運動がてら

行くのも良いです。その結果少しでも地域の歴史に

興味を持ってもらえると、歴史好きの私にとっては

嬉しいです。

ではまた次回お会いしましょう。       おわり

暑い日の散策で役立つ物について

 

暑い日はやはり空調服

 

皆様こんにちは、ユキスナです。(^_^)/!


今回私がお伝えしたいのは、暑い日に着たくなる
 
空調服についてです。私は日頃から休みの日に
 
遠出して出掛ける事が多いんですが、季節的に
 
涼しい時期なら散策はわりとしやすいと思います。
 
しかし、夏場になってくるとどうしても日差しや
 
暑さが、障害になってきます。
 
とくに汗をかきやすい体質の方、自分自身もです
 
が、いつも出掛けるときは困ってしまいますよね
 
(^_^;)そんな時に見つけたのが、この空調服!!
 
まさに私のためにあるようなアイテム!!
 
見た目は普通のベストのように見えますが、
 
背中の後ろ両方の脇腹あたりに2つのファンが搭載
 
されておりそこから風を取り込んで、背中から腹部
 
へ首筋や脇の下を通って風が抜けていき、ベスト内
 
部の体を冷やしてくれます。
 
首筋や脇の下を冷やすことは体全体を冷やすのに
 
は効果的で、首まわりや脇の下には太い血管の
 
動脈があり、冷やされた血液が体全体を流れる事に
 
よって、より涼しく感じられるのです。
 
私はその効果を体感すべく実際に暑い日の野外で
 
着てみることにしました。
 
それがまさに前回の記事、川中島弾丸自転車旅
 
でも少し登場した空調服なのです。
 
自転車で史跡を回る時間と空調服の電池使用時間
 
を考えながら行くと、篠ノ井駅川中島古戦場
 
松代城篠ノ井駅のルートを最後まで
 
ずっと電源オンにせずオフにしたりレベルを中·強
 
かえながらいくと、バッテリーも節約できます。
 
ちなみに換えのバッテリーは持ってないですが、
 
節約しながら使用するとけっこう大丈夫です。
 
では早速自転車で走って行ってみましょう!
 
電源オンにしたらベストの中に風がブワーっと巡
 
って何とも爽快♪信号待ちの時も全然苦にならない
 
です。自転車移動の時はレベル3の(強)で歩く時は
 
レベル2の(中)位が丁度良いですね。
 
そうこうしてる間に川中島古戦場到達!!
 
いつもなら汗だくでヒイヒイ言ってる私が、
 
涼しい顔が出来るこれは素晴らしい(๑•̀ㅁ•́๑)✧!
 
若干音と人目が気になリますが、暑いよりましです。
 
 

空調服と一緒に使いたい物は?

 
汗かいても風で直ぐに乾燥していく感じなので、
 
中に着る服にもレノア柔軟剤
 
(汗かいて乾燥しても良い匂いのままですが、
 
効果を高めるために多めに入れると逆に
 
匂いがきつくなるので、適量を守って
 
使用したほうが良いです。)
  
とかで洗い匂い対策したり、上半身に
 
制汗デオドラントつけたりするとより良いです。
 
空調服の中に冷却スプレー少しまくと涼しさ
 
倍増てすが、かけすぎると冷たくなるので
 
注意です。
 
私の場合スポーツフレッシュシトラスの香りの
 
レノア柔軟剤使用してます(^o^)/
 
一日中効果持続するので安心ですよ!
 
それでは引き続き走っていきましょう。
 
山本勘助のお墓まで来た頃にはお日様が真上に、
 
ですがまだまだ空調服は快適のまま♪

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松代城ついた頃にはだいぶ日差しが強く、流石に
 
顔から汗が引かなかったので最後の頼みのレベル4
 
ターボ!!使っちゃいました(;´∀`)💦
 
ここからさらにひたすら自転車こいで
 
篠ノ井駅までなんとか到達してバッテリー見たら
 
まだ温存出来てる。空調服何とも頼もしい!
 
 
まとめ
 
使った感想は暑い日に野外で活動する人には最適
 
で、首筋や脇の下から風が出てくるので涼しいで
 
す。若干首筋から出てくる風が、目に長い間あたる
 
と乾燥するので、風量調節しながら適度に電源をオ
 
フにして使うと長く快適に使えます。
 
使用したあと空調服はファンを取り外して洗える
 
ので衛生的に安心ですよ。
 
レベル4の(ターボ)を使い続けなければ、レベル3の
 
(強)やレベル2の(中)でも全然余裕で快適です。暑い
 
日は水分補給も欠かさずに楽しくでかけましょう。
 
空調服の商品について軽く説明しますね。
 

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メーカーは山善(YAMAZEN)さんで
商品名が空調服KAZE fit ベストタイプ
型番 KAB10-L      COLOR ライトグレー
価格はだいたい10000円前後位ですかね。
材質はポリエステル100%
サイズ(胸囲/着丈) (M)114/66cm(L)122/68cm
                                   (LL)127/70cm(3L)132/72cm
電池電圧 7.4V   電池容量 2600mah
電池使用時間(ターボ)約3時間30分 (強)約5時間
      (中)約8時間 (弱)約12時間30分 
風量調節 4段切替 充電時間 約3から3.5時間
コンパクトファン(直径×厚み) 8.2×4.2cm
                   重量 0.6kg
ジャンパーの服穴径 7.2cm
バッテリーポケット付き
ファンは取り外して掃除でき、紫外線及び赤外線
防止加工もバッチリ!
用途としては農作業、犬の散歩、スポーツ、趣味
レジャーなどです。
セット内容は オリジナルジャンパー×1着
      コンパクトファン×2個
      バッテリー×1台 ケーブル×1本 
      充電用ACアダプター×1個
 
それではまた次の記事でお会いしましょう👋