ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

山梨県大月市の岩殿城跡を登頂 後半

 

 

   

 岩殿城跡の北側畑倉口から登頂を目指す

 

 皆様こんにちは(^_^)/

 岩殿城跡の登頂後半に参りたいと思います。

 では一度丸山公園入口まで戻りそこからの先の道に

 進んで行きますと、中央高速が下に見えてきます。


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途中まで歩道がありますが、その先からは

道路端の路肩を歩いて行きますので、

気おつけて進んで行きましょう。

岩殿城の東側には今はなき円通寺というお寺があり

非常時には砦化され、桂川葛野川を渡ってきた

敵兵を迎撃出来るようになっていました。

円通寺よりも北の方には東光寺という寺があり

こちらは少し高い位置にあったので、非常時には

砦化及び敵軍の監視の役目を

担っていました。

もし敵が桂川を渡って強瀬から攻めてくれば

円通寺から出撃した兵に攻撃され、

岩殿城の後ろの方に回り込んで行こうとすれば、

途中の裏砦の宝林寺を攻略しなければならず、

近くの葛野川を渡って攻め込もうとすると

対岸の円通寺からまたもや兵が出撃して攻撃されます。

宝林寺を攻略して、葛野川を渡らずそのまま北側まで

行き、東光寺付近から川を渡って攻め込み砦を陥落

させたとしても、その先の深さ70m幅100mの

大沢堀に進路を塞がれその堀を何とか

突破したとしても、その先の武家屋敷がまた

砦となり攻めるのに難儀しそうです。

やっとのおもいで武家屋敷を通り抜け

岩殿城に攻めようとすると新宮出丸

(新宮洞窟·鬼の岩屋)から

兵が出撃して、攻撃の勢いを削がれて

しまいます。

東と北からの攻撃が難しいならば西側から

と思いますが、浅利村から行こうとすれば

兜岩や稚児落としでも有名な場所でもある

岩山や足場の悪い道を通っていかなければ

ならず、攻め込むのは難しく思えます。

このルートは落城時の逃げ道にも

なっていたらしいです。

岩殿城は幾重にも山麓防衛の施設があり、

容易に陥落させることが難しい難攻不落の

山城で、織田に追われ最後に武田勝頼公が

籠城するため目指した理由もわかります。

 



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  ↑

  東光寺方向から見た山麓防衛網の配置

①岩殿城本丸 

円通寺(非常時砦化)

③宝林寺(裏砦)

④東光寺(非常時砦化及び監視所)
△大沢堀

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 では引きつづ円通寺があった場所近くを

 通り過ぎひたすら道なりに国道139号線を

 進んで歩いて行くと、左側に畑倉登山口が

 見えてきます。

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 畑倉口登山道入り口では大月の桃太郎伝説

 登場する鬼が、住処にしていたとされる鬼の岩屋

 の看板などもあり、登る途中こちらも少し

 見ていきたいと思います(^^)/

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 それでは岩殿城を後から足軽になった気持ちで

 登って行きましょう!
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 登山道に入ってすぐに近くを小川が流れていて

 足場に気おつけながら前に進んでいくと、

 人がすれ違う程度の幅の道が上の方まで

 続いており、トレッキングポールなどを活用して

 安全に登るため足に負担をかけないように

 行くのが良いと思います。

 戦の時は刀や槍を持ってこの山を登って

 行かなければならないと思うと、ゾッとしますね。

 しかも当時の岩殿山はより登りにくく防御を

 固めていたと思うので、普通に登るよりかなり

 きついと思われます(^_^;)

 

 
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 そして少し登って行くと岩殿山の頂上に行く方と

 鬼の岩屋(新宮洞窟·新宮出丸?)に向かう方の矢印が

 見えてくるので、左の鬼の岩屋の方に

 一旦寄り道していきます。

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 人一人が通れるくらいの細い道を少し歩くと

 目の前に本当に鬼が住んでそうな岩の洞窟が

 見えてきます。


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 昔の人はこの岩屋を見て鬼が住んでいると

 思ったのですかね。

 ちなみにこの新宮洞窟(鬼の岩屋)は出丸として

 活躍したり、

 兵舎としても使われていたらしいです。

 そんなことを考えながら再び山城に

     登って行きます!       

 
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 なかなかの傾斜を重いリュックを背負いながら

 登るのも辛いものがあるのに、

 鎧武者や足軽など装備を色々持ちながら

 登っていくのは、相当登りにくかったろうと

 つくづく思いました。

 それにくわえて城方の兵が防御のために

 攻撃を仕掛けてきたら、足場の悪いこの場所では

 一気に麓まで転げ落ちてもおかしくないです。

 昔の山城は現在のように木が生い茂っていないと

 思うので、つかまる場所もなく味方を巻き込み

 あの世行きです(-_-;)

 
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 現在の岩殿山を登っても転げ落ちそうに

 なりそうで怖いと思うのに、

 それをさらに登るのを邪魔されたら

 戦意を喪失してしまいそうです。

 戦国時代は死にものぐるいで城攻めを

 すると思うので、直に諦めて逃げる

 というのはあまりないと思いますが、

 私が足軽だったら諦めて下山しちゃいそうです(^_^;)      f:id:yuki-snu2:20210728204459j:image 


 そんなこんなでいよいよ岩殿城の本丸近くにまで

 迫ってきました!

 ここからラストスパートですよ(^_^)/

 一番激しい攻防戦をハァハァ息を切らせながら

 突破していきます!!


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 ようやく難関を突破して岩殿城本丸到着!!

 何とかたどり着きました(^_^;)良かった。
 
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 本丸跡地には防災無線施設が設置されていますが

 この防災無線施設も撤去されるらしく、より当時の

 本丸跡地に近づけると思います。

 

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 本丸からは大月の町並みや桂川がよく見えますね

 織田軍が笹子峠を越えて攻めて来ても、

 北条軍が東から来ても全て手に取るように

 わかります。

 この場所から岩殿城全体の兵士に指令を出して

 いたのですね。

 富士山も綺麗だし岩殿城本丸まで来て良かったな(^^)

 今回は登山道の一部が通行禁止なので、

 他の箇所を見て回れませんが、

    達成感がありました!

 

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 ここでお昼休憩してからの下山になるのですが、

 降りるときは登る時よりも注意が必要です。

 山道には枯れ葉が積もっている場所や

 疲労で足の関節など痛くなったりするので、

 急がずゆっくりトレッキングポールを

 第三の足と思って、体を支えて無理のない

 ように下山するようにしましょう。

 私も降りる時足が痛くなりトレッキングポールに

 助けられました👍

 それでは下山したら、元来た道を戻り大月駅

 観光案内所によって行きたいと思います(^^)/

 

 岩殿城跡に行ったら買いたいお土産!
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①岩殿城の御城印と武将印

 2021年は信玄公生誕500年の年なので、

 岩殿城の御城印と武将印にも記念のロゴマーク

 ついています(^_^)/

 販売場所は大月駅前観光案内所です。

 ロゴマーク入りの御城印の販売

 期間は2021年の3月20日〜12月31日まで

 販売価格は300円です。

小山田信茂公の手作り木彫りのお人形ストラップ

 1200円

 個数限定の木彫りのお人形ストラップなので

 一つとして同じものはありません!!

 大月の彫刻家小俣喜昭さん(68)が作った作品です。

岩殿山のピンバッチ600円はぜひ小山田信茂公の

 木彫りのお人形ストラップとセットで

 買ってもらいたいですね

 歴史好きにはたまりません。

 

まとめ

 岩殿城は武田勝頼公が、最後の決戦に選んだ

 城だったのに小山田信茂さんに最後に

 裏切られてしまい、思うように活用出来なかった

 不運な城でしたが、もしこの岩殿城で織田軍と

 戦っていたら相当手強く落とすのにかなり

 苦労したと思われます。

 それほどこの岩殿城は難攻不落の山城であり、

 東の最重要防衛拠点だった事がわかります。

 通常時は小山田氏が岩殿城を管理して

 非常時には武田氏が活用していたと

 思われる城を小山田氏は大切に守り、

 領民を何が何でも守りたいと強く願った

 小山田信茂公の優しさや主家を裏切らねば

 ならない苦しい心の葛藤など、

 現地に来て本丸まで登り、景色町並みなど

 観た時この風景を戦火に巻き込みたくないと

 思う気持ちが少しわかったような気がしました。

 今回私が行った時には強瀬ルートが通行禁止に

 なっており、畑倉口から行きましたが下山を

 浅利ルートから行けば、揚城戸など稚児落とし

 なども通れます。

 時間の関係と他の用もあり畑倉口から下山

 しましたが、時間に余裕がある方は是非

 訪れてみてください。

 

 次回は是非岩殿城全体を見て回り、記事に追加

 記載出来れば良いと思っています。

 お土産も新しいものがあったら載せていきたいと

 思います。お楽しみに(^_^)/

 

 

 では次回またお会いましょう    おわり