ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

下総国千葉氏の亥鼻城に出陣!!

 

大河ドラマでも登場した千葉一族のお城へ

 

皆様こんにちはこんばんは(^_^)/

今回は千葉県の千葉市にある戦国の世で言えば、

下総国(しもうさこく)の領地を支配していた

千葉一族のお城である亥鼻城に行きたいと思います!

大河ドラマでも登場した千葉常胤(ちばつねたね)が

有名ですね。JR千葉駅から出発したいと思います。

今回私は徒歩でお城まで行来ましたが、

バスで行くと楽ですし迷わないです。

JR千葉駅東口バスターミナルから乗りましょう。

亥鼻城跡までの交通案内しますと

◇JR千葉駅下車、東口バス乗り場7番から京成バス

 「千葉大学病院」行き又は「南矢作」行きで

 「郷土博物館・千葉県文化会館」下車、徒歩3分

◇千葉モノレール「県庁前駅」下車、徒歩13分

◇JR本千葉駅下車、徒歩25分

◇京成千葉中央駅下車、徒歩30分


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JR千葉駅は比較的大きな駅であり、千葉モノレールや

京成線なども集まってるので線路も多く、

徒歩で行く場合は道に迷いそうですが、

何とか地図を見ながらどうにか目的地に到着!

入り口は複数ありますが、正面入り口から

入って行きますね。

入り口から少し歩くと千葉開府850年記念の碑が

建てられており、千葉常胤公の姿が見えます。

夏には毎年親子3代祭りなどがあり、市街地を

武者行列が行進するらしいです。

千葉常胤公が源頼朝公と共に打倒平家のため

兵を引き連れて行進する姿が想像できるので、

こういう行事は良いですね(^_^)


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天守閣として作られた郷土博物館の前には

千葉常胤公の騎馬像が置かれており、

空に向け矢を射るような姿をしています。

千葉市のさらなる発展を願い、未来への

メッセージを矢に託す千葉常胤公がイメージ

されてるようです。

今にも動き出しそうな躍動感がありますね。

この亥鼻城の城郭構造は平山城で

千葉氏の有力家臣の原氏が築城しました。

この亥鼻城には土塁や堀や物見台跡なども

みられます。 

それでは天守閣の中の郷土博物館に

入ってみましょう(^^)/


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千葉市立郷土博物館

入館料  無料でございます!

開館時間 午前9時00分〜午後5時00分

     (入館は午後4時30分までです)

休館日  月曜日(月曜日が祝日の場合翌平日が休館)

     年末年始・臨時休館する場合あり。

駐車場  乗用車25台(無料)、大型バス3台(無料)

                    バスでご利用の際はあらかじめご連絡が

     必要です。


入り口の受付でどこから来たのかを伝え

中に入館することができます。

無料なので良いですよね(^^♪

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1階と2階が企画展示室になっており、

3階と4階が常設展示室になっています。

ではまず1階の企画展示室に行ってみると、

大河ドラマでも人気の鎌倉殿の13人のポスターが

貼ってあったりして見学する人が増えたことが

伺えます。1階には講座室もあり歴史や民俗に

関係する講座を学べたり、昔の着物や甲冑など着て

体感することができます。(事前申込み必須です)

順路としては階段右側のスロープ降りて

観ていく感じですかね。

ここに展示されているのは千葉氏に関する歴史

年表や大河ドラマでも登場する源頼朝に関係する

武士たちについて紹介しています。

千葉常胤と13人の御家人南関東編

(期間限定なので現在は公開されていません。)

 

◇和田義盛 久安3年(1147)〜建保元年(1213)

 和田義盛は三浦義明の孫であり、相模国三浦荘を

 本拠地とした三浦氏の一族です。

 三浦氏は平家方の大庭景親に日頃より圧迫されて

    おり、その現状を打破するため頼朝に力をかしたと

 言われています。

 その同じ一族である和田義盛は弓の名人であり、

 常に頼朝の側に使えたことから、信頼があつく

 側近として大事にされていました。

 

◇千葉常胤 元永元年(1118)〜建仁元年(1201)

 石橋山の戦いに敗れて、房総半島に逃げて来た

 頼朝が頼りにした有力武士の一人で、

 頼朝の父である義朝にも使えていたことから

 信頼は厚く富士川の戦いにも参戦しました。

 鎌倉に武家政権を樹立することにも貢献したり、

 奥羽合戦の功績では大幅に所領を増やしました。

 

◇葛西清重 応保元年(1161)?

 葛西清重は千葉常胤の娘を妻として迎え、

 坂東の喉元で軍事•経済の要衝である

 下総国葛西郡を本領として治めていました。

 源頼朝の挙兵の際にはすぐさま馳せ参じ

 同族の江戸氏•川越氏•畠山氏を陣営に連れて

 来ました。

 頼朝が鎌倉に向かうルートの確保も万全に整え

 頼朝からの信頼を勝ち取ったのです。

 

◇上総広常 生誕未詳〜じゅえい2年(1183)

 上総広常は頼朝の父である義朝に従って、

 保元の乱と平治の乱に参戦しました。

 平氏政権になったとき平氏方の有力家人であった

 伊藤忠清が上総介に任じられて、その立場が

 脅かされるようになった丁度その時に、

 源頼朝が房総半島に逃げて挙兵を

 することを知ります。上総広常はすぐさま

 大軍を率いて頼朝のところまで参陣することに

 なり、千葉氏と連携して頼朝に力をかしました。

 

◇梶原景時 生誕未詳〜正治2年(1200)

 梶原景時は源頼朝挙兵のときに同族の

 平氏方である大庭景親と共に戦いましたが、

 石橋山の戦いで敗れた源頼朝を山中で

 発見するも、見逃して助けたといいます。

 その後梶原景時は源頼朝の元で活躍して

 信頼を得ていきます。

 御家人中屈指の実力者であった上総広常が

 不遜な態度をとったということで、

 誅殺する役目もはたしたり頼朝の弟である

 源義経が後白河法皇側に近くなりすぎたことから

 失脚させる役目もはたしました。

 

◇北条時政 保延4年(1138)〜建保3年(1215)

 北条氏は代々伊豆国田方郡北条を本拠と

 していて、伊豆国の源頼政支配下にありましたが

 頼政が死んだ後で平氏政権に強く圧迫

 されていくことになります。

 その後伊豆国に配流されてきた源頼朝に

 自分の娘である北条政子を嫁がせ、

 挙兵の支援をしていくことになり、

 源頼朝を最後まで支え続けました。最終的には

 鎌倉幕府初代執権にまでのぼりつめる事に

 なるのです。

 

ここまで簡単に説明していきましたが、

より詳しく知りたい方は是非来館することを

オススメします(^^)/

その他にも1階には鎌倉時代当時の鎧のレプリカが

展示されていたり、戦い方の説明がされていたりと

勉強になる事が多かったです。

それでは続けて2階に上がって行きましょう!

2階は企画展開催期間以外は武器•武具や

天文資料や収蔵資料などが展示されています。

階段の上にあがると千葉常胤公の木造が

出迎えてくれます。

この階は甲冑など武器が展示されていて、

普段甲冑など見る機会が少ない人にとっては

近くで詳しく見ることができるのは良いです。

日本の甲冑を少し説明すると

 

大鎧 平安時代頃に使われた武具でその当時は

   弓矢などが戦いの主流だったので、

   兜の反り返り部分が吹返になっており

   矢での攻撃を防ぐ効果がありました。

 

胴丸 鎌倉時代以降に使われた武具であり、

   今までは騎馬上から弓矢で戦っていましたが、

   だんだん白兵戦の戦いになっていったことから

   なるべく動きやすい防具が好まれたみたいです

 

当世具足 戦国時代に使われた武具で

     この時代になると、弓矢•鉄砲•槍などから

     体を守るべく特に防御力の高く生産性を

     重視した武具が使われていました。

     戦国時代の鎧兜は個性的な部分もあったり

     芸術性もあります。

この階には鉄砲の伝来の説明など、今まで戦に使われていた飛び道具は弓矢や石ころなどでしたので、

革新的に変わった最新の武器での戦の始まりが、

紹介されていたのはわかりやすかったと思います。

 

鉄砲(種子島) 天文12年(1543年)ポルトガル人を

       乗せた中国の船が種子島に到着した

       事から、その当時は種子島と呼ばれて

       いたらしいですね。

鉄砲と聞いて思いつくのは戦国時代の武将織田信長!

設楽原の戦いで武田氏と戦ったのが有名ですね。

武田の騎馬隊に多数の鉄砲を使い攻撃して

打ち負かしたのは、新たな戦の仕方が変わった瞬間で

あったと思います。

当時火縄銃で撃つと時間がかかりすぎて

一度撃ったら、2発目撃つ前にやられてしまいます。

織田信長はその弱点を克服するため三段撃ち

(人を横に3列並べて順次撃つ)を

考えつき、なるべく止まることなく連続して

撃てるよう工夫したのです。

近年ではこの鉄砲三段撃ちも本当にあったかは

疑わしいところがあると言われていて、

思っていたより鉄砲の数などは少なかったのかも

しれませんね。

ここで少し休憩していきたい思います(^^)/

この2階のフロア右側の窓側付近に休憩所が

設けられており、自分で用意すれば軽い軽食も

とれます。奥には自販機などもあるので、是非

お城の中でゆっくり景色をみながら楽しい時間を

お過ごしください。     


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それでは休んだら続けて3階に行ってみましょう。

3階は主に千葉氏の勃興から滅亡までの500年の

歴史をたどる展示と千葉氏が信仰していた

妙見信仰ということについて資料が展示されています。

他にはこの地域の武士の動向など時代にそって

紹介されているのは、良いと思います。

 

妙見信仰 千葉氏が信仰した妙見とは北極星や

     北斗七星を神とあがめて、

     戦での活躍や勝利を願い導いてくれる

     存在として大事にされてきました。         

     妙見像には軍神としての役割もあり、

     一族が団結して戦えるようにと、

     作られたらしいです。

 

下総国での千葉氏の影響力は大きく、

源頼朝も頼りにする有力武士です。

戦国時代になると相模の北条が領地を増やすため、

関東地方に出兵して味方を増やしていきました。

北条だけではなく越後の上杉氏などの影響も

あり、度々関東にも出兵しています。

千葉氏は北条方に属し豊臣秀吉の小田原攻めでは

小田原城に籠城するも降伏し、領地を没収されて

滅亡してしまいます。

関東の覇権を握っていた北条氏でも時の権力者の

豊臣秀吉には敵わなかったということがわかります。

戦国時代いかに自分の領地を守って行くことが大変で

難しいのがよくわかりますね。

簡単すぎるほど短く説明したので、

是非来館して千葉氏の栄枯盛衰と

その地域の歴史や出来事など自分の目で

確かめてみてください。

 

そして4階にあがって行きます。

この4階は明治•大正•昭和の千葉市の歴史について

紹介展示されています。

戦前戦後の千葉市の街の変化やそこで暮らす

人々の生活の様子など、資料や道具など展示されて

いるので、当時の事がわかりやすくなっています。

映像コーナーもありますよ!

最後に5階の展望室にあがって見ましょう。

5階には展示コーナーと顔出しパネルが

設置されているので、是非記念に武士やお姫様に

なった気分で写真を撮られてはいかがでしょうか(^_^)

 

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5階天守からの千葉市の街並みの様子が

素晴らしかったです。

今はビルが建ち並んでいますが昔は海まで観えて

見晴らしが良かったのかな。

戦国期の亥鼻城はこれほど高くなかったと思いますが

高い建物がないだけでも、遠くまで見通せますよね。


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名残り惜しいですが1階まで降りていきましょう!

では城の西側の土塁跡地に行ってみます。

実はこの亥鼻城跡で発掘調査された結果

鎌倉時代の館など城跡は確認できてないらしいです。

ここで発見されたのは室町時代後期(戦国時代)

千葉氏の有力家臣の原氏が築城した城跡だというのが

有力らしいですね。

この土塁近くで平安時代後期から鎌倉時代の火葬骨が

入った骨壷が発見されたので、城ができる前は

墓地であったとも言われています。

この地域で見つかるということは千葉氏のものとも

言えるかもしれませんね。


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この北側にある神明社と本丸跡の間には空堀があり、

神明社側に物見台があったと言われています。

昔は千葉の海岸沿いまで見えてたらしいので、

広い範囲を監視できたことでしょうね。


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現在千葉氏の館跡と思われる場所は御殿跡と呼ばれた

千葉地方裁判所跡地にあったとも言われてますが、

後に千葉氏が本拠地を本佐倉に移したことや

資料が少ないのもあり、まだわからないことが

多いらしいです。

もっと詳しく千葉氏に関する場所を巡りたい方は

ゆかりの地コースなどがあるので、

是非散策しながら訪れてみてください。


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それでは一通り見て回ったら亥鼻公園の入り口

付近にある、いのはな亭に行ってみましょう。

ここでは美味しい団子や軽食をとれます。

利用時間

10:00〜16:40分(ラストオーダー15:45)

定休日(12月31日〜1月3日)

お品書き

 

名物いのはな団子

バラ150円、3個430円、皿団子500円

あんみつ530円、いそべ焼き500円、おしるこ500円

おにぎりセット530円

くず餅皿430円、けんちん汁450円、

けんちんうどん550円、あべかわ餅380円

白玉きなこ430円、白玉寒天500円、

白玉ぜんざい500円、ところ天380円、豆寒天430円

抹茶のみ430円、抹茶セット550円、抹茶雪ん子660円

雪ん子セット380円、雪ん子バラ280円

水まんじゅう430円、水まんじゅうバラ430円

甘酒230円•日本酒360円•ビール360円

 

どれも美味しそうですね(^^♪

実は昼時に行って混み合っていたので、

食す事ができなく残念に思います。

お城みながらお団子食べられるとは素晴らしいです。

次回食べることができれば紹介いたしますね!


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亥鼻城の御城印はいのはな亭で300円で販売

されているので、是非郷土博物館に寄ってから

ご購入してみてはいかがでしょうか。

千葉常胤公の姿と家紋が素晴らしいですね。


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お土産としてせんべいとようかん買ってみました。

どちらも素朴な味で食べやすかったですね。

せんべい500円、ようかん680円

興味ある方は買ってみてください。

 

下総国千葉氏の亥鼻城に出陣!!    おわり

次回またお会いしましょう!

◇亥鼻城跡案内板参照

◇千葉市立郷土博物館パンフレット参照

戦国最強の真田の城をぶらり散策 後編

 

 

二の丸からいざ本丸へ

 

それではいよいよ本丸に進んでいくとしましょう(^_^)/

上田のお城といえばこの東虎口の櫓門が最初に

目につきますね。

櫓門には真田の六文銭の旗がたてられており、

上田城に来る人々を迎えてくれます。


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南櫓門の前には堀の水を排水する石樋(いしどい)も

見られます。

石垣の向こうは尼ヶ淵なので堀の水をそのまま

千曲川にながしていたんですね。


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そして城門の方へ歩いていきますと、

右側に大きな真田石があるのがわかります。

この真田石には伝説があり昔真田信之公が

現在の上田から松代に移封になったときに、父である

真田昌幸公の形見として松代に運ぼうとしたところ、

ピクリとも動かず断念したというものです。

昌幸公が築城したこの上田城から離れたく

なかったのですかね(・・;)

直径3メートルの巨石です。

この上田城に使われている石垣の石の多くは

北側にある太郎山から運ばれてきたものです。

昔は重機などないので全部人の手で運んだと思うと

城造りの大変さがわかりますね。


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ではこの真田石の上にある東虎口櫓門に上がって

みましょう。

この櫓には火縄銃や甲冑など小松姫が乗った駕籠

など貴重な品が展示されています。

(小松姫は徳川家康の家臣である本多忠勝の

 娘であり、信之公の奥方です。)

この北櫓と南櫓は一度は民間に払い下げられ、

また買い戻したという経緯があり、今のような

東虎口櫓門となるまで復元された事は歴史ファン

として嬉しいことであり、地元の人達が誇れる

一つのシンボルになっていると思います。

なので、この櫓門の中にはいって観覧する場合は

入る前に靴をスリッパに履き替えます。

靴の汚れで床が傷みますからね。

 

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この櫓門の観覧は有料であり、櫓門近くで入場券が

販売されています。

  

          櫓・櫓門   共通券

   一般                         300円   500円 

個人 高校生以上の学生 200円   300円

   小中学生     100円   150円

   

   一般      250円   400円

団体 高校生以上の学生150円            250円 

   小中学生      50円               80円

櫓門と博物館両方見る場合は共通券を買った方が

お得だと思います。 

開館が8:30分

閉館が5:00分

入館は4:30分までです。


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櫓門を観覧したあとは本丸跡地に

行ってみましょう(^^)/本丸跡地は

真田神社の横の道を進んでいくと

見えてきます。

本丸跡地は開けた場所にあり、秋に来れば

紅葉が見頃になって綺麗ですし、春に来れば

桜もみれてお花見にはもってこいの場所で

ございます。

今では人々の憩いの場所として親しまれていますが、

戦国時代には徳川と対決するにあたって、

軍議が開かれていたであろう場所だと

思うと、歴史ロマンを感じずにはいられないですね。

この上田城は上杉軍の侵攻に備えたお城を

造るということで、真田昌幸公が徳川家康を

上手く利用して造らせたお城です。

真田氏の上州沼田領について徳川家康は北条に

渡すよう命じましたが、昌幸公はこれに従わずに

上杉氏を主としていくことを選びます。

この事に徳川家康は怒り7000の兵を上田に

派兵することになります。

これが第一次上田合戦の始まりです。

この後第二次上田合戦に勝利したものの

関ケ原で石田三成が敗れ、西軍についていた

昌幸公と信繁公は上田城から和歌山にある

九度山に送られる事となり、

上田城は完璧にはかいされます。

東軍についていた信繁公の兄信之公が上田に入り

ますが、信之公は城を再興せず三の丸の城下町に

屋敷を構えて藩主となりました。

今現在の上田城の姿は真田氏の後に上田の藩主に

ついた仙石忠政公が再興させたものだと言うことです。

 

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では最後に真田神社の方へ向かいましょう!

真田神社は毎年数多くの受験生がご利益を求めて

訪れる場所で、上田合戦では二度も勝ち

お城が落ちなかった事から、落ちないお城の運気を

いただくために皆一生懸命に祈りに来ます。

戦国時代最も力を持った徳川軍と戦っても

落ちないのですから、信憑性は高いですよね。

本当に凄いパワースポットだと思います。

真田神社では御朱印帳が1500円で、

御朱印が500円です。絵馬は600円です。

カッコイイので是非ゲットしてくださいね。


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その他にも境内には真田の六文銭の兜を模した大きな

オブジェクトがあったり、願いを込めた絵馬を飾る

場所には赤い柵がアーチのようになっていて、

色鮮で綺麗です。

色々な願いが込められた素敵な場所であり、

今も真田氏を愛する多くの地元の人々の

温かい想いがこちらにも伝わってくる

特別な場所であることがわかりますね。

昌幸公や信繁公もこの場所を訪れる人々を

優しく見守ってくれている気がしました。


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それでは真田神社横を通り西櫓に行ってみます。

こちらには上田城唯一の井戸があり、籠城する時も

水の確保は万全です。

武田氏に使えていた時金堀衆を使って城の水の手を

絶って戦っていたのをずっと見てきたので、

水の重要性は特に気にしていたのでは

ないでしょうか。

上田城は川と川に挟まれた場所にあって、

水攻めされたら孤立しそうですが、

地形的に南側の尼ヶ淵の急峻な崖の段差により

完全な形での水攻めは困難であり、

逆に敵を堰き止めた川の水で撃退させるなど

上手に自然の力を利用して戦って勝つところは

本当に凄いですね。

この井戸には伝説が残されていて、この井戸の中に

隠し通路があって、城下町の上田藩主屋敷に

通じているとか、近くの太郎山まで通路が

繋がっていて万が一の時の逃げ道になってるとか

言い伝わっているらしいです。

真田昌幸公ならば最悪の事態を想定して

隠し通路を造っていたとしてもおかしくはないですね


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真田の井戸の近くには新しく作られた真田信繁公の

銅像があり、左手に十文字槍を持ち右手に扇子を

持った、勇壮な姿を拝見できます。

真田信繁公の騎馬像も素晴らしかったですが、

こちらの立ち姿の銅像もまた勇ましく

カッコイイですね。


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それでは目の前の西櫓に行ってみましょう。

この西櫓は仙石忠政公が再興した際に建築された

もので東虎口にある北櫓と南櫓と違って、

一度も移築されることなく現存しているものです。

よく考えてみると今上田城にある歴史的建築物は

大抵真田氏が治めていた時代のものでなく、

後に上田の藩主になった仙石氏によって復興

されたものが多いです。

それもしょうがないのですが、上手い具合に真田氏に

利用され造った上田城で二度も真田氏に敗れたと

なれば家康公も怒らずにはいられないでしょうね。

私も徳川家康公の立場なら跡形もなく破壊したい

気持ちはわかります(^o^;


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西櫓から尼ヶ淵の方へ目を向けてみると、

眼下に芝生広場が広がり、戦国時代には

ここらへんは千曲川が流れていたとは

思えないくらいのどかな景色ですね。

上田の街並みも綺麗ですし、尼ヶ淵の上から

見ると余計にこの場所の高さがわかります。

敵がこの崖を登ってくることはかなり困難であり、

上田城を攻めるうえで敵の侵攻ルートが

東西南北のうち一箇所なくなることで、

他の場所に味方の兵を送ることができるのは

守る側としては守りやすいと思います。

(あくまでも私の感想ですが^_^;)


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最後に上田のお土産を少し紹介します!

 

上田のお土産で有名なお菓子の一つである

みすず飴は乾燥ゼリー菓子で、一つ食べたら

また一つと止まらなくなる美味しさです。

現在赤スモモを使用した味も限定品として

販売されています。

値段は260gで500円くらいです。

私は上田市観光会館で買ったのですが、

上田城に行く途中にもみすず飴の飯島商店さんの

本店があるのでそちらでも色々な種類が買えますよ。

そして左下のくるみおはぎは旧北国街道沿いにある

名取製餡さんのおはぎで、とても美味しいです。

上田に行くときは必ず買っています。

一つ200円くらいで買えますよ👍

最後に上田駅の大水車近くのお土産処北村さんの

純米どぶろくです。生酒で酵母が生きており

フタを開けるとき炭酸みたいにシュワシュワして

のどごし最高で美味しいです。

お店の人に運ぶとき横にしてはダメと言われたほど

このお酒は生きて息をしてるそうです。

何とか気おつけながら縦にして運びました^_^;

私はあまりお酒の事には詳しくないので逆に

お酒に申し訳ないと思っちゃいました。

フタの上の部分に空気穴的なものがあったので、

そこから息をしてるのかな?

普段全然酒を飲まない私でも楽しめました。

300ml 650円くらいです。オススメです!!

私がどぶろくを選んだ理由が戦国時代の

武士がにごり酒を飲んでいたので、

少しでもその雰囲気を味わえれば良いと

思ったからです。

もう一つが信州限定七味唐辛子ビール!!

八幡屋磯五郎さんとのコラボ商品だそうです。

辛いものが苦手な人でも飲みやすい後味の

爽やかなビールでございます。

一本400円くらいしますね。

まだまだまだ上田には美味しいものが

いっぱいなので、食べに来てください。


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ここまで一通り上田城を見てきましたが、

まだまだ私などでは語り尽くせない

魅力が上田の街や上田城にはあるので、

是非皆様も現地に訪れて自分の目で上田の

歴史ロマンやその地域の食を味わい

体感してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

◆上田城案内板参照

戦国最強の真田の城をぶらり散策  後編  おわり

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編

上田城の三の丸から二の丸へ

 

こんにちは(^_^)/それでは観光会館前にある

二の丸橋からいよいよ攻略して行きますよ!

二の丸橋の上から下を見てみると二の丸堀があり

今はけやき並木の遊歩道として整備されています。

堀があった場所をゆっくり歩いて行けるのは

嬉しいですね。

この場所には昔昭和2年から47年まで電車が

通っていたらしく、プラットホーム跡があり

公園前駅として利用されていました。

堀があった場所に線路が通っていたのが

びっくりですね。


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二の丸橋を渡った後右側の方には平和の鐘が

移築されており、昔はこの鐘で上田城下町の人々に

時を知らせていたらしいです。

鐘の音が町中に響いていた事を想像すると素敵ですね。

二の丸橋を少し歩いていくと右側に上田市立博物館の

看板が見えてきます。

 

上田市立博物館

開館時間 8:30分〜17:00分(最終入館は16:30分迄)

休館日  水曜日・祝日の翌日・年末年始

料金   300円

現在上田市立博物館では真田氏関連資料が

別館で公開されています。

本館の方では真田昌幸公着用の鎧や、

歴代藩士の資料や地域の歴史などを学べます。

博物館別館では400年前の上田城をVRとして

リアルに再現している映像も観れて体感できますよ。


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上田市立博物館で真田氏や上田地域の事を学んだら

上田城内の散策に行ってみましょう。

有名な真田石でも知られる東虎口櫓門の方は

後のお楽しみにして、まずは本丸土塁の隅おとしを

見に行ってみます。

この隅おとしは丑寅の方角に切り込みをし

鬼門よけとして作られた上田城ならではのものです。

北東の方は鬼が出入りする方角であり

忌み嫌われているので、あえて角を落として

鬼門を無くしているのですね。


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ここで上田城内のトイレチェックもしていきますと、

二の丸橋渡った左側にトイレと上田市立博物館の

近くと、本丸土塁の隅おとし近くにもあります。

他にも上田城跡北観光駐車場にも一つ尼ヶ淵の

方にある上田城跡駐車場にも一つで、

全部で5箇所はありますね。

若いうちは特にトイレの事は気にしないかも

しれませんが、歳を重ねて行くと気になっちゃう

ものです。快適に旅行をするには心配事は

ない方が良いですものね。

では引き続き城内の北虎口の石垣に行ってみますと、

綺麗に石垣が復元整備されているのがわかりますね。

 

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北虎口の石垣近くには陸上競技場や児童遊園地が

ありますが、その辺りが百間堀という

広大な堀跡になります。

すぐそばに石樋(いしどい)城内の水を排水する

設備もあります。

元禄15年(1702年)の修復の際に木の造りから

石の造りに変えたものになります。


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本丸南側に千曲川沿いの尼ヶ淵があり本丸北側には

百間堀があり、容易には敵も突破できないものと

考えられますね。

本丸の北側から攻めれば背後にある砥石城から

出撃した部隊に挟み撃ちにあいやられてしまいます。

第一次上田合戦の時も上田城の東側から徳川勢が

攻めかかりましたが、砥石城から出撃した部隊に

側面を突かれ徳川勢は混乱し

神川まで引きますがそこで川の堰(せき)を決壊させた

真田昌幸の軍略で徳川勢は川にのまれ溺れて

撃退されてしまいます。

川と堀で囲まれた上田城とそこを守る真田氏を

攻めるには本当に大変だということがわかりますね。

しかも第二次上田合戦も勝利し天下の徳川に

二度も勝利したのです!!


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それでは他の場所に行く前に上田城内にある

真田忍者修練所に行ってみましょう!!

真田と言えば真田十勇士が有名ですが、

その真田十勇士のもとになったと言われているのが

山伏です。山伏は全国を歩き回ったりしても不審に

思われず、潜入するにはもってこいの存在でした。

その山伏を忍びのように使っていち早く情報を

手に入れる事で、戦や外交にも有利に働いたと

思われます。

 

真田忍者修練場は上田城内の招魂社境内で

           (しょうこんしゃけいだい)

日時は3月〜11月 日・祭日・土曜日(8月のみ)

時間は9:30〜14:00まで

修行は1〜4まであり、

修行1は忍者の呪文を唱える。

(九字護身法 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前)

修行2は手裏剣 

修行3は矢吹術 

(修行2・修行3 両方合わせて300円)

修行4は修練場をかけ回る(お子様)無料



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上田城内で手裏剣投げや矢吹術など

忍者修行ができるとは何とも面白いし、

貴重な体験なので是非訪れてチャレンジして

みてください(^^)/

では次に二の丸西虎口に行ってみましょう。

ここは石垣が無くなっていますが、基礎の根石列が

発掘調査では残されているのがわかりました。

あと櫓門の礎石跡もあることがわかっており、

元和8年(1622年)城主の千石忠政公が二の丸西虎口に

建設しようとしますが、病気で亡くなって

未完のままになってしまいました。

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二の丸西虎口にかかる小泉橋から二の丸堀跡も

よく見えますが今では木々が生い茂っています。

この堀の右側部分が小泉曲輪になっており

西側からの敵の侵攻に備えた作りになっています。

小泉曲輪の横にはため池と百間堀で容易には

渡ることはできませんので、本丸西側からの敵は

小泉曲輪の方に攻めるしかないのです。

小泉曲輪の南側は急峻な崖になっており、

千曲川が流れる尼ヶ淵を超えて来るのは

難しいと思われます。

↓二の丸堀
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ではその尼ヶ淵のある本丸南側の方に

行ってみましょう。
尼ヶ淵のある南側の崖は崩れやすく保護対策は

必須であり、上田藩2代藩主の松平忠愛公(ただざね)は

南・西櫓下の下段に洪水被害から守るため

大規模な石垣を作りました。

 

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↑洪水の影響で崖が削られているのがわかりますね。
今ではのどかな芝生広場が広がっていますが、

昔はこの辺りは洪水被害にあうほどの

水が流れていたとは想像もできませんね。


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この広場では春に開催される上田真田祭りで

信州真田鉄砲隊による演舞など観れるので、

是非機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか!

 

◆上田城跡公園内の案内板参照

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編  おわり

 

 

次回はいよいよ本丸突入!

戦国最強の真田の城をぶらり散策 後編につづく

 

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 前編

こんにちは(^_^)/今回は「日本一の兵」と言われた

真田信繁こと真田幸村公の居城である上田城に

訪れたいと思います。

東京から上田まで新幹線で1時間30分くらいで

片道自由席は6260円、指定席6790円です。

 

 

上田市観光会館2階で御城印をゲット

 

長野県は移住する場所としても人気があって、

東京から気軽に行ける場所です。

歴史的にも有名な場所である上田に

行けることは嬉しく、戦国時代好きな人は

一度は訪れたい場所であります。

戦国時代ではこの地域は村上氏と真田氏が

領地をかけて戦った場所でもあり、

甲斐国の戦国武将である武田信玄公も

信濃平定のため村上義清と対決しに

この地まで出陣したのですが、

上田原の戦いにおいて村上義清に敗れ

重臣の板垣信方や甘利虎泰を討ち取られて

しまいます。

さすがの信玄公も猛将村上義清に勝利するのは

苦戦したようですね。

その激戦の地には上田駅から別所線に乗り換えて

上田原駅で降りて、上田原古戦場公園という所が

あるので時間がある方は向かってみましょう。

上田原古戦場の碑は上田原古戦場公園の

斜めしたの石久摩神社にあります。

今回の散策では上田原の方は行かないので、

上田城方面に向かいます(^^)/

早速駅前広場で日本一の兵である真田信繁(幸村)公が

お出迎えしてくれます。

騎馬武者姿の幸村公もカッコイイですね。

 

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上田の地に訪れたら必ず銅像の前で一緒に写真

撮りたくなりますよ!素晴らしい!!

駅前広場には幸村公の銅像の他に巨大な水車も

あります。

水車の下を流れる農業用の水路

枡網用水(ますあみようすい)で水車を回しています。

昔の水車は製糸・紡績のための工業用動力として

電気が引かれる前には活躍していたらしいですね。

 

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今では新幹線から降りてくる観光客の方々や

上田市民の憩いの場所にもなっていて、

緑と水が豊かな上田にはぴったりの

モニュメントです。

では上田城の方に歩いて行きましょう(^o^)

上田駅お城口という案内表示版の方に進んでいくと、

歩道の近くに可愛らしい真田十勇士の

モニュメントが設置されているので、

すべての十勇士を探してみましょう!


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セブンイレブン上田城大手門店を左に曲がって

進んでいくと、上田商工会議所あたりにあった

上田城三の丸があります。

上田城は第一次上田合戦と第二次上田合戦の時に

徳川の猛撃うけ、この三の丸は枡形大手門と堀が

あった場所であり入口でした。

ここで徳川軍と激しい戦いをしていたとは

今では思えないほど静かな場所でございます。


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この三の丸跡地からさらに進んでいくと

上田市観光会館が見えてきます。

その近くに信州上田道しるべという案内板が

あるのでチェックしておきましょう!

こちらには上田市の名所など載っているので

上田城に行った後に訪れてみてはいかがでしょうか。

・旧北国街道柳町  

 旧北国街道の古き良き街並みである格子造りや

 蔵造りなどの家々が軒を並べていて、

 酒屋や蕎麦屋さんなど信州の食を楽しむには

 絶好の美味しいお店もあるので

 是非寄りたい場所です。

・池波正太郎真田太平記館

 直木賞作家の池波正太郎先生が書いた

 「真田太平記」などの取材ノートなど

 貴重な資料が展示されていたり、

 オリジナルグッズも買えるので

 ファンには嬉しい限りの場所であります。

案内板には上田城下町の古地図も載っているので、

現在の地図と比べてみるのも楽しいですよ。


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◇信州上田道しるべ案内板参照


この場所に来るまでに真田十勇士の説明板案内図

などもあるので、上田城に行くまでに

真田十勇士を知らない人でも知ってる人でも

より詳しくなっちゃいますよ👍


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それではいよいよ上田市観光会館の中に入って

行きましょう。

観光会館の営業時間は8:30分〜18:00分です。

1階はお土産売り場になっており、

窓際には店内で購入したお菓子など食べたり

休憩できるスペースもあります。


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御城印は2階の窓口でもらえます。

2階には真田三代の甲冑が並べてあったり

大河ドラマ真田丸でも登場した六文銭の旗などが

置いてあり、真田ファンには嬉しい心使いが

感じられますね。

春には信州上田真田祭りなどがあり、

武者姿での行列も観れるので是非皆様も訪れて

戦国武者の勇姿をご覧になってみてください。

 

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他にも2階には真田氏が治めていた名胡桃城や

沼田城や岩櫃城などのパンフレットが

あるので、是非ゲットしてくださいね。

戦国時代での真田氏のお城などの位置がわかる

マップもあり、わかりやすくて良いですよ。

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上田城御城印は1枚300円で販売されています。

真田神社でも販売されているので、どちらでも

買えますね(^_^)

私は秋に行ったので紅葉が綺麗に描かれています。


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次回はいよいよ上田城に登城したいと思います(^^)/

戦国最強の真田の城をぶらり散策 前編  おわり

 

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編に続く

 

 

 

砂金取りに挑戦!!

こんにちはこんばんはユキスナです(^_^)/

戦国時代に軍資金としても

使われていた金ですが、今回は少しでも

戦国の世のゴールドラッシュを体感すべく 

砂金取りに挑戦したいと思います!

いつの時代も金は人々を魅力し、安定した

資産であり現代でも重宝されているものです。

 

 

 

砂金取りで必要な道具の種類 

 

 

今回は東京都の青梅市にある釜の淵

公園で砂金取りに挑戦したいと思います。

中野駅からだと青梅線青梅特快が出ており

1時間位で到着します。

青梅市の名前の由来は昔、平将門公が

この地に誓いを立てて梅の木を植えて

秋になっても青梅のままだった事などから

名前の由来として言い伝えられてきたそうです。


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釜の淵公園へは青梅街道まで歩いて行き

そこから黄色の線のルートと

青色の線のルートがあります。

私は今回黄色線のルートから行くことにしました。

目指す砂金取りのポイントが近いのと、

行く途中に美味しい梅大福が買えるお店が

あるからです(^^)

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ではここで砂金取りの道具を紹介しときましょう。

1.スコップ

2.取っ手のついたザル

3.底の浅い平らな器

4.砂金を入れる小さな入れ物

5.砂金を発見したとき採取するスポイト

今回用意した物はすべて100円ショプで用意

できるものです。

慣れてきたら本格的なパンニング皿を買うのも

良いですよ。

パンニング皿とは浅く平たい器の底に砂利から

砂金を選別しやすいように、段々のみぞが

作られていて皿を振るって探す時にみぞがあると

そこにひっかかって見つけやすいです。

川岸近くで作業するので長靴や軍手などもあると

良いです。

 

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いざ!青梅の多摩川で砂金取りに挑戦!!

 

 

釜の淵公園には西側に駐車場があるので

車で訪れるにも便利です。

釜の淵公園に到着したら、砂金取りのポイントを

つかんでおきましょう。

1.カーブした川の内側の淀み部分

  上流から流れてきた砂金は川がカーブした場所に

 あたって川の流れの緩やかな砂にたまることが

 あります。

2.岩の下の割れ目やそこから生えた草の根っこ

 川は雨で増水したりして水位があがり流れてきた

 砂金はその岩の割れ目の隙間に入っていたり、

 そこから生えている草の根に絡まって

 いたりします。

3.樹の根本が削られてできたくぼみ

 川の流れによって削られた川岸の樹の根本の

 下の部分にも砂金が埋もれている可能性が

 あります。

4.大きな石の下など

 川の流れに乗って砂金が大きな石の下に入り込み

 溜まって挟まっていたりもします。

 
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釜の淵公園は川がカーブする場所にあり、

砂金を取る場所としては良い場所です。

多摩川上流にも数か所川岸に降りれる所は

ありますが、この釜の淵公園は川岸まで

比較的かんたんに近づけます。とはいえ

川岸は大きな石ころがゴロゴロ転がっているので、

足元には十分注意して歩いてください。

時期によっては釣り人が川岸で釣りをしているので、

邪魔にならないようにしましょう。

今回私も最初に行こうと思っていた場所に

釣り人がいたので、他の場所に移動しました(^_^;)

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ではいよいよ川岸に降りて砂金取りを始めます!!

川に近づく際は十分注意して行動してください。


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まずはじめに周りに草が生えている大きめの石の

下の砂利を取ります。

スコップでザルの中に入れて下に平らな器を置き、

ふるいにかける感じでなるべく砂利を細かく

しましょう。


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器に入っているのが砂状になったら、川の水に

つけながら斜めに左右に回しながら少しづつ

慎重に砂を落としていき、砂の量が少なくなったら

そこからまた慎重に砂を落としていきます。

なかなか一度目で見つかることはないので、

根気強く続けることが大事です。

注意してもらいたいのはどかした石ころはもとの

場所に戻して、穴をふさいてください。

人が通ったときなど転んだら大変ですからね。

ルールを守り楽しく砂金取りをしましょうね。

やり始めると止まらなくなるこの作業!!

なんだかんだ2時間やっても採れるか採れないか(-_-;)

場所選びが重要なので何箇所かめぼしをつけておき

移動したりして、チャレンジしましょう。

時間があれば何時間でもできそうですが、

冬の時期は川の水が冷たく、夕暮れになると

風も寒いのであまりオススメはできません(^_^;)

 

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2時間粘って1ミリくらいの砂金?を採取

金をゲットするには相当の労力を必要とする事が

わかりました。

戦国時代は金鉱掘り当てて金を採っていたと

思いますが、川でとるとはいえ当時の大変さが

少しでも体験できて良かったと思います。

たんに金は高価なものというだけではなく、

どのような場所にあり、どうやって採取して

いるのか考える良い機会になりとても勉強に

なりました。採取するのが大変で貴重なもの

だからこそ戦国の世でもお金の代わりとして

流通していったのですね。

時の様々な権力者や支配者を魅了する

黄金の存在を身近に感じるべく、

皆様も歴史に想いを馳せて砂金取りに

挑戦してみてはいかがでしょうか(^_^)


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ポケット顕微鏡などがあるとよくわかるので

オススメです!

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青梅の歴史と甘い大福

 

釜の淵公園内には青梅市郷土博物館があり、

青梅市の歴史や産業や文化など幅広い

展示が見れます。

この青梅市の多摩川沿いには旧石器時代や

縄文時代の遺跡が多数あり、河川を中心とした

狩猟が盛んだったのがわかります。

青梅市博物館の開館時間は

午前9時〜午後17時

観覧料は無料です。

月曜日は休館

年末年始は(12月31日〜1月3日)
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郷土博物館の外には醤油を造るときに

使用する大きなタルが置かれており、

近くに行くと今にも醤油の良い匂いが

してきそうです。


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この醤油タルのそばにはこの地域でよく使われていた

荷馬車などもあり、鉄道が開通するまで

活躍していたのがよくわかります。

なかなか見る機会がないので新鮮な感じがしますね。


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郷土博物館の隣りには国の重要文化財にも

指定されている19世紀初頭に建てられた

旧宮崎家住宅があり、昔の広間型といわれる

古い形式の間取りを持っていてこの

地域ならではの杉皮と茅を交互に織り込んでいる

特徴がある屋根が見れます。

こちらの住宅は青梅市成木8丁目夕倉地区にあった

ものを移築してこちらに建てられたそうです。

旧宮崎家住宅公開時間は

夏季:午前10時〜午後17時

冬季:午前10時〜午後16時

見学される方は公式ホームページから

申し込み用紙をダウンロードして

日時や人数を記入してファックス又は

郵送してください。

 

◇青梅市郷土博物館参照
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他にも公園内には自由民権運動でも有名な

板垣退助先生の銅像が置かれています。

板垣退助先生と言えば有名な言葉がありますね

(実際には言っていなかったとも言われていますね)

「板垣死すとも自由は死せず」

日本国の事を想い幕末維新を生き抜いた

真の武士の姿がそこにありました。

板垣退助先生はこの青梅市に公私ともに縁があり

何度も訪れていたらしいですね。

私も何度か青梅市を訪れていますが本当に良い

場所であり、住んでみたい場所でもあります。

板垣退助先生が魅了されるのもわかる気がします(^^)

 

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それでは砂金取り体験も青梅の歴史にも

少し触れる事ができたところで、

帰り道にある和菓子のお店「にしむら」さんで

青梅の特産でもある梅を使った梅大福を

買って帰りたいと思います(๑´ڡ`๑)



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梅が丸ごと一つ入った梅大福はとっても

美味しいので、是非訪れた際は買ってみてください。

お店は午前9時30分〜午後17時までです。

定休日は火、水、木です。


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では次回の記事でお会いしましょう(^_^)/

 

 

砂金取りに挑戦!!        おわり

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編

こんにちは(^_^)/やっと後編にきました。

前回は主郭から西曲輪まで巡って行きましたが、

今回は大手門近くにある三日月堀があったとされる

場所や、御隠居曲輪や稲荷曲輪や味噌曲輪跡地に

行ってみたいと思います。

 

 

 

大手門近くに眠る武田築城技術の丸馬出し

 

大手門近くで発見された武田築城技術で

造られた三日月堀は、三日月のように丸くおおう

形をした堀であり、内側に土塁がある丸馬出しです。

全長30m、幅4〜5mで深さ2.5mです。

この武田式の丸馬出しは信濃や西上野や駿河など

武田の支配領地の城によく見られたり、

勝頼公が韮崎に築城した新府城にも用いられて

いました。

特に信濃の上田に拠点を置く真田氏は、

この丸馬出しよく活用していて、

大阪の陣では真田信繁(幸村)が真田丸を造るときに

防御の一つとして取り入れられました。

 

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現在の大手石塁は武田氏滅亡後豊臣時代か

徳川時代に三日月堀の上に造られたものです。

再現されているのが武田氏の

丸馬出しではないですが、だいたい当時の様子が

わかって良いですね。


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大手石塁の南側には厩(うまや)跡などもあり、

当時の様子が伺える貴重な史跡となっております。

戦国時代の馬は現在のサラブレットのような

馬ではなく、ポニーのような小さな馬で

パワーがありました。

武田軍がよく乗っていたのが甲斐馬や木曽馬であり、

山岳戦を得意とする武田軍にとっては最も最適な

馬でした。

当時の人の身長もそれほど高くなかったので、

小さな馬でもちょうどよかったのかも知れませんね。

(例、木曽馬は140数cm.人は157cm)

武田軍といえば長篠の戦いでも有名な騎馬隊ですが、

実際の騎馬隊はそれほど多くはなかったみたいです。

機動力を活かした戦術で戦場を的確に移動し

敵に攻撃を仕掛けて、戦を有利な状況に

していくのが得意だったから敵にも恐れられたと

思います。特に信玄公の指示が各部隊長にきちんと

伝わって動けたからこそ武田軍の騎馬は強いという

印象が強かったのかと思いますね。


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大手東側には総堀と土塁で囲まれた東曲輪があり、

東曲輪に入る部分は2箇所あり北側と南側に

土橋があり、北側の方は虎口があり、

南側の下の方には門があります。

現在の総堀の部分には蓮が咲いていて

7月中旬頃には見頃になっています。

蓮池の愛称で親しまれてるみたいですね(^_^)


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土塁の上に登ることができるので、

東側曲輪全体を見回すことができます。

やはり大手門の防御は固く北と南側の土橋から

侵攻しても、入ってすぐに三日月堀の馬出しが

目の前に現れて、立ち止まったところに

弓矢や鉄砲で攻撃されてしまう。

敵がひるんだすきに馬出しから兵を出撃させると

一網打尽にできるし、なかなか突破できないはずです。


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東曲輪後方の龍華池展望見晴台からは

東曲輪全体の様子と信玄公の愛した甲府の

城下町の様子が良くわかりますね。

展望見晴台まで上がっていくのに階段が

けっこう急なので、気おつけてくださいね。

 

◆案内板参照

 

躑躅ヶ崎館北側守備の曲輪


では今度は東側曲輪から躑躅ヶ崎館の北側にある

曲輪跡に向かいたいと思います。

大手門に入らず右側の道を進んでいくと、

まず最初に御隠居曲輪が現れます。

御隠居曲輪には信玄公の母親である大井夫人が

住んでいました。

夫である信虎公が駿河に追放された後は

ここでゆっくり過ごしていたのですかね。

この御隠居曲輪の西側には梅の木が咲いており、

当時の大井夫人も眺めていたのかなと

想像してました(^_^)

 


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御隠居曲輪から主郭に行く途中には馬出しがあり、

その後ろには虎口も存在します。

御隠居曲輪の隣の方の曲輪は名前がわかって

いませんが、主郭の北側に位置してる以上

重要な場所なのは確かでしょう。

ここから少し下がると少し小さな稲荷曲輪が

存在します。

御隠居曲輪と味噌曲輪の前には馬出しがあるのに

名無しの曲輪の前にはないので稲荷曲輪を

築くことで、防御力を高めたのですかね。


↓稲荷曲輪に向かう階段
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そして味噌曲輪の方に移動していくと発掘の跡地が

見えてきました。

味噌という名前の通り食糧や味噌などが貯蔵されて

いたのですかね。

敵が食料庫がここにあると知っていれば、

集中攻撃をするだろうと考えて、

馬出しを作り防御を厚くしたのだと思います。

味噌曲輪は他の曲輪より広いスペースがあり、

馬出しも存在しているので、ここに敵が

なだれ込んできても弓矢で集中攻撃をうけて

討ち取られてしまいます。

それでも何とか馬出しを突破してもその先に

西曲輪につながる北側虎口がありそこで

四方から攻撃を受け終わりです(¯―¯٥)

後方の山の向こうには要害山という山城も

あったので、挟み撃ちすることも可能ですね。

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実際に味噌曲輪から西曲輪を通り豊臣時代に、

新しく造られた梅翁曲輪(ばいおう)に向かいます。

西曲輪の南虎口近くから見た主郭と西曲輪の間の

水堀でございます。

今は木が生い茂って見えにくいですが、

確認できますね。

 

↓左側が西曲輪で右側が主郭です。
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梅翁曲輪近くには戦国期に埋葬された馬の骨が

出土した場所もあり、実際に発見された全身骨格の

馬の骨は信玄ミュージアムで見ることができますので

是非ご覧ください。

南虎口を出るところにも馬出しがあったと

思われ、西曲輪の南側の防御も万全です。

それでも武田氏が滅亡したあとに豊臣氏が、

より防御を高めるために拡張したのが

梅翁曲輪なのです。

梅翁曲輪の守りも固く周りを松木堀で囲み

敵が曲輪内に入ってきたら取り外し可能な

木橋をとり、防御をよりいっそう固めて

反撃の機会をうかがっていたんですね。

 

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主郭〜西曲輪〜東曲輪〜御隠居曲輪〜稲荷曲輪

〜味噌曲輪〜梅翁曲輪と軽く見ていきましたが、

武田神社(躑躅ヶ崎館)は気軽に巡れる歴史的な

史跡であり、地域の人々に愛され親しまれている

場所なので、皆様も是非訪れてみては

いかがでしょうか(^_^)

 

 

お土産と美味しいスイーツ

 

武田神社を散策したあとに寄りたいお土産屋さんは

かぶと屋さんです。

武田神社の目の前にあり、信玄公の関連グッツや

山梨のお土産で有名な信玄餅も買えます。

中でも最近の私の一押しのお土産が

LEDで七色に光る信玄公の像です!

夜寝る前にお部屋に置いて眺めてみると、

癒やされますよ(^_^)

その他にも良いお土産が色々あるので、

是非行ってみてください!


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そしてかぶと屋さんで食べられる信玄ソフトや

ぶどうソフトもオススメです。

信玄ソフトはきな粉と黒蜜がかかっていて、

とても美味しいですし、近くにベンチも

あるので座りながらゆっくり食べられます。

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まとめ

これまで武田神社を巡ってきてわかったのが、

信玄公は民衆や家臣を大事にする事を第一に

考えており、立派な高い強固な城よりも

人と人との繋がりこそ最も強い城になると

信じて甲斐国を統治していたのがよくわかりました。

甲斐国に生涯お城を築かなかったのがその証ですね。

人々もそういう信玄公の姿を見ていたからこそ、

日々安心して暮らしてきたのだと思います。

信玄公も言っていたように人々こそ石垣や堀や土塁で

あり、他のどの城より強いのです。

どんなに強固な城を築いても人々の心が離れていき

支持されなければ、意味がないのです。

少なからず信玄公が存命の時は、敵に一度も

甲斐国への侵攻を許さなかったのは事実です。

今現在でも山梨県の人々の心の中に

信玄公が生き続けているのがよくわかって、

本当に訪れて良かったと思います。

それでは今回の歴史散策のお話はこれで

終わりにしたいと思います(^_^)/

長々とお付き合い下さりありがとうございます!

次回の記事に乞うご期待でございます。

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編   おわり

 

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編

こんにちはこんばんはユキスナでございます(^_^)/

前回は信玄ミュージアムに行って武田家の歴史や

信玄公の生涯の軌跡を映像や展示物で学び、

いよいよ今回は武田神社(躑躅ヶ崎館)に実際に

行ってみようと思います。

 

 

信玄公のお住い訪問

 

武田通りをまっすぐ行くと信玄公のお住まいであった

武田神社(躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた)があり、

信玄ミュージアムからはすぐ近くです。

武田神社前にはかぶとやというお土産屋さんもあり、

信玄公のグッツを買うには最適ですね(^^)

戦国の時代ではこちらから主郭に入るのではなく、

右側の方にある大手門から入ることになります。

今回はそのまま鳥居のある出入り口から

入りますね。

 

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堀にかかる赤い橋を渡ると武田神社全体がわかる

案内板が見えてきます。

躑躅ヶ崎館は武田三代でも知られる

武田信玄公•武田信虎公•武田勝頼公が政治を行った

甲斐の国の中心地であります。

信虎公が躑躅ヶ崎館を建て府中に町を築き

政治的土台を作り、子である信玄公と孫である

勝頼公が引き続き館として利用しますが、

信玄公亡きあと勝頼公は韮崎の方に堅固な

新府城を築き政治の中心を移すことになります。

しかし城が完成する前に織田軍が甲斐国に

侵攻しやむおえず城に火を放ち燃え落ちて

しまいました。

信玄公は

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 

 仇は敵なり」という言葉を大事にしていたように

無理に躑躅ヶ崎館から人と金を費やして

急いで大きな城を作るよりも、

長引く戦で疲れていた民衆の気持ちに少しでも

寄り添う事が出来たならば、

また違う結果があったのではないかと

思ってしまいます。

しみじみと感慨深く色々考えて案内板の

館の全体図を見てしまいましたが、

とりあえず先に進んでいきましょう。

 


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鳥居をくぐって行くと左側に甲陽武能殿があり

主に能楽などが開催されております。

武田信玄公祭りなどの時は、三味線の演奏など

鑑賞できたり日本の文化に触れることができます。

戦国時代の武士は文武両道であり、

日頃から舞もたしなんでいたと思うので、

荒々しい時代の中にも華やかな日常を

忘れない心がけが感じられます。

 

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甲陽武能殿から歩いてすぐ、武田神社の本殿に

たどり着きます。

武田神社ができる前は主郭に信玄公の石祠(せきし)が

建てられていましたが、大正8年に神社として

創建されるようになり、今日まで山梨の人々に

愛され親しまれる場所になったのは信玄公の

甲斐の国を想う気持ちが強かったからと、

人々もまた信玄公を尊敬し誇りに想っているからこそ

他に類をみないような特別な場所になったのだと

思います。

この場所で信玄公が政務を行い歴史的な戦の

最終的な決断を下してきたと思うと、感動で

いっぱいでございます。

本殿近くには社務所があり御城印と御朱印も

販売されています(^^)/

 

↓武田神社と信玄ミュージアムの御城印です。
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本殿に参拝してから右側の方にある宝物殿に

行きたいと思います。

 

宝物殿は

       大人1名(高校生以上)小人(小•中学生)

個人     300円1名     150円1名

団体(30名以上)240円1名                     120円1名

入館時間 9:30〜16:00

休館日 毎週水曜日

宝物殿の中では武田信玄公が使っていた軍扇や

武田二十四将図や風林火山で知られる孫氏の旗が

展示されています。他にも歴史的な貴重な物を

見ることができるので是非訪れて自分の目で

確かめてみてください(^^)


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ではちょっと戻って武田水琴窟(すいきんくつ)と

姫の井戸にも行ってみましょう。

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武田水琴窟は江戸期の文化文政の時代に庭師が

作ったもので、土中に小さな穴の空いたカメを埋め

そのカメの穴にわずかに水を流すと、穴から水滴が

カメの底に落ちて反響する音が、琴の音に

聴こえることから水琴窟と呼ばれるらしいですね。

竹筒に耳を近づけ聴いてみるとピチャンッという

何とも癒やされる音が聴こえますよ。


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武田水琴窟の近くには姫の井戸があり、

信玄公の姫君が誕生した時に産湯として

使われたり、京からのお客様が来たときなど

茶の湯として出しては、おもてなししました。

井戸の近くからは茶釜なども発見されており、

宝物殿などで展示されているので是非

ご覧ください。

井戸の水は毎年検査しているので

飲料水としても飲めますが、持ち帰って

飲んだりその場で飲む場合は自己責任との事です。


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◆武田水琴窟案内板参照

◆姫の井戸案内板参照


姫の井戸から西曲輪の方へ移動しますと、

土塁のような所に信玄公500年記念の数字が

設置されていました。

地元の方々が手作りしたランタンで夜には

ライトアップされていたらしいですね。

残念ながら2021年の11月7日までで

ライトアップは見れないみたいです。


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信虎公時代の躑躅ヶ崎館は神社の本殿がある

主郭のみで、こちらの西曲輪や味噌曲輪や稲荷曲輪や

隠居曲輪は信玄公時代に拡張して作られた

みたいです。

徳川時代に主郭の方に造られた天守台は今は

立入禁止となっていて、遠くから見えるくらいです。

北枡形虎口土塁の上から主郭の方を見てみると

石垣のようなものが確認できます。

そして西曲輪は信玄公の嫡男である義信公と

今川義元公の姫君との婚儀あとに

新居として使われていて、北側には北枡形虎口があり

敵の侵入をこんなにさせる武田築城術の技法が

用意られており、虎口石積みも確認できます。

味噌曲輪への土橋あたりから一列でなだれ込み

敵がここまで来た瞬間四方から矢の雨が降り注いで

一網打尽で討ち取られてしまいますね(^_^;)

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南側にも南枡形虎口があり、こちらも用意には

攻めることはできません。

虎口の近くの土塁上から全体がよくわかるので

是非確認してみてください。


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信玄公が統治していた時は一度も領内に敵の

侵攻を許さなかったので、躑躅ヶ崎館での戦闘は

なかったと思われます。しかし信玄公の父親である

信虎公の時代に危機が訪れます。

今川軍の大将である福島正成が1万以上の

大軍を率いて甲斐の国に侵攻し、躑躅ヶ崎館の西方に

布陣して戦となりました。

この時武田軍は2000の兵で向かい幾度となく

戦闘を繰り返し、福島正成は武田方の士気が

下がるのを辛抱強く待っていましたが、

信虎公は夜襲をかけて敵将を次々と討ち

取りました。

その勝利を機に今川軍を甲斐国から一掃する

事ができたのです。

武田家の存亡の危機と躑躅ヶ崎館を戦禍に

さらさぬようにと必死に戦った信虎公と甲州武士の

強さがわかりますね。

ちなみにこの戦の最中に晴信(信玄公)が生まれました。

それでは主郭と西曲輪と見てきましたが、

次は外側の他の曲輪や武田丸馬出や堀など

見ていきたいと思いますが、

続きは後編になります。

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編   おわり

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編へ続く

 

次回もお楽しみに(^_^)/