ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

下総国千葉氏の亥鼻城に出陣!!

 

大河ドラマでも登場した千葉一族のお城へ

 

皆様こんにちはこんばんは(^_^)/

今回は千葉県の千葉市にある戦国の世で言えば、

下総国(しもうさこく)の領地を支配していた

千葉一族のお城である亥鼻城に行きたいと思います!

大河ドラマでも登場した千葉常胤(ちばつねたね)が

有名ですね。JR千葉駅から出発したいと思います。

今回私は徒歩でお城まで行来ましたが、

バスで行くと楽ですし迷わないです。

JR千葉駅東口バスターミナルから乗りましょう。

亥鼻城跡までの交通案内しますと

◇JR千葉駅下車、東口バス乗り場7番から京成バス

 「千葉大学病院」行き又は「南矢作」行きで

 「郷土博物館・千葉県文化会館」下車、徒歩3分

◇千葉モノレール「県庁前駅」下車、徒歩13分

◇JR本千葉駅下車、徒歩25分

◇京成千葉中央駅下車、徒歩30分


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JR千葉駅は比較的大きな駅であり、千葉モノレールや

京成線なども集まってるので線路も多く、

徒歩で行く場合は道に迷いそうですが、

何とか地図を見ながらどうにか目的地に到着!

入り口は複数ありますが、正面入り口から

入って行きますね。

入り口から少し歩くと千葉開府850年記念の碑が

建てられており、千葉常胤公の姿が見えます。

夏には毎年親子3代祭りなどがあり、市街地を

武者行列が行進するらしいです。

千葉常胤公が源頼朝公と共に打倒平家のため

兵を引き連れて行進する姿が想像できるので、

こういう行事は良いですね(^_^)


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天守閣として作られた郷土博物館の前には

千葉常胤公の騎馬像が置かれており、

空に向け矢を射るような姿をしています。

千葉市のさらなる発展を願い、未来への

メッセージを矢に託す千葉常胤公がイメージ

されてるようです。

今にも動き出しそうな躍動感がありますね。

この亥鼻城の城郭構造は平山城で

千葉氏の有力家臣の原氏が築城しました。

この亥鼻城には土塁や堀や物見台跡なども

みられます。 

それでは天守閣の中の郷土博物館に

入ってみましょう(^^)/


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千葉市立郷土博物館

入館料  無料でございます!

開館時間 午前9時00分〜午後5時00分

     (入館は午後4時30分までです)

休館日  月曜日(月曜日が祝日の場合翌平日が休館)

     年末年始・臨時休館する場合あり。

駐車場  乗用車25台(無料)、大型バス3台(無料)

                    バスでご利用の際はあらかじめご連絡が

     必要です。


入り口の受付でどこから来たのかを伝え

中に入館することができます。

無料なので良いですよね(^^♪

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1階と2階が企画展示室になっており、

3階と4階が常設展示室になっています。

ではまず1階の企画展示室に行ってみると、

大河ドラマでも人気の鎌倉殿の13人のポスターが

貼ってあったりして見学する人が増えたことが

伺えます。1階には講座室もあり歴史や民俗に

関係する講座を学べたり、昔の着物や甲冑など着て

体感することができます。(事前申込み必須です)

順路としては階段右側のスロープ降りて

観ていく感じですかね。

ここに展示されているのは千葉氏に関する歴史

年表や大河ドラマでも登場する源頼朝に関係する

武士たちについて紹介しています。

千葉常胤と13人の御家人南関東編

(期間限定なので現在は公開されていません。)

 

◇和田義盛 久安3年(1147)〜建保元年(1213)

 和田義盛は三浦義明の孫であり、相模国三浦荘を

 本拠地とした三浦氏の一族です。

 三浦氏は平家方の大庭景親に日頃より圧迫されて

    おり、その現状を打破するため頼朝に力をかしたと

 言われています。

 その同じ一族である和田義盛は弓の名人であり、

 常に頼朝の側に使えたことから、信頼があつく

 側近として大事にされていました。

 

◇千葉常胤 元永元年(1118)〜建仁元年(1201)

 石橋山の戦いに敗れて、房総半島に逃げて来た

 頼朝が頼りにした有力武士の一人で、

 頼朝の父である義朝にも使えていたことから

 信頼は厚く富士川の戦いにも参戦しました。

 鎌倉に武家政権を樹立することにも貢献したり、

 奥羽合戦の功績では大幅に所領を増やしました。

 

◇葛西清重 応保元年(1161)?

 葛西清重は千葉常胤の娘を妻として迎え、

 坂東の喉元で軍事•経済の要衝である

 下総国葛西郡を本領として治めていました。

 源頼朝の挙兵の際にはすぐさま馳せ参じ

 同族の江戸氏•川越氏•畠山氏を陣営に連れて

 来ました。

 頼朝が鎌倉に向かうルートの確保も万全に整え

 頼朝からの信頼を勝ち取ったのです。

 

◇上総広常 生誕未詳〜じゅえい2年(1183)

 上総広常は頼朝の父である義朝に従って、

 保元の乱と平治の乱に参戦しました。

 平氏政権になったとき平氏方の有力家人であった

 伊藤忠清が上総介に任じられて、その立場が

 脅かされるようになった丁度その時に、

 源頼朝が房総半島に逃げて挙兵を

 することを知ります。上総広常はすぐさま

 大軍を率いて頼朝のところまで参陣することに

 なり、千葉氏と連携して頼朝に力をかしました。

 

◇梶原景時 生誕未詳〜正治2年(1200)

 梶原景時は源頼朝挙兵のときに同族の

 平氏方である大庭景親と共に戦いましたが、

 石橋山の戦いで敗れた源頼朝を山中で

 発見するも、見逃して助けたといいます。

 その後梶原景時は源頼朝の元で活躍して

 信頼を得ていきます。

 御家人中屈指の実力者であった上総広常が

 不遜な態度をとったということで、

 誅殺する役目もはたしたり頼朝の弟である

 源義経が後白河法皇側に近くなりすぎたことから

 失脚させる役目もはたしました。

 

◇北条時政 保延4年(1138)〜建保3年(1215)

 北条氏は代々伊豆国田方郡北条を本拠と

 していて、伊豆国の源頼政支配下にありましたが

 頼政が死んだ後で平氏政権に強く圧迫

 されていくことになります。

 その後伊豆国に配流されてきた源頼朝に

 自分の娘である北条政子を嫁がせ、

 挙兵の支援をしていくことになり、

 源頼朝を最後まで支え続けました。最終的には

 鎌倉幕府初代執権にまでのぼりつめる事に

 なるのです。

 

ここまで簡単に説明していきましたが、

より詳しく知りたい方は是非来館することを

オススメします(^^)/

その他にも1階には鎌倉時代当時の鎧のレプリカが

展示されていたり、戦い方の説明がされていたりと

勉強になる事が多かったです。

それでは続けて2階に上がって行きましょう!

2階は企画展開催期間以外は武器•武具や

天文資料や収蔵資料などが展示されています。

階段の上にあがると千葉常胤公の木造が

出迎えてくれます。

この階は甲冑など武器が展示されていて、

普段甲冑など見る機会が少ない人にとっては

近くで詳しく見ることができるのは良いです。

日本の甲冑を少し説明すると

 

大鎧 平安時代頃に使われた武具でその当時は

   弓矢などが戦いの主流だったので、

   兜の反り返り部分が吹返になっており

   矢での攻撃を防ぐ効果がありました。

 

胴丸 鎌倉時代以降に使われた武具であり、

   今までは騎馬上から弓矢で戦っていましたが、

   だんだん白兵戦の戦いになっていったことから

   なるべく動きやすい防具が好まれたみたいです

 

当世具足 戦国時代に使われた武具で

     この時代になると、弓矢•鉄砲•槍などから

     体を守るべく特に防御力の高く生産性を

     重視した武具が使われていました。

     戦国時代の鎧兜は個性的な部分もあったり

     芸術性もあります。

この階には鉄砲の伝来の説明など、今まで戦に使われていた飛び道具は弓矢や石ころなどでしたので、

革新的に変わった最新の武器での戦の始まりが、

紹介されていたのはわかりやすかったと思います。

 

鉄砲(種子島) 天文12年(1543年)ポルトガル人を

       乗せた中国の船が種子島に到着した

       事から、その当時は種子島と呼ばれて

       いたらしいですね。

鉄砲と聞いて思いつくのは戦国時代の武将織田信長!

設楽原の戦いで武田氏と戦ったのが有名ですね。

武田の騎馬隊に多数の鉄砲を使い攻撃して

打ち負かしたのは、新たな戦の仕方が変わった瞬間で

あったと思います。

当時火縄銃で撃つと時間がかかりすぎて

一度撃ったら、2発目撃つ前にやられてしまいます。

織田信長はその弱点を克服するため三段撃ち

(人を横に3列並べて順次撃つ)を

考えつき、なるべく止まることなく連続して

撃てるよう工夫したのです。

近年ではこの鉄砲三段撃ちも本当にあったかは

疑わしいところがあると言われていて、

思っていたより鉄砲の数などは少なかったのかも

しれませんね。

ここで少し休憩していきたい思います(^^)/

この2階のフロア右側の窓側付近に休憩所が

設けられており、自分で用意すれば軽い軽食も

とれます。奥には自販機などもあるので、是非

お城の中でゆっくり景色をみながら楽しい時間を

お過ごしください。     


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それでは休んだら続けて3階に行ってみましょう。

3階は主に千葉氏の勃興から滅亡までの500年の

歴史をたどる展示と千葉氏が信仰していた

妙見信仰ということについて資料が展示されています。

他にはこの地域の武士の動向など時代にそって

紹介されているのは、良いと思います。

 

妙見信仰 千葉氏が信仰した妙見とは北極星や

     北斗七星を神とあがめて、

     戦での活躍や勝利を願い導いてくれる

     存在として大事にされてきました。         

     妙見像には軍神としての役割もあり、

     一族が団結して戦えるようにと、

     作られたらしいです。

 

下総国での千葉氏の影響力は大きく、

源頼朝も頼りにする有力武士です。

戦国時代になると相模の北条が領地を増やすため、

関東地方に出兵して味方を増やしていきました。

北条だけではなく越後の上杉氏などの影響も

あり、度々関東にも出兵しています。

千葉氏は北条方に属し豊臣秀吉の小田原攻めでは

小田原城に籠城するも降伏し、領地を没収されて

滅亡してしまいます。

関東の覇権を握っていた北条氏でも時の権力者の

豊臣秀吉には敵わなかったということがわかります。

戦国時代いかに自分の領地を守って行くことが大変で

難しいのがよくわかりますね。

簡単すぎるほど短く説明したので、

是非来館して千葉氏の栄枯盛衰と

その地域の歴史や出来事など自分の目で

確かめてみてください。

 

そして4階にあがって行きます。

この4階は明治•大正•昭和の千葉市の歴史について

紹介展示されています。

戦前戦後の千葉市の街の変化やそこで暮らす

人々の生活の様子など、資料や道具など展示されて

いるので、当時の事がわかりやすくなっています。

映像コーナーもありますよ!

最後に5階の展望室にあがって見ましょう。

5階には展示コーナーと顔出しパネルが

設置されているので、是非記念に武士やお姫様に

なった気分で写真を撮られてはいかがでしょうか(^_^)

 

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5階天守からの千葉市の街並みの様子が

素晴らしかったです。

今はビルが建ち並んでいますが昔は海まで観えて

見晴らしが良かったのかな。

戦国期の亥鼻城はこれほど高くなかったと思いますが

高い建物がないだけでも、遠くまで見通せますよね。


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名残り惜しいですが1階まで降りていきましょう!

では城の西側の土塁跡地に行ってみます。

実はこの亥鼻城跡で発掘調査された結果

鎌倉時代の館など城跡は確認できてないらしいです。

ここで発見されたのは室町時代後期(戦国時代)

千葉氏の有力家臣の原氏が築城した城跡だというのが

有力らしいですね。

この土塁近くで平安時代後期から鎌倉時代の火葬骨が

入った骨壷が発見されたので、城ができる前は

墓地であったとも言われています。

この地域で見つかるということは千葉氏のものとも

言えるかもしれませんね。


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この北側にある神明社と本丸跡の間には空堀があり、

神明社側に物見台があったと言われています。

昔は千葉の海岸沿いまで見えてたらしいので、

広い範囲を監視できたことでしょうね。


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現在千葉氏の館跡と思われる場所は御殿跡と呼ばれた

千葉地方裁判所跡地にあったとも言われてますが、

後に千葉氏が本拠地を本佐倉に移したことや

資料が少ないのもあり、まだわからないことが

多いらしいです。

もっと詳しく千葉氏に関する場所を巡りたい方は

ゆかりの地コースなどがあるので、

是非散策しながら訪れてみてください。


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それでは一通り見て回ったら亥鼻公園の入り口

付近にある、いのはな亭に行ってみましょう。

ここでは美味しい団子や軽食をとれます。

利用時間

10:00〜16:40分(ラストオーダー15:45)

定休日(12月31日〜1月3日)

お品書き

 

名物いのはな団子

バラ150円、3個430円、皿団子500円

あんみつ530円、いそべ焼き500円、おしるこ500円

おにぎりセット530円

くず餅皿430円、けんちん汁450円、

けんちんうどん550円、あべかわ餅380円

白玉きなこ430円、白玉寒天500円、

白玉ぜんざい500円、ところ天380円、豆寒天430円

抹茶のみ430円、抹茶セット550円、抹茶雪ん子660円

雪ん子セット380円、雪ん子バラ280円

水まんじゅう430円、水まんじゅうバラ430円

甘酒230円•日本酒360円•ビール360円

 

どれも美味しそうですね(^^♪

実は昼時に行って混み合っていたので、

食す事ができなく残念に思います。

お城みながらお団子食べられるとは素晴らしいです。

次回食べることができれば紹介いたしますね!


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亥鼻城の御城印はいのはな亭で300円で販売

されているので、是非郷土博物館に寄ってから

ご購入してみてはいかがでしょうか。

千葉常胤公の姿と家紋が素晴らしいですね。


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お土産としてせんべいとようかん買ってみました。

どちらも素朴な味で食べやすかったですね。

せんべい500円、ようかん680円

興味ある方は買ってみてください。

 

下総国千葉氏の亥鼻城に出陣!!    おわり

次回またお会いしましょう!

◇亥鼻城跡案内板参照

◇千葉市立郷土博物館パンフレット参照