上田城の三の丸から二の丸へ
こんにちは(^_^)/それでは観光会館前にある
二の丸橋からいよいよ攻略して行きますよ!
二の丸橋の上から下を見てみると二の丸堀があり
今はけやき並木の遊歩道として整備されています。
堀があった場所をゆっくり歩いて行けるのは
嬉しいですね。
この場所には昔昭和2年から47年まで電車が
通っていたらしく、プラットホーム跡があり
公園前駅として利用されていました。
堀があった場所に線路が通っていたのが
びっくりですね。
二の丸橋を渡った後右側の方には平和の鐘が
移築されており、昔はこの鐘で上田城下町の人々に
時を知らせていたらしいです。
鐘の音が町中に響いていた事を想像すると素敵ですね。
二の丸橋を少し歩いていくと右側に上田市立博物館の
看板が見えてきます。
上田市立博物館
開館時間 8:30分〜17:00分(最終入館は16:30分迄)
休館日 水曜日・祝日の翌日・年末年始
料金 300円
現在上田市立博物館では真田氏関連資料が
別館で公開されています。
本館の方では真田昌幸公着用の鎧や、
歴代藩士の資料や地域の歴史などを学べます。
博物館別館では400年前の上田城をVRとして
リアルに再現している映像も観れて体感できますよ。
上田市立博物館で真田氏や上田地域の事を学んだら
上田城内の散策に行ってみましょう。
有名な真田石でも知られる東虎口櫓門の方は
後のお楽しみにして、まずは本丸土塁の隅おとしを
見に行ってみます。
この隅おとしは丑寅の方角に切り込みをし
鬼門よけとして作られた上田城ならではのものです。
北東の方は鬼が出入りする方角であり
忌み嫌われているので、あえて角を落として
鬼門を無くしているのですね。
ここで上田城内のトイレチェックもしていきますと、
二の丸橋渡った左側にトイレと上田市立博物館の
近くと、本丸土塁の隅おとし近くにもあります。
他にも上田城跡北観光駐車場にも一つ尼ヶ淵の
方にある上田城跡駐車場にも一つで、
全部で5箇所はありますね。
若いうちは特にトイレの事は気にしないかも
しれませんが、歳を重ねて行くと気になっちゃう
ものです。快適に旅行をするには心配事は
ない方が良いですものね。
では引き続き城内の北虎口の石垣に行ってみますと、
綺麗に石垣が復元整備されているのがわかりますね。
北虎口の石垣近くには陸上競技場や児童遊園地が
ありますが、その辺りが百間堀という
広大な堀跡になります。
すぐそばに石樋(いしどい)城内の水を排水する
設備もあります。
元禄15年(1702年)の修復の際に木の造りから
石の造りに変えたものになります。
本丸南側に千曲川沿いの尼ヶ淵があり本丸北側には
百間堀があり、容易には敵も突破できないものと
考えられますね。
本丸の北側から攻めれば背後にある砥石城から
出撃した部隊に挟み撃ちにあいやられてしまいます。
第一次上田合戦の時も上田城の東側から徳川勢が
攻めかかりましたが、砥石城から出撃した部隊に
側面を突かれ徳川勢は混乱し
神川まで引きますがそこで川の堰(せき)を決壊させた
真田昌幸の軍略で徳川勢は川にのまれ溺れて
撃退されてしまいます。
川と堀で囲まれた上田城とそこを守る真田氏を
攻めるには本当に大変だということがわかりますね。
しかも第二次上田合戦も勝利し天下の徳川に
二度も勝利したのです!!
それでは他の場所に行く前に上田城内にある
真田忍者修練所に行ってみましょう!!
真田と言えば真田十勇士が有名ですが、
その真田十勇士のもとになったと言われているのが
山伏です。山伏は全国を歩き回ったりしても不審に
思われず、潜入するにはもってこいの存在でした。
その山伏を忍びのように使っていち早く情報を
手に入れる事で、戦や外交にも有利に働いたと
思われます。
真田忍者修練場は上田城内の招魂社境内で
(しょうこんしゃけいだい)
日時は3月〜11月 日・祭日・土曜日(8月のみ)
時間は9:30〜14:00まで
修行は1〜4まであり、
修行1は忍者の呪文を唱える。
(九字護身法 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前)
修行2は手裏剣
修行3は矢吹術
(修行2・修行3 両方合わせて300円)
修行4は修練場をかけ回る(お子様)無料
上田城内で手裏剣投げや矢吹術など
忍者修行ができるとは何とも面白いし、
貴重な体験なので是非訪れてチャレンジして
みてください(^^)/
では次に二の丸西虎口に行ってみましょう。
ここは石垣が無くなっていますが、基礎の根石列が
発掘調査では残されているのがわかりました。
あと櫓門の礎石跡もあることがわかっており、
元和8年(1622年)城主の千石忠政公が二の丸西虎口に
建設しようとしますが、病気で亡くなって
未完のままになってしまいました。
二の丸西虎口にかかる小泉橋から二の丸堀跡も
よく見えますが今では木々が生い茂っています。
この堀の右側部分が小泉曲輪になっており
西側からの敵の侵攻に備えた作りになっています。
小泉曲輪の横にはため池と百間堀で容易には
渡ることはできませんので、本丸西側からの敵は
小泉曲輪の方に攻めるしかないのです。
小泉曲輪の南側は急峻な崖になっており、
千曲川が流れる尼ヶ淵を超えて来るのは
難しいと思われます。
↓二の丸堀
ではその尼ヶ淵のある本丸南側の方に
行ってみましょう。
尼ヶ淵のある南側の崖は崩れやすく保護対策は
必須であり、上田藩2代藩主の松平忠愛公(ただざね)は
南・西櫓下の下段に洪水被害から守るため
大規模な石垣を作りました。
↑洪水の影響で崖が削られているのがわかりますね。
今ではのどかな芝生広場が広がっていますが、
昔はこの辺りは洪水被害にあうほどの
水が流れていたとは想像もできませんね。
この広場では春に開催される上田真田祭りで
信州真田鉄砲隊による演舞など観れるので、
是非機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか!
◆上田城跡公園内の案内板参照
戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編 おわり
次回はいよいよ本丸突入!
戦国最強の真田の城をぶらり散策 後編につづく