ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

戦国最強の真田の城をぶらり散策 後編

 

 

二の丸からいざ本丸へ

 

それではいよいよ本丸に進んでいくとしましょう(^_^)/

上田のお城といえばこの東虎口の櫓門が最初に

目につきますね。

櫓門には真田の六文銭の旗がたてられており、

上田城に来る人々を迎えてくれます。


f:id:yuki-snu2:20220213180459j:image

南櫓門の前には堀の水を排水する石樋(いしどい)も

見られます。

石垣の向こうは尼ヶ淵なので堀の水をそのまま

千曲川にながしていたんですね。


f:id:yuki-snu2:20220213180549j:image

そして城門の方へ歩いていきますと、

右側に大きな真田石があるのがわかります。

この真田石には伝説があり昔真田信之公が

現在の上田から松代に移封になったときに、父である

真田昌幸公の形見として松代に運ぼうとしたところ、

ピクリとも動かず断念したというものです。

昌幸公が築城したこの上田城から離れたく

なかったのですかね(・・;)

直径3メートルの巨石です。

この上田城に使われている石垣の石の多くは

北側にある太郎山から運ばれてきたものです。

昔は重機などないので全部人の手で運んだと思うと

城造りの大変さがわかりますね。


f:id:yuki-snu2:20220217210832j:image

ではこの真田石の上にある東虎口櫓門に上がって

みましょう。

この櫓には火縄銃や甲冑など小松姫が乗った駕籠

など貴重な品が展示されています。

(小松姫は徳川家康の家臣である本多忠勝の

 娘であり、信之公の奥方です。)

この北櫓と南櫓は一度は民間に払い下げられ、

また買い戻したという経緯があり、今のような

東虎口櫓門となるまで復元された事は歴史ファン

として嬉しいことであり、地元の人達が誇れる

一つのシンボルになっていると思います。

なので、この櫓門の中にはいって観覧する場合は

入る前に靴をスリッパに履き替えます。

靴の汚れで床が傷みますからね。

 

f:id:yuki-snu2:20220213181529j:image

この櫓門の観覧は有料であり、櫓門近くで入場券が

販売されています。

  

          櫓・櫓門   共通券

   一般                         300円   500円 

個人 高校生以上の学生 200円   300円

   小中学生     100円   150円

   

   一般      250円   400円

団体 高校生以上の学生150円            250円 

   小中学生      50円               80円

櫓門と博物館両方見る場合は共通券を買った方が

お得だと思います。 

開館が8:30分

閉館が5:00分

入館は4:30分までです。


f:id:yuki-snu2:20220213181556j:image

櫓門を観覧したあとは本丸跡地に

行ってみましょう(^^)/本丸跡地は

真田神社の横の道を進んでいくと

見えてきます。

本丸跡地は開けた場所にあり、秋に来れば

紅葉が見頃になって綺麗ですし、春に来れば

桜もみれてお花見にはもってこいの場所で

ございます。

今では人々の憩いの場所として親しまれていますが、

戦国時代には徳川と対決するにあたって、

軍議が開かれていたであろう場所だと

思うと、歴史ロマンを感じずにはいられないですね。

この上田城は上杉軍の侵攻に備えたお城を

造るということで、真田昌幸公が徳川家康を

上手く利用して造らせたお城です。

真田氏の上州沼田領について徳川家康は北条に

渡すよう命じましたが、昌幸公はこれに従わずに

上杉氏を主としていくことを選びます。

この事に徳川家康は怒り7000の兵を上田に

派兵することになります。

これが第一次上田合戦の始まりです。

この後第二次上田合戦に勝利したものの

関ケ原で石田三成が敗れ、西軍についていた

昌幸公と信繁公は上田城から和歌山にある

九度山に送られる事となり、

上田城は完璧にはかいされます。

東軍についていた信繁公の兄信之公が上田に入り

ますが、信之公は城を再興せず三の丸の城下町に

屋敷を構えて藩主となりました。

今現在の上田城の姿は真田氏の後に上田の藩主に

ついた仙石忠政公が再興させたものだと言うことです。

 

f:id:yuki-snu2:20220213181730j:image

f:id:yuki-snu2:20220213181745j:image

では最後に真田神社の方へ向かいましょう!

真田神社は毎年数多くの受験生がご利益を求めて

訪れる場所で、上田合戦では二度も勝ち

お城が落ちなかった事から、落ちないお城の運気を

いただくために皆一生懸命に祈りに来ます。

戦国時代最も力を持った徳川軍と戦っても

落ちないのですから、信憑性は高いですよね。

本当に凄いパワースポットだと思います。

真田神社では御朱印帳が1500円で、

御朱印が500円です。絵馬は600円です。

カッコイイので是非ゲットしてくださいね。


f:id:yuki-snu2:20220213181954j:image

その他にも境内には真田の六文銭の兜を模した大きな

オブジェクトがあったり、願いを込めた絵馬を飾る

場所には赤い柵がアーチのようになっていて、

色鮮で綺麗です。

色々な願いが込められた素敵な場所であり、

今も真田氏を愛する多くの地元の人々の

温かい想いがこちらにも伝わってくる

特別な場所であることがわかりますね。

昌幸公や信繁公もこの場所を訪れる人々を

優しく見守ってくれている気がしました。


f:id:yuki-snu2:20220213182357j:image

f:id:yuki-snu2:20220213182412j:image

それでは真田神社横を通り西櫓に行ってみます。

こちらには上田城唯一の井戸があり、籠城する時も

水の確保は万全です。

武田氏に使えていた時金堀衆を使って城の水の手を

絶って戦っていたのをずっと見てきたので、

水の重要性は特に気にしていたのでは

ないでしょうか。

上田城は川と川に挟まれた場所にあって、

水攻めされたら孤立しそうですが、

地形的に南側の尼ヶ淵の急峻な崖の段差により

完全な形での水攻めは困難であり、

逆に敵を堰き止めた川の水で撃退させるなど

上手に自然の力を利用して戦って勝つところは

本当に凄いですね。

この井戸には伝説が残されていて、この井戸の中に

隠し通路があって、城下町の上田藩主屋敷に

通じているとか、近くの太郎山まで通路が

繋がっていて万が一の時の逃げ道になってるとか

言い伝わっているらしいです。

真田昌幸公ならば最悪の事態を想定して

隠し通路を造っていたとしてもおかしくはないですね


f:id:yuki-snu2:20220213182516j:image

真田の井戸の近くには新しく作られた真田信繁公の

銅像があり、左手に十文字槍を持ち右手に扇子を

持った、勇壮な姿を拝見できます。

真田信繁公の騎馬像も素晴らしかったですが、

こちらの立ち姿の銅像もまた勇ましく

カッコイイですね。


f:id:yuki-snu2:20220213182545j:image

それでは目の前の西櫓に行ってみましょう。

この西櫓は仙石忠政公が再興した際に建築された

もので東虎口にある北櫓と南櫓と違って、

一度も移築されることなく現存しているものです。

よく考えてみると今上田城にある歴史的建築物は

大抵真田氏が治めていた時代のものでなく、

後に上田の藩主になった仙石氏によって復興

されたものが多いです。

それもしょうがないのですが、上手い具合に真田氏に

利用され造った上田城で二度も真田氏に敗れたと

なれば家康公も怒らずにはいられないでしょうね。

私も徳川家康公の立場なら跡形もなく破壊したい

気持ちはわかります(^o^;


f:id:yuki-snu2:20220213182603j:image

西櫓から尼ヶ淵の方へ目を向けてみると、

眼下に芝生広場が広がり、戦国時代には

ここらへんは千曲川が流れていたとは

思えないくらいのどかな景色ですね。

上田の街並みも綺麗ですし、尼ヶ淵の上から

見ると余計にこの場所の高さがわかります。

敵がこの崖を登ってくることはかなり困難であり、

上田城を攻めるうえで敵の侵攻ルートが

東西南北のうち一箇所なくなることで、

他の場所に味方の兵を送ることができるのは

守る側としては守りやすいと思います。

(あくまでも私の感想ですが^_^;)


f:id:yuki-snu2:20220217211223j:image


 

最後に上田のお土産を少し紹介します!

 

上田のお土産で有名なお菓子の一つである

みすず飴は乾燥ゼリー菓子で、一つ食べたら

また一つと止まらなくなる美味しさです。

現在赤スモモを使用した味も限定品として

販売されています。

値段は260gで500円くらいです。

私は上田市観光会館で買ったのですが、

上田城に行く途中にもみすず飴の飯島商店さんの

本店があるのでそちらでも色々な種類が買えますよ。

そして左下のくるみおはぎは旧北国街道沿いにある

名取製餡さんのおはぎで、とても美味しいです。

上田に行くときは必ず買っています。

一つ200円くらいで買えますよ👍

最後に上田駅の大水車近くのお土産処北村さんの

純米どぶろくです。生酒で酵母が生きており

フタを開けるとき炭酸みたいにシュワシュワして

のどごし最高で美味しいです。

お店の人に運ぶとき横にしてはダメと言われたほど

このお酒は生きて息をしてるそうです。

何とか気おつけながら縦にして運びました^_^;

私はあまりお酒の事には詳しくないので逆に

お酒に申し訳ないと思っちゃいました。

フタの上の部分に空気穴的なものがあったので、

そこから息をしてるのかな?

普段全然酒を飲まない私でも楽しめました。

300ml 650円くらいです。オススメです!!

私がどぶろくを選んだ理由が戦国時代の

武士がにごり酒を飲んでいたので、

少しでもその雰囲気を味わえれば良いと

思ったからです。

もう一つが信州限定七味唐辛子ビール!!

八幡屋磯五郎さんとのコラボ商品だそうです。

辛いものが苦手な人でも飲みやすい後味の

爽やかなビールでございます。

一本400円くらいしますね。

まだまだまだ上田には美味しいものが

いっぱいなので、食べに来てください。


f:id:yuki-snu2:20220216212442j:image

 

ここまで一通り上田城を見てきましたが、

まだまだ私などでは語り尽くせない

魅力が上田の街や上田城にはあるので、

是非皆様も現地に訪れて自分の目で上田の

歴史ロマンやその地域の食を味わい

体感してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

◆上田城案内板参照

戦国最強の真田の城をぶらり散策  後編  おわり

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編

上田城の三の丸から二の丸へ

 

こんにちは(^_^)/それでは観光会館前にある

二の丸橋からいよいよ攻略して行きますよ!

二の丸橋の上から下を見てみると二の丸堀があり

今はけやき並木の遊歩道として整備されています。

堀があった場所をゆっくり歩いて行けるのは

嬉しいですね。

この場所には昔昭和2年から47年まで電車が

通っていたらしく、プラットホーム跡があり

公園前駅として利用されていました。

堀があった場所に線路が通っていたのが

びっくりですね。


f:id:yuki-snu2:20220203065957j:image
二の丸橋を渡った後右側の方には平和の鐘が

移築されており、昔はこの鐘で上田城下町の人々に

時を知らせていたらしいです。

鐘の音が町中に響いていた事を想像すると素敵ですね。

二の丸橋を少し歩いていくと右側に上田市立博物館の

看板が見えてきます。

 

上田市立博物館

開館時間 8:30分〜17:00分(最終入館は16:30分迄)

休館日  水曜日・祝日の翌日・年末年始

料金   300円

現在上田市立博物館では真田氏関連資料が

別館で公開されています。

本館の方では真田昌幸公着用の鎧や、

歴代藩士の資料や地域の歴史などを学べます。

博物館別館では400年前の上田城をVRとして

リアルに再現している映像も観れて体感できますよ。


f:id:yuki-snu2:20220203212445j:image

f:id:yuki-snu2:20220203212540j:image

上田市立博物館で真田氏や上田地域の事を学んだら

上田城内の散策に行ってみましょう。

有名な真田石でも知られる東虎口櫓門の方は

後のお楽しみにして、まずは本丸土塁の隅おとしを

見に行ってみます。

この隅おとしは丑寅の方角に切り込みをし

鬼門よけとして作られた上田城ならではのものです。

北東の方は鬼が出入りする方角であり

忌み嫌われているので、あえて角を落として

鬼門を無くしているのですね。


f:id:yuki-snu2:20220203215906j:image

ここで上田城内のトイレチェックもしていきますと、

二の丸橋渡った左側にトイレと上田市立博物館の

近くと、本丸土塁の隅おとし近くにもあります。

他にも上田城跡北観光駐車場にも一つ尼ヶ淵の

方にある上田城跡駐車場にも一つで、

全部で5箇所はありますね。

若いうちは特にトイレの事は気にしないかも

しれませんが、歳を重ねて行くと気になっちゃう

ものです。快適に旅行をするには心配事は

ない方が良いですものね。

では引き続き城内の北虎口の石垣に行ってみますと、

綺麗に石垣が復元整備されているのがわかりますね。

 

f:id:yuki-snu2:20220203215933j:image


北虎口の石垣近くには陸上競技場や児童遊園地が

ありますが、その辺りが百間堀という

広大な堀跡になります。

すぐそばに石樋(いしどい)城内の水を排水する

設備もあります。

元禄15年(1702年)の修復の際に木の造りから

石の造りに変えたものになります。


f:id:yuki-snu2:20220203215957j:image


本丸南側に千曲川沿いの尼ヶ淵があり本丸北側には

百間堀があり、容易には敵も突破できないものと

考えられますね。

本丸の北側から攻めれば背後にある砥石城から

出撃した部隊に挟み撃ちにあいやられてしまいます。

第一次上田合戦の時も上田城の東側から徳川勢が

攻めかかりましたが、砥石城から出撃した部隊に

側面を突かれ徳川勢は混乱し

神川まで引きますがそこで川の堰(せき)を決壊させた

真田昌幸の軍略で徳川勢は川にのまれ溺れて

撃退されてしまいます。

川と堀で囲まれた上田城とそこを守る真田氏を

攻めるには本当に大変だということがわかりますね。

しかも第二次上田合戦も勝利し天下の徳川に

二度も勝利したのです!!


f:id:yuki-snu2:20220203220512j:image

 

それでは他の場所に行く前に上田城内にある

真田忍者修練所に行ってみましょう!!

真田と言えば真田十勇士が有名ですが、

その真田十勇士のもとになったと言われているのが

山伏です。山伏は全国を歩き回ったりしても不審に

思われず、潜入するにはもってこいの存在でした。

その山伏を忍びのように使っていち早く情報を

手に入れる事で、戦や外交にも有利に働いたと

思われます。

 

真田忍者修練場は上田城内の招魂社境内で

           (しょうこんしゃけいだい)

日時は3月〜11月 日・祭日・土曜日(8月のみ)

時間は9:30〜14:00まで

修行は1〜4まであり、

修行1は忍者の呪文を唱える。

(九字護身法 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前)

修行2は手裏剣 

修行3は矢吹術 

(修行2・修行3 両方合わせて300円)

修行4は修練場をかけ回る(お子様)無料



f:id:yuki-snu2:20220211211058j:image


上田城内で手裏剣投げや矢吹術など

忍者修行ができるとは何とも面白いし、

貴重な体験なので是非訪れてチャレンジして

みてください(^^)/

では次に二の丸西虎口に行ってみましょう。

ここは石垣が無くなっていますが、基礎の根石列が

発掘調査では残されているのがわかりました。

あと櫓門の礎石跡もあることがわかっており、

元和8年(1622年)城主の千石忠政公が二の丸西虎口に

建設しようとしますが、病気で亡くなって

未完のままになってしまいました。

f:id:yuki-snu2:20220203220451j:image


二の丸西虎口にかかる小泉橋から二の丸堀跡も

よく見えますが今では木々が生い茂っています。

この堀の右側部分が小泉曲輪になっており

西側からの敵の侵攻に備えた作りになっています。

小泉曲輪の横にはため池と百間堀で容易には

渡ることはできませんので、本丸西側からの敵は

小泉曲輪の方に攻めるしかないのです。

小泉曲輪の南側は急峻な崖になっており、

千曲川が流れる尼ヶ淵を超えて来るのは

難しいと思われます。

↓二の丸堀
f:id:yuki-snu2:20220203221337j:image

 

ではその尼ヶ淵のある本丸南側の方に

行ってみましょう。
尼ヶ淵のある南側の崖は崩れやすく保護対策は

必須であり、上田藩2代藩主の松平忠愛公(ただざね)は

南・西櫓下の下段に洪水被害から守るため

大規模な石垣を作りました。

 

f:id:yuki-snu2:20220203222241j:image

f:id:yuki-snu2:20220210070103j:image

↑洪水の影響で崖が削られているのがわかりますね。
今ではのどかな芝生広場が広がっていますが、

昔はこの辺りは洪水被害にあうほどの

水が流れていたとは想像もできませんね。


f:id:yuki-snu2:20220210222001j:image


この広場では春に開催される上田真田祭りで

信州真田鉄砲隊による演舞など観れるので、

是非機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか!

 

◆上田城跡公園内の案内板参照

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編  おわり

 

 

次回はいよいよ本丸突入!

戦国最強の真田の城をぶらり散策 後編につづく

 

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 前編

こんにちは(^_^)/今回は「日本一の兵」と言われた

真田信繁こと真田幸村公の居城である上田城に

訪れたいと思います。

東京から上田まで新幹線で1時間30分くらいで

片道自由席は6260円、指定席6790円です。

 

 

上田市観光会館2階で御城印をゲット

 

長野県は移住する場所としても人気があって、

東京から気軽に行ける場所です。

歴史的にも有名な場所である上田に

行けることは嬉しく、戦国時代好きな人は

一度は訪れたい場所であります。

戦国時代ではこの地域は村上氏と真田氏が

領地をかけて戦った場所でもあり、

甲斐国の戦国武将である武田信玄公も

信濃平定のため村上義清と対決しに

この地まで出陣したのですが、

上田原の戦いにおいて村上義清に敗れ

重臣の板垣信方や甘利虎泰を討ち取られて

しまいます。

さすがの信玄公も猛将村上義清に勝利するのは

苦戦したようですね。

その激戦の地には上田駅から別所線に乗り換えて

上田原駅で降りて、上田原古戦場公園という所が

あるので時間がある方は向かってみましょう。

上田原古戦場の碑は上田原古戦場公園の

斜めしたの石久摩神社にあります。

今回の散策では上田原の方は行かないので、

上田城方面に向かいます(^^)/

早速駅前広場で日本一の兵である真田信繁(幸村)公が

お出迎えしてくれます。

騎馬武者姿の幸村公もカッコイイですね。

 

f:id:yuki-snu2:20220119202438j:image

 

上田の地に訪れたら必ず銅像の前で一緒に写真

撮りたくなりますよ!素晴らしい!!

駅前広場には幸村公の銅像の他に巨大な水車も

あります。

水車の下を流れる農業用の水路

枡網用水(ますあみようすい)で水車を回しています。

昔の水車は製糸・紡績のための工業用動力として

電気が引かれる前には活躍していたらしいですね。

 

f:id:yuki-snu2:20220119204701j:image


今では新幹線から降りてくる観光客の方々や

上田市民の憩いの場所にもなっていて、

緑と水が豊かな上田にはぴったりの

モニュメントです。

では上田城の方に歩いて行きましょう(^o^)

上田駅お城口という案内表示版の方に進んでいくと、

歩道の近くに可愛らしい真田十勇士の

モニュメントが設置されているので、

すべての十勇士を探してみましょう!


f:id:yuki-snu2:20220122222748j:image


セブンイレブン上田城大手門店を左に曲がって

進んでいくと、上田商工会議所あたりにあった

上田城三の丸があります。

上田城は第一次上田合戦と第二次上田合戦の時に

徳川の猛撃うけ、この三の丸は枡形大手門と堀が

あった場所であり入口でした。

ここで徳川軍と激しい戦いをしていたとは

今では思えないほど静かな場所でございます。


f:id:yuki-snu2:20220119203122j:image


この三の丸跡地からさらに進んでいくと

上田市観光会館が見えてきます。

その近くに信州上田道しるべという案内板が

あるのでチェックしておきましょう!

こちらには上田市の名所など載っているので

上田城に行った後に訪れてみてはいかがでしょうか。

・旧北国街道柳町  

 旧北国街道の古き良き街並みである格子造りや

 蔵造りなどの家々が軒を並べていて、

 酒屋や蕎麦屋さんなど信州の食を楽しむには

 絶好の美味しいお店もあるので

 是非寄りたい場所です。

・池波正太郎真田太平記館

 直木賞作家の池波正太郎先生が書いた

 「真田太平記」などの取材ノートなど

 貴重な資料が展示されていたり、

 オリジナルグッズも買えるので

 ファンには嬉しい限りの場所であります。

案内板には上田城下町の古地図も載っているので、

現在の地図と比べてみるのも楽しいですよ。


f:id:yuki-snu2:20220119204001j:image

◇信州上田道しるべ案内板参照


この場所に来るまでに真田十勇士の説明板案内図

などもあるので、上田城に行くまでに

真田十勇士を知らない人でも知ってる人でも

より詳しくなっちゃいますよ👍


f:id:yuki-snu2:20220125200849j:image

それではいよいよ上田市観光会館の中に入って

行きましょう。

観光会館の営業時間は8:30分〜18:00分です。

1階はお土産売り場になっており、

窓際には店内で購入したお菓子など食べたり

休憩できるスペースもあります。


f:id:yuki-snu2:20220119203336j:image


御城印は2階の窓口でもらえます。

2階には真田三代の甲冑が並べてあったり

大河ドラマ真田丸でも登場した六文銭の旗などが

置いてあり、真田ファンには嬉しい心使いが

感じられますね。

春には信州上田真田祭りなどがあり、

武者姿での行列も観れるので是非皆様も訪れて

戦国武者の勇姿をご覧になってみてください。

 

f:id:yuki-snu2:20220119203405j:image


他にも2階には真田氏が治めていた名胡桃城や

沼田城や岩櫃城などのパンフレットが

あるので、是非ゲットしてくださいね。

戦国時代での真田氏のお城などの位置がわかる

マップもあり、わかりやすくて良いですよ。

f:id:yuki-snu2:20220119203547j:image

 

上田城御城印は1枚300円で販売されています。

真田神社でも販売されているので、どちらでも

買えますね(^_^)

私は秋に行ったので紅葉が綺麗に描かれています。


f:id:yuki-snu2:20220119204158j:image

次回はいよいよ上田城に登城したいと思います(^^)/

戦国最強の真田の城をぶらり散策 前編  おわり

 

 

戦国最強の真田の城をぶらり散策 中編に続く

 

 

 

砂金取りに挑戦!!

こんにちはこんばんはユキスナです(^_^)/

戦国時代に軍資金としても

使われていた金ですが、今回は少しでも

戦国の世のゴールドラッシュを体感すべく 

砂金取りに挑戦したいと思います!

いつの時代も金は人々を魅力し、安定した

資産であり現代でも重宝されているものです。

 

 

 

砂金取りで必要な道具の種類 

 

 

今回は東京都の青梅市にある釜の淵

公園で砂金取りに挑戦したいと思います。

中野駅からだと青梅線青梅特快が出ており

1時間位で到着します。

青梅市の名前の由来は昔、平将門公が

この地に誓いを立てて梅の木を植えて

秋になっても青梅のままだった事などから

名前の由来として言い伝えられてきたそうです。


f:id:yuki-snu2:20211202225940j:image


釜の淵公園へは青梅街道まで歩いて行き

そこから黄色の線のルートと

青色の線のルートがあります。

私は今回黄色線のルートから行くことにしました。

目指す砂金取りのポイントが近いのと、

行く途中に美味しい梅大福が買えるお店が

あるからです(^^)

f:id:yuki-snu2:20220102191631j:image


ではここで砂金取りの道具を紹介しときましょう。

1.スコップ

2.取っ手のついたザル

3.底の浅い平らな器

4.砂金を入れる小さな入れ物

5.砂金を発見したとき採取するスポイト

今回用意した物はすべて100円ショプで用意

できるものです。

慣れてきたら本格的なパンニング皿を買うのも

良いですよ。

パンニング皿とは浅く平たい器の底に砂利から

砂金を選別しやすいように、段々のみぞが

作られていて皿を振るって探す時にみぞがあると

そこにひっかかって見つけやすいです。

川岸近くで作業するので長靴や軍手などもあると

良いです。

 

f:id:yuki-snu2:20211216185055j:image

 

いざ!青梅の多摩川で砂金取りに挑戦!!

 

 

釜の淵公園には西側に駐車場があるので

車で訪れるにも便利です。

釜の淵公園に到着したら、砂金取りのポイントを

つかんでおきましょう。

1.カーブした川の内側の淀み部分

  上流から流れてきた砂金は川がカーブした場所に

 あたって川の流れの緩やかな砂にたまることが

 あります。

2.岩の下の割れ目やそこから生えた草の根っこ

 川は雨で増水したりして水位があがり流れてきた

 砂金はその岩の割れ目の隙間に入っていたり、

 そこから生えている草の根に絡まって

 いたりします。

3.樹の根本が削られてできたくぼみ

 川の流れによって削られた川岸の樹の根本の

 下の部分にも砂金が埋もれている可能性が

 あります。

4.大きな石の下など

 川の流れに乗って砂金が大きな石の下に入り込み

 溜まって挟まっていたりもします。

 
f:id:yuki-snu2:20211216185425j:image

f:id:yuki-snu2:20211216184744j:image


釜の淵公園は川がカーブする場所にあり、

砂金を取る場所としては良い場所です。

多摩川上流にも数か所川岸に降りれる所は

ありますが、この釜の淵公園は川岸まで

比較的かんたんに近づけます。とはいえ

川岸は大きな石ころがゴロゴロ転がっているので、

足元には十分注意して歩いてください。

時期によっては釣り人が川岸で釣りをしているので、

邪魔にならないようにしましょう。

今回私も最初に行こうと思っていた場所に

釣り人がいたので、他の場所に移動しました(^_^;)

f:id:yuki-snu2:20211216184932j:image


ではいよいよ川岸に降りて砂金取りを始めます!!

川に近づく際は十分注意して行動してください。


f:id:yuki-snu2:20211216185027j:image


まずはじめに周りに草が生えている大きめの石の

下の砂利を取ります。

スコップでザルの中に入れて下に平らな器を置き、

ふるいにかける感じでなるべく砂利を細かく

しましょう。


f:id:yuki-snu2:20211216185530j:image


器に入っているのが砂状になったら、川の水に

つけながら斜めに左右に回しながら少しづつ

慎重に砂を落としていき、砂の量が少なくなったら

そこからまた慎重に砂を落としていきます。

なかなか一度目で見つかることはないので、

根気強く続けることが大事です。

注意してもらいたいのはどかした石ころはもとの

場所に戻して、穴をふさいてください。

人が通ったときなど転んだら大変ですからね。

ルールを守り楽しく砂金取りをしましょうね。

やり始めると止まらなくなるこの作業!!

なんだかんだ2時間やっても採れるか採れないか(-_-;)

場所選びが重要なので何箇所かめぼしをつけておき

移動したりして、チャレンジしましょう。

時間があれば何時間でもできそうですが、

冬の時期は川の水が冷たく、夕暮れになると

風も寒いのであまりオススメはできません(^_^;)

 

f:id:yuki-snu2:20211216185558j:image


2時間粘って1ミリくらいの砂金?を採取

金をゲットするには相当の労力を必要とする事が

わかりました。

戦国時代は金鉱掘り当てて金を採っていたと

思いますが、川でとるとはいえ当時の大変さが

少しでも体験できて良かったと思います。

たんに金は高価なものというだけではなく、

どのような場所にあり、どうやって採取して

いるのか考える良い機会になりとても勉強に

なりました。採取するのが大変で貴重なもの

だからこそ戦国の世でもお金の代わりとして

流通していったのですね。

時の様々な権力者や支配者を魅了する

黄金の存在を身近に感じるべく、

皆様も歴史に想いを馳せて砂金取りに

挑戦してみてはいかがでしょうか(^_^)


f:id:yuki-snu2:20220106202420j:image


ポケット顕微鏡などがあるとよくわかるので

オススメです!

f:id:yuki-snu2:20220106205907j:image

 

青梅の歴史と甘い大福

 

釜の淵公園内には青梅市郷土博物館があり、

青梅市の歴史や産業や文化など幅広い

展示が見れます。

この青梅市の多摩川沿いには旧石器時代や

縄文時代の遺跡が多数あり、河川を中心とした

狩猟が盛んだったのがわかります。

青梅市博物館の開館時間は

午前9時〜午後17時

観覧料は無料です。

月曜日は休館

年末年始は(12月31日〜1月3日)
f:id:yuki-snu2:20211216185835j:image

 

郷土博物館の外には醤油を造るときに

使用する大きなタルが置かれており、

近くに行くと今にも醤油の良い匂いが

してきそうです。


f:id:yuki-snu2:20211216185850j:image

 

この醤油タルのそばにはこの地域でよく使われていた

荷馬車などもあり、鉄道が開通するまで

活躍していたのがよくわかります。

なかなか見る機会がないので新鮮な感じがしますね。


f:id:yuki-snu2:20211216185928j:image

 

郷土博物館の隣りには国の重要文化財にも

指定されている19世紀初頭に建てられた

旧宮崎家住宅があり、昔の広間型といわれる

古い形式の間取りを持っていてこの

地域ならではの杉皮と茅を交互に織り込んでいる

特徴がある屋根が見れます。

こちらの住宅は青梅市成木8丁目夕倉地区にあった

ものを移築してこちらに建てられたそうです。

旧宮崎家住宅公開時間は

夏季:午前10時〜午後17時

冬季:午前10時〜午後16時

見学される方は公式ホームページから

申し込み用紙をダウンロードして

日時や人数を記入してファックス又は

郵送してください。

 

◇青梅市郷土博物館参照
f:id:yuki-snu2:20211216185945j:image

 

他にも公園内には自由民権運動でも有名な

板垣退助先生の銅像が置かれています。

板垣退助先生と言えば有名な言葉がありますね

(実際には言っていなかったとも言われていますね)

「板垣死すとも自由は死せず」

日本国の事を想い幕末維新を生き抜いた

真の武士の姿がそこにありました。

板垣退助先生はこの青梅市に公私ともに縁があり

何度も訪れていたらしいですね。

私も何度か青梅市を訪れていますが本当に良い

場所であり、住んでみたい場所でもあります。

板垣退助先生が魅了されるのもわかる気がします(^^)

 

f:id:yuki-snu2:20211216190039j:image

 

それでは砂金取り体験も青梅の歴史にも

少し触れる事ができたところで、

帰り道にある和菓子のお店「にしむら」さんで

青梅の特産でもある梅を使った梅大福を

買って帰りたいと思います(๑´ڡ`๑)



f:id:yuki-snu2:20220108000116j:image

 

梅が丸ごと一つ入った梅大福はとっても

美味しいので、是非訪れた際は買ってみてください。

お店は午前9時30分〜午後17時までです。

定休日は火、水、木です。


f:id:yuki-snu2:20211216190305j:image

 

では次回の記事でお会いしましょう(^_^)/

 

 

砂金取りに挑戦!!        おわり

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編

こんにちは(^_^)/やっと後編にきました。

前回は主郭から西曲輪まで巡って行きましたが、

今回は大手門近くにある三日月堀があったとされる

場所や、御隠居曲輪や稲荷曲輪や味噌曲輪跡地に

行ってみたいと思います。

 

 

 

大手門近くに眠る武田築城技術の丸馬出し

 

大手門近くで発見された武田築城技術で

造られた三日月堀は、三日月のように丸くおおう

形をした堀であり、内側に土塁がある丸馬出しです。

全長30m、幅4〜5mで深さ2.5mです。

この武田式の丸馬出しは信濃や西上野や駿河など

武田の支配領地の城によく見られたり、

勝頼公が韮崎に築城した新府城にも用いられて

いました。

特に信濃の上田に拠点を置く真田氏は、

この丸馬出しよく活用していて、

大阪の陣では真田信繁(幸村)が真田丸を造るときに

防御の一つとして取り入れられました。

 

f:id:yuki-snu2:20211204214146j:image


現在の大手石塁は武田氏滅亡後豊臣時代か

徳川時代に三日月堀の上に造られたものです。

再現されているのが武田氏の

丸馬出しではないですが、だいたい当時の様子が

わかって良いですね。


f:id:yuki-snu2:20211204214238j:image

f:id:yuki-snu2:20211204214258j:image

大手石塁の南側には厩(うまや)跡などもあり、

当時の様子が伺える貴重な史跡となっております。

戦国時代の馬は現在のサラブレットのような

馬ではなく、ポニーのような小さな馬で

パワーがありました。

武田軍がよく乗っていたのが甲斐馬や木曽馬であり、

山岳戦を得意とする武田軍にとっては最も最適な

馬でした。

当時の人の身長もそれほど高くなかったので、

小さな馬でもちょうどよかったのかも知れませんね。

(例、木曽馬は140数cm.人は157cm)

武田軍といえば長篠の戦いでも有名な騎馬隊ですが、

実際の騎馬隊はそれほど多くはなかったみたいです。

機動力を活かした戦術で戦場を的確に移動し

敵に攻撃を仕掛けて、戦を有利な状況に

していくのが得意だったから敵にも恐れられたと

思います。特に信玄公の指示が各部隊長にきちんと

伝わって動けたからこそ武田軍の騎馬は強いという

印象が強かったのかと思いますね。


f:id:yuki-snu2:20211204215853j:image
大手東側には総堀と土塁で囲まれた東曲輪があり、

東曲輪に入る部分は2箇所あり北側と南側に

土橋があり、北側の方は虎口があり、

南側の下の方には門があります。

現在の総堀の部分には蓮が咲いていて

7月中旬頃には見頃になっています。

蓮池の愛称で親しまれてるみたいですね(^_^)


f:id:yuki-snu2:20211204215753j:image

 

土塁の上に登ることができるので、

東側曲輪全体を見回すことができます。

やはり大手門の防御は固く北と南側の土橋から

侵攻しても、入ってすぐに三日月堀の馬出しが

目の前に現れて、立ち止まったところに

弓矢や鉄砲で攻撃されてしまう。

敵がひるんだすきに馬出しから兵を出撃させると

一網打尽にできるし、なかなか突破できないはずです。


f:id:yuki-snu2:20211204220108j:image


f:id:yuki-snu2:20211211233602j:image

東曲輪後方の龍華池展望見晴台からは

東曲輪全体の様子と信玄公の愛した甲府の

城下町の様子が良くわかりますね。

展望見晴台まで上がっていくのに階段が

けっこう急なので、気おつけてくださいね。

 

◆案内板参照

 

躑躅ヶ崎館北側守備の曲輪


では今度は東側曲輪から躑躅ヶ崎館の北側にある

曲輪跡に向かいたいと思います。

大手門に入らず右側の道を進んでいくと、

まず最初に御隠居曲輪が現れます。

御隠居曲輪には信玄公の母親である大井夫人が

住んでいました。

夫である信虎公が駿河に追放された後は

ここでゆっくり過ごしていたのですかね。

この御隠居曲輪の西側には梅の木が咲いており、

当時の大井夫人も眺めていたのかなと

想像してました(^_^)

 


f:id:yuki-snu2:20211215180313j:image


御隠居曲輪から主郭に行く途中には馬出しがあり、

その後ろには虎口も存在します。

御隠居曲輪の隣の方の曲輪は名前がわかって

いませんが、主郭の北側に位置してる以上

重要な場所なのは確かでしょう。

ここから少し下がると少し小さな稲荷曲輪が

存在します。

御隠居曲輪と味噌曲輪の前には馬出しがあるのに

名無しの曲輪の前にはないので稲荷曲輪を

築くことで、防御力を高めたのですかね。


↓稲荷曲輪に向かう階段
f:id:yuki-snu2:20211209202408j:image


そして味噌曲輪の方に移動していくと発掘の跡地が

見えてきました。

味噌という名前の通り食糧や味噌などが貯蔵されて

いたのですかね。

敵が食料庫がここにあると知っていれば、

集中攻撃をするだろうと考えて、

馬出しを作り防御を厚くしたのだと思います。

味噌曲輪は他の曲輪より広いスペースがあり、

馬出しも存在しているので、ここに敵が

なだれ込んできても弓矢で集中攻撃をうけて

討ち取られてしまいます。

それでも何とか馬出しを突破してもその先に

西曲輪につながる北側虎口がありそこで

四方から攻撃を受け終わりです(¯―¯٥)

後方の山の向こうには要害山という山城も

あったので、挟み撃ちすることも可能ですね。

f:id:yuki-snu2:20211204224527j:image


実際に味噌曲輪から西曲輪を通り豊臣時代に、

新しく造られた梅翁曲輪(ばいおう)に向かいます。

西曲輪の南虎口近くから見た主郭と西曲輪の間の

水堀でございます。

今は木が生い茂って見えにくいですが、

確認できますね。

 

↓左側が西曲輪で右側が主郭です。
f:id:yuki-snu2:20211205215801j:image

 

梅翁曲輪近くには戦国期に埋葬された馬の骨が

出土した場所もあり、実際に発見された全身骨格の

馬の骨は信玄ミュージアムで見ることができますので

是非ご覧ください。

南虎口を出るところにも馬出しがあったと

思われ、西曲輪の南側の防御も万全です。

それでも武田氏が滅亡したあとに豊臣氏が、

より防御を高めるために拡張したのが

梅翁曲輪なのです。

梅翁曲輪の守りも固く周りを松木堀で囲み

敵が曲輪内に入ってきたら取り外し可能な

木橋をとり、防御をよりいっそう固めて

反撃の機会をうかがっていたんですね。

 

f:id:yuki-snu2:20211205220035j:image

 

主郭〜西曲輪〜東曲輪〜御隠居曲輪〜稲荷曲輪

〜味噌曲輪〜梅翁曲輪と軽く見ていきましたが、

武田神社(躑躅ヶ崎館)は気軽に巡れる歴史的な

史跡であり、地域の人々に愛され親しまれている

場所なので、皆様も是非訪れてみては

いかがでしょうか(^_^)

 

 

お土産と美味しいスイーツ

 

武田神社を散策したあとに寄りたいお土産屋さんは

かぶと屋さんです。

武田神社の目の前にあり、信玄公の関連グッツや

山梨のお土産で有名な信玄餅も買えます。

中でも最近の私の一押しのお土産が

LEDで七色に光る信玄公の像です!

夜寝る前にお部屋に置いて眺めてみると、

癒やされますよ(^_^)

その他にも良いお土産が色々あるので、

是非行ってみてください!


f:id:yuki-snu2:20211212202302j:image

そしてかぶと屋さんで食べられる信玄ソフトや

ぶどうソフトもオススメです。

信玄ソフトはきな粉と黒蜜がかかっていて、

とても美味しいですし、近くにベンチも

あるので座りながらゆっくり食べられます。

f:id:yuki-snu2:20211205220301j:image

 

まとめ

これまで武田神社を巡ってきてわかったのが、

信玄公は民衆や家臣を大事にする事を第一に

考えており、立派な高い強固な城よりも

人と人との繋がりこそ最も強い城になると

信じて甲斐国を統治していたのがよくわかりました。

甲斐国に生涯お城を築かなかったのがその証ですね。

人々もそういう信玄公の姿を見ていたからこそ、

日々安心して暮らしてきたのだと思います。

信玄公も言っていたように人々こそ石垣や堀や土塁で

あり、他のどの城より強いのです。

どんなに強固な城を築いても人々の心が離れていき

支持されなければ、意味がないのです。

少なからず信玄公が存命の時は、敵に一度も

甲斐国への侵攻を許さなかったのは事実です。

今現在でも山梨県の人々の心の中に

信玄公が生き続けているのがよくわかって、

本当に訪れて良かったと思います。

それでは今回の歴史散策のお話はこれで

終わりにしたいと思います(^_^)/

長々とお付き合い下さりありがとうございます!

次回の記事に乞うご期待でございます。

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編   おわり

 

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編

こんにちはこんばんはユキスナでございます(^_^)/

前回は信玄ミュージアムに行って武田家の歴史や

信玄公の生涯の軌跡を映像や展示物で学び、

いよいよ今回は武田神社(躑躅ヶ崎館)に実際に

行ってみようと思います。

 

 

信玄公のお住い訪問

 

武田通りをまっすぐ行くと信玄公のお住まいであった

武田神社(躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた)があり、

信玄ミュージアムからはすぐ近くです。

武田神社前にはかぶとやというお土産屋さんもあり、

信玄公のグッツを買うには最適ですね(^^)

戦国の時代ではこちらから主郭に入るのではなく、

右側の方にある大手門から入ることになります。

今回はそのまま鳥居のある出入り口から

入りますね。

 

f:id:yuki-snu2:20211122222940j:image

 

堀にかかる赤い橋を渡ると武田神社全体がわかる

案内板が見えてきます。

躑躅ヶ崎館は武田三代でも知られる

武田信玄公•武田信虎公•武田勝頼公が政治を行った

甲斐の国の中心地であります。

信虎公が躑躅ヶ崎館を建て府中に町を築き

政治的土台を作り、子である信玄公と孫である

勝頼公が引き続き館として利用しますが、

信玄公亡きあと勝頼公は韮崎の方に堅固な

新府城を築き政治の中心を移すことになります。

しかし城が完成する前に織田軍が甲斐国に

侵攻しやむおえず城に火を放ち燃え落ちて

しまいました。

信玄公は

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 

 仇は敵なり」という言葉を大事にしていたように

無理に躑躅ヶ崎館から人と金を費やして

急いで大きな城を作るよりも、

長引く戦で疲れていた民衆の気持ちに少しでも

寄り添う事が出来たならば、

また違う結果があったのではないかと

思ってしまいます。

しみじみと感慨深く色々考えて案内板の

館の全体図を見てしまいましたが、

とりあえず先に進んでいきましょう。

 


f:id:yuki-snu2:20211202222006j:image

 

鳥居をくぐって行くと左側に甲陽武能殿があり

主に能楽などが開催されております。

武田信玄公祭りなどの時は、三味線の演奏など

鑑賞できたり日本の文化に触れることができます。

戦国時代の武士は文武両道であり、

日頃から舞もたしなんでいたと思うので、

荒々しい時代の中にも華やかな日常を

忘れない心がけが感じられます。

 

f:id:yuki-snu2:20211125214042j:image


甲陽武能殿から歩いてすぐ、武田神社の本殿に

たどり着きます。

武田神社ができる前は主郭に信玄公の石祠(せきし)が

建てられていましたが、大正8年に神社として

創建されるようになり、今日まで山梨の人々に

愛され親しまれる場所になったのは信玄公の

甲斐の国を想う気持ちが強かったからと、

人々もまた信玄公を尊敬し誇りに想っているからこそ

他に類をみないような特別な場所になったのだと

思います。

この場所で信玄公が政務を行い歴史的な戦の

最終的な決断を下してきたと思うと、感動で

いっぱいでございます。

本殿近くには社務所があり御城印と御朱印も

販売されています(^^)/

 

↓武田神社と信玄ミュージアムの御城印です。
f:id:yuki-snu2:20211212210155j:image

f:id:yuki-snu2:20211125214130j:image

 

本殿に参拝してから右側の方にある宝物殿に

行きたいと思います。

 

宝物殿は

       大人1名(高校生以上)小人(小•中学生)

個人     300円1名     150円1名

団体(30名以上)240円1名                     120円1名

入館時間 9:30〜16:00

休館日 毎週水曜日

宝物殿の中では武田信玄公が使っていた軍扇や

武田二十四将図や風林火山で知られる孫氏の旗が

展示されています。他にも歴史的な貴重な物を

見ることができるので是非訪れて自分の目で

確かめてみてください(^^)


f:id:yuki-snu2:20211125214604j:image


ではちょっと戻って武田水琴窟(すいきんくつ)と

姫の井戸にも行ってみましょう。

f:id:yuki-snu2:20211125214303j:image


武田水琴窟は江戸期の文化文政の時代に庭師が

作ったもので、土中に小さな穴の空いたカメを埋め

そのカメの穴にわずかに水を流すと、穴から水滴が

カメの底に落ちて反響する音が、琴の音に

聴こえることから水琴窟と呼ばれるらしいですね。

竹筒に耳を近づけ聴いてみるとピチャンッという

何とも癒やされる音が聴こえますよ。


f:id:yuki-snu2:20211202222026j:image

 

武田水琴窟の近くには姫の井戸があり、

信玄公の姫君が誕生した時に産湯として

使われたり、京からのお客様が来たときなど

茶の湯として出しては、おもてなししました。

井戸の近くからは茶釜なども発見されており、

宝物殿などで展示されているので是非

ご覧ください。

井戸の水は毎年検査しているので

飲料水としても飲めますが、持ち帰って

飲んだりその場で飲む場合は自己責任との事です。


f:id:yuki-snu2:20211125214342j:image

◆武田水琴窟案内板参照

◆姫の井戸案内板参照


姫の井戸から西曲輪の方へ移動しますと、

土塁のような所に信玄公500年記念の数字が

設置されていました。

地元の方々が手作りしたランタンで夜には

ライトアップされていたらしいですね。

残念ながら2021年の11月7日までで

ライトアップは見れないみたいです。


f:id:yuki-snu2:20211125214818j:image

 

信虎公時代の躑躅ヶ崎館は神社の本殿がある

主郭のみで、こちらの西曲輪や味噌曲輪や稲荷曲輪や

隠居曲輪は信玄公時代に拡張して作られた

みたいです。

徳川時代に主郭の方に造られた天守台は今は

立入禁止となっていて、遠くから見えるくらいです。

北枡形虎口土塁の上から主郭の方を見てみると

石垣のようなものが確認できます。

そして西曲輪は信玄公の嫡男である義信公と

今川義元公の姫君との婚儀あとに

新居として使われていて、北側には北枡形虎口があり

敵の侵入をこんなにさせる武田築城術の技法が

用意られており、虎口石積みも確認できます。

味噌曲輪への土橋あたりから一列でなだれ込み

敵がここまで来た瞬間四方から矢の雨が降り注いで

一網打尽で討ち取られてしまいますね(^_^;)

f:id:yuki-snu2:20211125215716j:image

 

南側にも南枡形虎口があり、こちらも用意には

攻めることはできません。

虎口の近くの土塁上から全体がよくわかるので

是非確認してみてください。


f:id:yuki-snu2:20211201204435j:image

 

信玄公が統治していた時は一度も領内に敵の

侵攻を許さなかったので、躑躅ヶ崎館での戦闘は

なかったと思われます。しかし信玄公の父親である

信虎公の時代に危機が訪れます。

今川軍の大将である福島正成が1万以上の

大軍を率いて甲斐の国に侵攻し、躑躅ヶ崎館の西方に

布陣して戦となりました。

この時武田軍は2000の兵で向かい幾度となく

戦闘を繰り返し、福島正成は武田方の士気が

下がるのを辛抱強く待っていましたが、

信虎公は夜襲をかけて敵将を次々と討ち

取りました。

その勝利を機に今川軍を甲斐国から一掃する

事ができたのです。

武田家の存亡の危機と躑躅ヶ崎館を戦禍に

さらさぬようにと必死に戦った信虎公と甲州武士の

強さがわかりますね。

ちなみにこの戦の最中に晴信(信玄公)が生まれました。

それでは主郭と西曲輪と見てきましたが、

次は外側の他の曲輪や武田丸馬出や堀など

見ていきたいと思いますが、

続きは後編になります。

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編   おわり

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編へ続く

 

次回もお楽しみに(^_^)/

 

 

 

信玄公に会いに武田神社へ 前編

こんにちは(^_^)/信玄公生誕500年の記念すべき年に

山梨県甲府市の武田神社と信玄ミュージアムに

行ってみます!

 

信玄ミュージアムに行ってみよう!!

 

 

甲府駅までのアクセス

 

電車の場合

東京方面

特急電車でお越しの方はJR中央線で

新宿駅〜甲府駅まで1時間30分です。

長野方面

松本駅〜甲府駅までJR中央線の特急電車で

1時間です。

静岡方面

静岡駅〜甲府駅まで身延線で2時間20分です。

 

高速バスの場合

新宿バスターミナル新宿〜甲府線で2時間10分甲府着

静岡駅前静岡〜竜王•甲府線で2時間30分甲府着

名古屋駅名古屋〜竜王•甲府線で4時間甲府着

大阪(あべの橋)京都•大阪〜甲府線で9時間甲府着

 

東京から特急電車に乗ること1時間30分で

甲府駅に到着!!

改札でて右側の北口方向に行くと

信玄公生誕500年を記念して無料の展示が見れます。

「信玄公生誕の地、甲府展」

会期は2020年12月20日〜2022年1月31日までなので

この機会に訪れてみてはいかがでしょう(^^)

信玄ミュージアムに行く前に武田氏の事を軽く

学んでから行くと、より楽しくなりますよ。

f:id:yuki-snu2:20211112213350j:image
それでは信玄公の像に挨拶してから、

武田神社(躑躅ヶ崎館)に行ってみましょう。

信玄公の像は甲府駅南口の方にあり、

信虎公の像は甲府駅北口の方にあります。

甲府駅から武田神社まで徒歩で行くと約30分
かかります。

武田神社方面にバスで行くと甲府駅北口2番

乗り場から10分くらいで着きます。

バス賃は片道230円です。


f:id:yuki-snu2:20211112231500j:image


今回は徒歩で向かいたいと思います。

甲府駅北口を出た道をまっすぐ進んでいくと

武田通りなので、当時の様子を思い浮かべながら

歩いて行くのも良いですね。

通り沿いには武田二十四将の御屋敷跡が

あったであろう場所に、案内板が設置されています。

ゆっくり歩きながら武田軍の強さの象徴である

武田家臣団の事をよく知ることができ

わかりやすく書いてあるので、ありがたいですね。

他にも武田通りからは信玄公の正室である

三条夫人のお墓がある円光院に行けたり父親である

信虎公の菩提寺大泉寺にも行けますし、

信玄公が亡くなった時に仮埋葬のため火葬した

場所である信玄火葬塚もあります。

信玄火葬塚の近くには武田家が滅亡したあと

織田信長が甲州に派遣した家臣である河尻秀隆の

首塚があります。

河尻秀隆は暴政を行い、織田信長が本能寺で

討ち取られたあとに蜂起した甲斐国の大衆に殺されて

しまいました。

信玄公が火葬された場所の近くに敵方の武将の

首塚があるのも驚きですね。

 

f:id:yuki-snu2:20211112221531j:image

 

そしていよいよ武田通りをまっすぐ進んで右側に

信玄ミュージアムが見えてきます(^^)/

この施設は2019年4月5日(金)にオープンしたので

綺麗な施設ですね。

開館時間 午前9時〜午後5時

休館日は 火曜日 12月29日〜31日

観覧料は

    一般   高校生以下(障害手帳お持ちの方) 

個人  300円  無料 

団体(20人以上)240円

駐車場は武田神社参拝者用スペースに利用可です。

他にも2箇所駐車場があるみたいです。


f:id:yuki-snu2:20211121200257j:image

 

館内は入ってすぐの所に総合案内所があり、

少し進むと無料展示室にその先に有料展示室が

あります。

入口にある信玄公のイラストが勇ましく

格好良いですね(^^)


f:id:yuki-snu2:20211112221631j:image

 

無料展示室では甲府の城下町の紹介や

躑躅ヶ崎館の全体がわかる模型案内に、

甲斐の国を代々統治してきた武田三代の歴史など

わかりやすくパネルに書かれています。

他にも武田氏が滅んだあとの甲斐の国を統治した

武将なども紹介されています。

もっと詳しく知りたい方は有料特別展示室に

行かれてみてください。

こちらの展示室は最終の入館時間は4時30分です。

そしてここでは御城印も入手できますが、

有料入館したあとに希望者全員に無料配布

しているらしいです。

御城印だけもらうことはできないらしいです。

あくまでも有料で入って欲しい人には配る

形ですかね。

信玄公生誕記念の数量限定御城印も

あったらしいですが、1521枚限定だったので

私が行ったときはもうなかったですね(¯―¯٥)残念

1521枚という枚数にも意味があるらしく

信玄公が生誕した年が1521年だったので、

西暦の枚数だけ配布されたのですね。

それでも通常版が配布されているので是非

訪れた際はゲットしてみてください!


f:id:yuki-snu2:20211112223036j:image

 

有料特別展示室では今までの甲斐の国の統治の

年票などが展示されていて、

歴史の流れがよくわかります。

躑躅ヶ崎館から出土したお皿や敷地内から

全国初発見された全身の馬の骨など

貴重な展示物が見れますよ。

馬の骨はよく調べると普通の農耕馬とかではなく、

良い食べ物を食べていたと思われる筋肉質で立派な

体格の馬で、大将クラスの人物が乗っていたと

思われます。もしかして信玄公が乗っていたかも

しれませんね(^_^)そう思うと本当に凄い!

時を超えて私達の目の前に現れてくれたことは

感激の一言です。

そして展示場の奥に行くと映像と音楽で

甲斐の国の歴史から始まり、信玄公が生誕してから

国を強く統治していく過程などわかりやすく

解説して教えてくれるので、ずっと観ていたい

気持ちになります。この映像を観てから実際に

武田神社に行って当時の様子を肌で感じながら

敷地を散策するとより武田家の歴史を学ぶことが

できますね。

では旧堀田古城園へ行ってみましょう。

有料展示室を出て右側の方に進むと、

旧堀田古城園の主屋、長屋棟、離れ3棟があり、

主屋は休憩室や講座を開いて学習したりできる

みたいです。

離れは茶室としても活用されてます。

この旧堀田古城園は元々割烹料亭として作られた

らしいですね。

昭和初期の建築様式としても価値のある建物なので

こちらもご覧ください。

何か木造建築の風合いが人に優しい感じがして

私は好きですね(^_^)

館内を見学してるとお腹も空いてくると思いますが、

そんなときは長屋棟で飲食もとれる

蕎麦•cafe由布姫さんに寄ってみてはいかがでしょうか


f:id:yuki-snu2:20211112223223j:image

 

メニューには武田三代の名前が入ったお蕎麦や

うどんにラーメンがあり、あの三国同盟を結んだ

今川義元公のラーメンや信玄公の永遠のライバルで

ある上杉謙信公ラーメンもあるので、本当に歴史

好きにはたまらないですね。

他にもデザートには桔梗信玄ソフトや

桔梗信玄餅生ロールとコーヒーのスイーツセットなど

少し休んで甘いもの欲しい人にも嬉しい

カフェメニューもあります。

営業時間は平日10:00〜15:00土日祝10:00〜17:00

定休日は火曜日で祝日の場合はその翌日で

臨時閉館休館の場合も有ります。


f:id:yuki-snu2:20211112223237j:image

 

お蕎麦•カフェメニュー

❖信玄肉玉そば・うどん770円(上段一番左)

❖信虎エビ天玉そば・うどん870円(上段左から二番目)

❖勝頼とろろ昆布玉子そば・うどん590円(下段左)

❖勘助カレーそば・うどん820円(下段左から二番目)

❖由布姫とろろ季節の麩そば・うどん770円(下段右)

❖謙信あごだしラーメン610円(上段一番右)

❖義元コーン味噌ラーメン750円(下段右から二番目)

 

❖コーヒー&スイーツセット540円

    (桔梗信玄餅生ロール)

❖桔梗信玄ソフト510円

❖黒蜜きな粉タピオカ510円

❖黒蜜抹茶タピオカ530円

❖黒蜜きな粉ラテ340円

❖黒蜜抹茶ラテ340円

❖コーヒー360円❖紅茶360円❖ココア360円

❖甘酒330円❖生クリームトッピング50円

❖ザ・プレミアム•モルツ560円(ビール)

価格は税込みでございます。

入口入ってすぐの所で食券を買って、右側の

渡し口まで持っていってください。

※現在コロナ対策で名前と都道府県記入を

 求められるので、ちゃんと記入してくださいね。

食券を渡したら音で用意完了を教えてくれる

タイマーもらうので、それを持って店内か

テラス席いずれか自分の好きな場所で

待っていましょう。

急にブザーがなるので少しビックリするかも(汗)

ちなみに私は勝頼とろろ昆布玉子そば•うどん注文

して外のテラス席を選びました(^^♪

玉子は半熟気味でとろろ昆布と混ぜて麺に

絡めて食べれば最高に美味しいです。

そば•うどんと書いてあるとおりに両方の麺が

入ってる感じで2度美味しい感じですよ。


f:id:yuki-snu2:20211112223250j:image


綺麗に完食してお腹いっぱいになったところで、

食器を渡し口に持っていき

いざ武田神社の方へ移動します!っとその前に

蕎麦•cafe由布姫さんの近くには

お土産処の桔梗信玄さんもあり、

信玄公生誕500年の記念に関連した

お土産も販売されているので、

こちらも注目でございます。

あとこちらでは兜をかぶって記念撮影できる

体験が500円でできるので旅の思い出に

是非体験してみてください。

 

この続きは信玄公に会いに甲府へ中編に続きます。

 

 

信玄公に会いに甲府へ前編     おわり

次回もお楽しみに(^_^)/

 

◆お土産処桔梗信玄さんや兜体験の写真を

 撮り忘れたので、次回訪れた時にまた

 追加して記事に載せたいと思います。