ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

のんびり散歩 神奈川県津久井城 前編

こんにちは!ユキスナです(^^)/
今回は神奈川県相模原市津久井湖城山公園に、 
のんびり散歩してきました。
その地域の歴史を知らない人でも、公園として
整備されてるので楽しめますよ。
津久井城の上まで登っていく方は、
トレッキングシューズのような足元が
滑らないような靴を、はいて行くほうが
良いです。


津久井城跡の烽火台跡(鐘撞堂)へ


公園アクセス
JR横浜線 相模線 京王線橋本駅へ行き、
橋本駅北口一番のりば神奈川中央交通バスで
花の苑地「三ヶ木(中野経由)」行きバス(01系統)
    「津久井湖観光センター前」下車1分
バス乗車時間17分でパスモ利用可320円です。

水の苑地(えんち)に行かれる方は城山高校前で
おりて徒歩3分、根小屋地区に行かれる方は
観光センター下車徒歩20分です。


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バスを降りたあと昼食をとりたいと思う方は、
近くにそば処花のさとさんがあるので
食べてみてください。
色々な種類のお蕎麦やうどんがあります。
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観光センターの中にはお土産やお弁当や
地元のパンなども売っており、景色の良い
外のテーブル付きベンチで食べるのも
美味しいですよ。
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花の苑地というだけあって公園内は
お花が綺麗に咲いております(^_^)
私は秋に行ったのですが他の季節も
訪れてみたくなりました。


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公園内は芝生広場があり家族連れで
ゆったりまったりするには良いですね♪


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それではお昼を青空の下で美味しく食べたら
いざ、城攻めに行きますよ!
観光センター裏の方にある築井公園橋を
渡り荒川登山道から攻略して行きたいと
思います。
登山口には津久井城の散策ガイドマップが
置かれているので、手にとって見て回るのが
良いですよ(^_^)/
⚠現在令和元年の台風被害により
荒川登山道は通行止めになっています。
新しい情報を随時チェックしてお出かけください
(因みに私は通行止めになる前に行来ました)
それでは軽く津久井城の事を説明しますと、
この津久井城は鎌倉時代三浦半島の一帯を
支配していた三浦一族が築城したとも
言われていますが、はっきりとしたことは
まだわかっていません。
戦国時代になってくると、津久井城主に
内藤氏の名前が出てきます。
元々は扇谷上杉氏や鎌倉公方足利氏の
国人衆として存在感を出してましたが、
後北条氏がどんどん勢力を増して
北相模まで迫ってきたことから、
内藤氏は後北条氏に従うことになります。
その後津久井城は小田原城の支城として、
隣接する甲斐武田氏の脅威に備えるため
国境付近を守る役目を担っていきます。


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道幅がだんだん狭くなってくるので、
足元気おつけて進んでください。

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歩いていてもわかりますが
戦国時代城攻めするのに
北側から急な斜面登って行こうとしても
かなり難儀しそうです(・・;


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花の苑地から行きやすい登山道では
ありますが、やはり地面も枯れ葉が
あったり石でデコボコしてる所もあり
足場が悪い部分もあるので、
トレッキングポールなどでサポートしながら
登って行くのが無理なく行けるし、
疲れも軽減でき下山の時も足が楽です。


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もうすでに私はこの時点で息が
上がってました(^_^;)
日頃からの運動不足を思いしらされます💦
戦国時代の足軽として攻めていたら
本丸にたどり着く前にへばって、
返り討ちになりますね。

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ここから少し岩場が多くなり足元が
危なくないように、鎖の手すりが
設置されているので滑らないように
十分気おつけて通ってください。
ここを通り過ぎると、津久井城の
水の手(井戸)の一つである宝ヶ池が
見えてきます(^_^)
他にも本城曲輪の北側と御屋敷跡にも
存在しており、津久井城は籠城の際は
水が不足するという不安はなかった
みたいですね。
ここの宝ヶ池は水が濁っていることから
城兵が刀を研いでいたともいわれてます。
やはり戦のときは水は必要不可欠ですからね
大事にされていたことが、良くわかります。
もし武田軍が攻めるならば金堀衆などで
水源を断とうとするのかなと、想像を
巡らしたりして楽しんでました。
(金堀衆は武田軍の工作部隊のような存在です)

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宝ヶ池を後にしてどんどん進んで行きましょう!
少し歩くと鷹射場と飯縄曲輪どちらに行くか
案内板が見えてきます。

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飯縄曲輪の方にある烽火台があったとされる
場所に行ってみましょう。
鐘撞堂(かねつきどう)ともいわれてる
らしいです。どちらも情報伝達の
手段としては最適ですね。
夜や雨の日は烽火台が使えないので、
鐘や法螺貝の音でしらせる
らしいです。
この鐘撞堂には伝承が残っており、
望郷の鐘(上野原の伝承)
戦国時代上野原の大倉地区の要害山に
鐘撞堂(かねつきどう)があって、
凄い美しい鐘の音が山々に
響いていたそうです。
後北条氏が上野原に攻め入った際
戦利品として津久井城に持ち帰ったは良いが
何度鐘をついても、
「ゴォーン オークラ オークラ」と
響いていたそうです。
故郷に帰りたかったんですかね(T_T)
何度ついてもかわらなかったので、
打ち砕いて新しくしたものの
また同じ音が響くので、
さすがに祟りを恐れ功雲寺附近の池に沈めて
しまったといいます。悲しいですね(T_T)
返してあげればよかったのに…
(上野原町紙より参照)

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↑三増峠方向
そして烽火台の方はというと津久井城は
相模平野や武蔵野台地や三増峠や八王子城
など四方を見渡せる最適な支城であり、
何かあれば烽火台ですぐに連絡を
とれる状態にありました。


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↑鷹射場からの景色

西側に烽火台が多いのはやはり、
隣国の甲斐武田家の動向に備えるためで
あります。
近隣の味方の山城とも連携して
敵が攻めてくるのを見張っていたんですね。
この地域での大きな戦といえば
三増峠の戦いですが、この続きは
中編に続きます〜(^^)/


のんびり散歩 神奈川県津久井城 前編 おわり


              中編につづく