ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

武田勝頼公最後の地を訪れる

 

 

こんにちは(^_^)/歴史散策好きなユキスナです。

今回は武田信玄公の四男であり、武田家を継いだ

武田勝頼公の最後の地を訪れるべく、山梨県

田野地区にある景徳院へ行ってまいりました。

 

 

 

甲斐大和駅から景徳院へ

 

まずは新宿駅から特急列車で大月駅まで行き

そこから中央線に乗り換えて甲斐大和駅まで

行きました。甲斐大和の駅は無人駅であります。

新宿~大月まで特急列車の指定席で片道2362円で

約1時間。大月〜甲斐大和駅までは330円18分です。

甲府駅から甲斐大和駅までは506円32分です。

 

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この駅は登山をする方々が多く利用する駅でもあり

私が訪れたときも大勢降りて行きました。

駅出て南の方に行くと甲州街道沿いにコンビニが

あるので、食べ物や飲み物買っておいた方が

良いと思います(^^)/

散策するときはトイレの場所気になったり

しますよね。駅やコンビニや銅像近くのトイレ

行き忘れた時は景徳院の近くにもトイレがあるので

安心してください。

では観光案内図を見て、景徳院の場所を確認

したらいざ出発でございます!


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その前に駅近くにある勝頼公の銅像に挨拶してから

行きましょう。
右手に軍配を持った姿は勇ましく、

戦国の世を一生懸命生き抜いた

立派な武将だということがわかりますね。f:id:yuki-snu2:20210918222251j:image

それでは武田家終焉の地である田野の地へ

甲州街道沿いを歩いて訪れていきます。

どういう想いで勝頼公はこの道を歩いていたのか

考え、一歩一歩私も足を進めながら周りの

風景を目に焼きつけては、歴史の真実の風を

肌で感じてみるのも良いですよね。

甲州街道沿いの道は狭いので、人とすれ違う時は

気おつけたほうが良いですよ。

景徳院に向かう途中に分かれ道があるので、

そこを左の方の道を進みましょう。

左の道は大菩薩初鹿野線で景徳院まで続いてます。

そのまま甲州街道沿いに行くと道の駅甲斐大和

ありますが途中短いトンネルがあり、

歩いて行けないことはないですが道が狭いので

車には十分注意してください。


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分かれ道からしばらく歩くと山梨では有名な

ハッピードリンクショップが見えてきます。

歩き疲れて喉乾いたところにこの自販機の数は

色々選べて嬉しいですね。

まさにハッピーな気持ち(^^♪

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そしていよいよ四郎作古戦場跡地に到着。

ここでは忠義の武士小宮山内膳友晴さんが

登場します。

小宮山内膳さんは使番十二人衆にも選ばれた

事もあり、武田家の軍政にも関わっている

人物です。天正3年の長篠の戦いの後

中枢を重臣たちが中心になって

武田家を支えていましたが、小宮山内膳さんは

臆すことなく自分の意見を発言しました。

しかし他の重臣達はそれを快く思わず、

小宮山内膳さんを蟄居(家の中で謹慎)に追い込んで

しまいました。

その間にも織田軍が甲斐国に侵攻し、

武田家そして勝頼公の立場は

どんどん家臣の離反などにより追い込まれ、

とうとう甲府を追われ岩殿城に向かう事に

なるのですが土壇場で小山田信茂にも

裏切られて、いよいよ打つ手なしとなった

ところに主君の危急を知った小宮山内膳さんが、

急いで馬に乗って決戦前夜に駆けつけたのです。

友晴「譜代の臣でありながら武田家の最後の

戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの

羞恥であり、武士道にも背くゆえ蟄居の許しを請い

最後の戦いの御楯となり高恩の万分の一にも

報いたい」と言い、

勝頼公も「あっぱれな武士の鑑よな余の不徳のいたす

ところであった」と言い許しました。

このあとこの場所に陣を敷き迫りくる織田軍と

獅子奮迅の死闘を繰り広げ戦うのです。

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しかし織田の先鋒滝川一益や河尻秀隆の軍

4000千に攻め込まれ

さすがに多勢に無勢どんどん押し込まれて

日川まで後退して行くことになります。



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日川を挟み鳥居畑古戦場あたりで織田軍を何回も

少数ながらも撃退して、下を流れる日川を兵士の

血で染めたと言いますが、

ほとんど織田兵士であり、武田軍の強さ

最後まで敵に見せつけました。

最強武田軍の強さは健在であり、もしちゃんとした

兵力があれば織田徳川に負けないと私は思いました。

武田軍や勝頼公が好きな私にとって無念な気持ちが

強い場所でした(-_-;)

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鳥居畑古戦場を少し進むと姫ケ淵の慰霊碑が

見えてきます。

勝頼公に嫁いできた北条夫人の身の回りの

世話をする従者達16人が、日川に飛び込み

殉死したといいます。

大きな石のレリーフにはその光景が描かれていて、

飛び込んだ場所はもう少し上流だとも言われています。

敵方に捕まればどうなるかわかっていたので、

必死の覚悟で川に飛び込むしかない状況を思うと

切なく悲しくなりますね。
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景徳院はもう目の前ですが、先に土屋惣蔵さんが

奮戦した日川の上流に向かいたいと思います。

 

 

忠義の家臣土屋惣蔵の片手千人切り

 

勝頼公一行は最初に武田家縁の天目山

栖雲寺(せいうんじ)に向かってましたが、

敵は深沢口(甲州市勝沼町)から先回りして

勝頼公一行の行く手を阻みました。

これ以上進むことが出来なくなった勝頼公一行は

田野の郷に引き返すことになります。
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日川沿いを勝頼公一行が歩いて進んで行く

気持ちを体感すべく私も歩いて行きましたが、

当時の山道は今の道より狭く整備されてないので

同行していた従者の女性や北条夫人には

辛いものがあったと思います。



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途中に竜門峡があり竜門橋から天目地区

まで日川を両岸にまたがり延長2.4kmの

ハイキングコースがあるそうです。

そして竜門峡から少し歩いて行くと

土屋惣蔵(昌恒)さんの片手千人切りの場所があります。

土屋昌恒さんは武田家の家臣で譜代家老衆の

一人であり、長篠の戦いで討ち死にした

武田二十四将土屋昌続さんの実の弟であります。

実の父は金丸筑前守ですが、旧今川家臣で

武田海賊衆でもある土屋貞綱の養子になり、

土屋の姓に変わりました。

土屋昌恒さんの子(土屋忠直)は後に徳川家康

気に入られ上総国久留里藩主になります。

武田家に最後まで忠誠を尽くした父昌恒さんの

忠義の姿は敵味方を魅了したのですね。

その土屋昌恒さんが最後に使えたのが勝頼公!!

勝頼公一行が織田軍に行く手を遮られ

田野の郷に戻るまで敵を引きつけるために

土屋昌恒さんが狭い道を選びそこで片手に

藤蔓を掴んでもう一方の手で刀を掴み

寄せ来る敵を片っ端から崖下の日川に落とし、

下の日川が三日間血で染まったといいます。

鬼神の如く刀を振るい敵の進軍を抑え何十人も

切伏せた事から「片手千人切り」の異名が

ついたんだと思います。

この場所まで景徳院から歩いて24分くらい

かかりました。
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下の日川を覗いて見るとかなりの急な断崖!!

戦国時代の当時の道はかなり狭いと思うので、

下に落とされたら命はありません。

この場所で蔓に掴まって刀を振り回してたと思うと、

敵の立場だと恐ろしいと思います。
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このあと土屋昌恒さんは奮戦しますが、さすがに

動きまわれば体力もなくなり、最後は主君の

いる場所で死にたいと思い勝頼公のいる

田野の郷まで戻ることになります。

私も歩いて最後の地景徳院まで戻りますよ!

 

景徳院の勝頼公墓所にお墓参り


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景徳院の近くには勝頼公と信勝公の親子の首が

洗われたという池があります。

首実検の前に誰の首か確かめてよく洗い髪をとかし

化粧を施すらしいです。身分によっては乗せて運ぶ

台も変わってきて、首実検をするときは武装した

兵士が側で待機して大将首の奪還を阻止したり、

これは迷信でしょうが首が飛んでくるとも

言われていました。


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では景徳院の中に入って行きましょう!

景徳院は武田勝頼公一行を供養するために

徳川家康が建立したお寺です。

武田家が滅んだ後に武田の家臣は

このお寺の建立を知り、徳川家康公に

いっそう忠義を尽くしたとも言われています。

山門まで歩いて来る途中神聖な空気を体中

感じ、身が引き締まる思いでした。

 

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この山門の手前を右に曲がって進んでいくと

勝頼公(37)、信勝公(16)、北条夫人(19)の

辞世の句があります。

最後の最後まで裏切りにあった勝頼公でしたが、

北条夫人だけは何とか実家のある小田原に

逃がそうとしますが、北条夫人はそれを拒否し

ひたすら愛する夫と共に最後をとげたいと

付従い、見事な最後をとげる事になります。

私はこのお話を聞いたとき勝頼公が

いかに日頃から優しい人だったのか、

その光景を思い浮かべると素晴らしい夫婦愛に

感動いたしました。

 

北条夫人の辞世の句

「黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき

 思いに消える 露の玉の緒」

勝頼公の辞世の句

「おぼろなる 月もほのかに雲かすみ

 晴れて行方の 西の山野の端」

信勝公の辞世の句

「あだに見よ 誰も嵐の桜花 咲き散るほどの

 春の夜の夢」
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墓所には3基の石塔があり、
勝頼公のお墓は中央で右側が北条夫人で

左側が信勝公です。

ここまで無事来れたことに感謝して、お線香を

お供えしてご冥福をお祈りいたしました。


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お墓の前には甲将殿があり勝頼公や北条夫人や

信勝公の坐像がおいてあります。

立派な建物で歴史を感じました。


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甲将殿の前方には自害した生涯石があり、
生涯石の松の下で信勝公に楯無の鎧を着せ

武田家の当主を継がせました。

このあと自害し名門甲斐武田氏はここに滅亡

することになります。

もし織田と武田の血を受け継いだ信勝公が

何事もなく武田家の当主になっていたら、

どんな歴史になっていたかと思うと胸熱くなるものが

ありました。(信勝公の母親は美濃国衆の遠山直廉の

娘で織田信長の養女です。)

この生涯石近くの細い階段を中腹まで降りていくと

首のない没頭地蔵尊があり、ここには元々

武田勝頼公や北条夫人や信勝公の遺体が葬られて

いたらしいです。

景徳院の入り口近くからも上がって行く階段が

あるので、こちらからも行ってみてください。


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それでは勝頼公に別れを告げ甲斐大和の駅に

戻るとしましょう!

駅まで歩いて40分近くかかりますが、

頑張りましょうね。

途中の分かれ道で道の駅甲斐大和

行けるようでしたら、地元で採れたウラジロを使った

ウラジロまんじゅうなど売っているので、

買ってみると良いですよ(^^)/美味しいですし、

よもぎ餅みたいで食べやすいです。

ここで昼食をとっていくのも良いですね。

何とか甲斐大和駅近くに戻ってみると鉄の柵に

描かれた武者の絵を発見!

出発するとき見忘れてました(^_^;)

地元の歴史が身近に感じられる

工夫がされていて、勝頼公が地元の人達に

愛されているのがよくわかりますね。


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4月後半には武田勝頼公祭りも行われていたり

勝頼公の遺徳を偲びその霊をなぐさめて、

武田家の最後の歴史を伝えるお祭りに

なっています。

お祭りには一般公募で選ばれた鎧兜を身に着けた

勇ましい武者の行列が見れるので、オススメです!

会場では地域の特産品を使った出店なども

あるので、食べながらその場の雰囲気を体験し

楽しみながら参加しましょう。

会場にはパイプ椅子もあるので、ゆっくり

座りながら見ることもできますよ。

私が一つアドバイスするとしたら4月ですが

日の光がけっこう強かったりするので、

帽子や暑さ対策もした方が良いかもしれません(^^)


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武田勝頼公祭りプログラム表参照

 

毎年勝頼公とその一族の供養も兼ねて

勝頼公祭りに来たり、景徳院に行き

お線香を供える事でより武田の歴史を知り、

勝頼公が好きになっていくのがわかります。

また来年も無事来れることを祈り、

甲斐大和の地を後にしたいと思います(^_^)



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↑因みに自販機で買った冷やし甘酒飲んでます!

 暑い日は熱中症対策で良いですよ〜

 

武田勝頼公最後の地を訪れる      おわり

次回までごきげんよう