ユキスナの歴史散歩

戦国史跡巡りが好きで色々な場所を訪れては写真を撮ったりしています。その中で面白い事や場所やお土産とか気がついたことを記事にしていきたいと思います。歴史散歩の中ではカエルとして登場するのでよろしくお願いします。

信玄公に会いに武田神社へ 後編

こんにちは(^_^)/やっと後編にきました。

前回は主郭から西曲輪まで巡って行きましたが、

今回は大手門近くにある三日月堀があったとされる

場所や、御隠居曲輪や稲荷曲輪や味噌曲輪跡地に

行ってみたいと思います。

 

 

 

大手門近くに眠る武田築城技術の丸馬出し

 

大手門近くで発見された武田築城技術で

造られた三日月堀は、三日月のように丸くおおう

形をした堀であり、内側に土塁がある丸馬出しです。

全長30m、幅4〜5mで深さ2.5mです。

この武田式の丸馬出しは信濃や西上野や駿河など

武田の支配領地の城によく見られたり、

勝頼公が韮崎に築城した新府城にも用いられて

いました。

特に信濃の上田に拠点を置く真田氏は、

この丸馬出しよく活用していて、

大阪の陣では真田信繁(幸村)が真田丸を造るときに

防御の一つとして取り入れられました。

 

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現在の大手石塁は武田氏滅亡後豊臣時代か

徳川時代に三日月堀の上に造られたものです。

再現されているのが武田氏の

丸馬出しではないですが、だいたい当時の様子が

わかって良いですね。


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大手石塁の南側には厩(うまや)跡などもあり、

当時の様子が伺える貴重な史跡となっております。

戦国時代の馬は現在のサラブレットのような

馬ではなく、ポニーのような小さな馬で

パワーがありました。

武田軍がよく乗っていたのが甲斐馬や木曽馬であり、

山岳戦を得意とする武田軍にとっては最も最適な

馬でした。

当時の人の身長もそれほど高くなかったので、

小さな馬でもちょうどよかったのかも知れませんね。

(例、木曽馬は140数cm.人は157cm)

武田軍といえば長篠の戦いでも有名な騎馬隊ですが、

実際の騎馬隊はそれほど多くはなかったみたいです。

機動力を活かした戦術で戦場を的確に移動し

敵に攻撃を仕掛けて、戦を有利な状況に

していくのが得意だったから敵にも恐れられたと

思います。特に信玄公の指示が各部隊長にきちんと

伝わって動けたからこそ武田軍の騎馬は強いという

印象が強かったのかと思いますね。


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大手東側には総堀と土塁で囲まれた東曲輪があり、

東曲輪に入る部分は2箇所あり北側と南側に

土橋があり、北側の方は虎口があり、

南側の下の方には門があります。

現在の総堀の部分には蓮が咲いていて

7月中旬頃には見頃になっています。

蓮池の愛称で親しまれてるみたいですね(^_^)


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土塁の上に登ることができるので、

東側曲輪全体を見回すことができます。

やはり大手門の防御は固く北と南側の土橋から

侵攻しても、入ってすぐに三日月堀の馬出しが

目の前に現れて、立ち止まったところに

弓矢や鉄砲で攻撃されてしまう。

敵がひるんだすきに馬出しから兵を出撃させると

一網打尽にできるし、なかなか突破できないはずです。


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東曲輪後方の龍華池展望見晴台からは

東曲輪全体の様子と信玄公の愛した甲府の

城下町の様子が良くわかりますね。

展望見晴台まで上がっていくのに階段が

けっこう急なので、気おつけてくださいね。

 

◆案内板参照

 

躑躅ヶ崎館北側守備の曲輪


では今度は東側曲輪から躑躅ヶ崎館の北側にある

曲輪跡に向かいたいと思います。

大手門に入らず右側の道を進んでいくと、

まず最初に御隠居曲輪が現れます。

御隠居曲輪には信玄公の母親である大井夫人が

住んでいました。

夫である信虎公が駿河に追放された後は

ここでゆっくり過ごしていたのですかね。

この御隠居曲輪の西側には梅の木が咲いており、

当時の大井夫人も眺めていたのかなと

想像してました(^_^)

 


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御隠居曲輪から主郭に行く途中には馬出しがあり、

その後ろには虎口も存在します。

御隠居曲輪の隣の方の曲輪は名前がわかって

いませんが、主郭の北側に位置してる以上

重要な場所なのは確かでしょう。

ここから少し下がると少し小さな稲荷曲輪が

存在します。

御隠居曲輪と味噌曲輪の前には馬出しがあるのに

名無しの曲輪の前にはないので稲荷曲輪を

築くことで、防御力を高めたのですかね。


↓稲荷曲輪に向かう階段
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そして味噌曲輪の方に移動していくと発掘の跡地が

見えてきました。

味噌という名前の通り食糧や味噌などが貯蔵されて

いたのですかね。

敵が食料庫がここにあると知っていれば、

集中攻撃をするだろうと考えて、

馬出しを作り防御を厚くしたのだと思います。

味噌曲輪は他の曲輪より広いスペースがあり、

馬出しも存在しているので、ここに敵が

なだれ込んできても弓矢で集中攻撃をうけて

討ち取られてしまいます。

それでも何とか馬出しを突破してもその先に

西曲輪につながる北側虎口がありそこで

四方から攻撃を受け終わりです(¯―¯٥)

後方の山の向こうには要害山という山城も

あったので、挟み撃ちすることも可能ですね。

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実際に味噌曲輪から西曲輪を通り豊臣時代に、

新しく造られた梅翁曲輪(ばいおう)に向かいます。

西曲輪の南虎口近くから見た主郭と西曲輪の間の

水堀でございます。

今は木が生い茂って見えにくいですが、

確認できますね。

 

↓左側が西曲輪で右側が主郭です。
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梅翁曲輪近くには戦国期に埋葬された馬の骨が

出土した場所もあり、実際に発見された全身骨格の

馬の骨は信玄ミュージアムで見ることができますので

是非ご覧ください。

南虎口を出るところにも馬出しがあったと

思われ、西曲輪の南側の防御も万全です。

それでも武田氏が滅亡したあとに豊臣氏が、

より防御を高めるために拡張したのが

梅翁曲輪なのです。

梅翁曲輪の守りも固く周りを松木堀で囲み

敵が曲輪内に入ってきたら取り外し可能な

木橋をとり、防御をよりいっそう固めて

反撃の機会をうかがっていたんですね。

 

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主郭〜西曲輪〜東曲輪〜御隠居曲輪〜稲荷曲輪

〜味噌曲輪〜梅翁曲輪と軽く見ていきましたが、

武田神社(躑躅ヶ崎館)は気軽に巡れる歴史的な

史跡であり、地域の人々に愛され親しまれている

場所なので、皆様も是非訪れてみては

いかがでしょうか(^_^)

 

 

お土産と美味しいスイーツ

 

武田神社を散策したあとに寄りたいお土産屋さんは

かぶと屋さんです。

武田神社の目の前にあり、信玄公の関連グッツや

山梨のお土産で有名な信玄餅も買えます。

中でも最近の私の一押しのお土産が

LEDで七色に光る信玄公の像です!

夜寝る前にお部屋に置いて眺めてみると、

癒やされますよ(^_^)

その他にも良いお土産が色々あるので、

是非行ってみてください!


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そしてかぶと屋さんで食べられる信玄ソフトや

ぶどうソフトもオススメです。

信玄ソフトはきな粉と黒蜜がかかっていて、

とても美味しいですし、近くにベンチも

あるので座りながらゆっくり食べられます。

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まとめ

これまで武田神社を巡ってきてわかったのが、

信玄公は民衆や家臣を大事にする事を第一に

考えており、立派な高い強固な城よりも

人と人との繋がりこそ最も強い城になると

信じて甲斐国を統治していたのがよくわかりました。

甲斐国に生涯お城を築かなかったのがその証ですね。

人々もそういう信玄公の姿を見ていたからこそ、

日々安心して暮らしてきたのだと思います。

信玄公も言っていたように人々こそ石垣や堀や土塁で

あり、他のどの城より強いのです。

どんなに強固な城を築いても人々の心が離れていき

支持されなければ、意味がないのです。

少なからず信玄公が存命の時は、敵に一度も

甲斐国への侵攻を許さなかったのは事実です。

今現在でも山梨県の人々の心の中に

信玄公が生き続けているのがよくわかって、

本当に訪れて良かったと思います。

それでは今回の歴史散策のお話はこれで

終わりにしたいと思います(^_^)/

長々とお付き合い下さりありがとうございます!

次回の記事に乞うご期待でございます。

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編   おわり

 

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編

こんにちはこんばんはユキスナでございます(^_^)/

前回は信玄ミュージアムに行って武田家の歴史や

信玄公の生涯の軌跡を映像や展示物で学び、

いよいよ今回は武田神社(躑躅ヶ崎館)に実際に

行ってみようと思います。

 

 

信玄公のお住い訪問

 

武田通りをまっすぐ行くと信玄公のお住まいであった

武田神社(躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた)があり、

信玄ミュージアムからはすぐ近くです。

武田神社前にはかぶとやというお土産屋さんもあり、

信玄公のグッツを買うには最適ですね(^^)

戦国の時代ではこちらから主郭に入るのではなく、

右側の方にある大手門から入ることになります。

今回はそのまま鳥居のある出入り口から

入りますね。

 

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堀にかかる赤い橋を渡ると武田神社全体がわかる

案内板が見えてきます。

躑躅ヶ崎館は武田三代でも知られる

武田信玄公•武田信虎公•武田勝頼公が政治を行った

甲斐の国の中心地であります。

信虎公が躑躅ヶ崎館を建て府中に町を築き

政治的土台を作り、子である信玄公と孫である

勝頼公が引き続き館として利用しますが、

信玄公亡きあと勝頼公は韮崎の方に堅固な

新府城を築き政治の中心を移すことになります。

しかし城が完成する前に織田軍が甲斐国に

侵攻しやむおえず城に火を放ち燃え落ちて

しまいました。

信玄公は

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 

 仇は敵なり」という言葉を大事にしていたように

無理に躑躅ヶ崎館から人と金を費やして

急いで大きな城を作るよりも、

長引く戦で疲れていた民衆の気持ちに少しでも

寄り添う事が出来たならば、

また違う結果があったのではないかと

思ってしまいます。

しみじみと感慨深く色々考えて案内板の

館の全体図を見てしまいましたが、

とりあえず先に進んでいきましょう。

 


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鳥居をくぐって行くと左側に甲陽武能殿があり

主に能楽などが開催されております。

武田信玄公祭りなどの時は、三味線の演奏など

鑑賞できたり日本の文化に触れることができます。

戦国時代の武士は文武両道であり、

日頃から舞もたしなんでいたと思うので、

荒々しい時代の中にも華やかな日常を

忘れない心がけが感じられます。

 

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甲陽武能殿から歩いてすぐ、武田神社の本殿に

たどり着きます。

武田神社ができる前は主郭に信玄公の石祠(せきし)が

建てられていましたが、大正8年に神社として

創建されるようになり、今日まで山梨の人々に

愛され親しまれる場所になったのは信玄公の

甲斐の国を想う気持ちが強かったからと、

人々もまた信玄公を尊敬し誇りに想っているからこそ

他に類をみないような特別な場所になったのだと

思います。

この場所で信玄公が政務を行い歴史的な戦の

最終的な決断を下してきたと思うと、感動で

いっぱいでございます。

本殿近くには社務所があり御城印と御朱印も

販売されています(^^)/

 

↓武田神社と信玄ミュージアムの御城印です。
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本殿に参拝してから右側の方にある宝物殿に

行きたいと思います。

 

宝物殿は

       大人1名(高校生以上)小人(小•中学生)

個人     300円1名     150円1名

団体(30名以上)240円1名                     120円1名

入館時間 9:30〜16:00

休館日 毎週水曜日

宝物殿の中では武田信玄公が使っていた軍扇や

武田二十四将図や風林火山で知られる孫氏の旗が

展示されています。他にも歴史的な貴重な物を

見ることができるので是非訪れて自分の目で

確かめてみてください(^^)


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ではちょっと戻って武田水琴窟(すいきんくつ)と

姫の井戸にも行ってみましょう。

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武田水琴窟は江戸期の文化文政の時代に庭師が

作ったもので、土中に小さな穴の空いたカメを埋め

そのカメの穴にわずかに水を流すと、穴から水滴が

カメの底に落ちて反響する音が、琴の音に

聴こえることから水琴窟と呼ばれるらしいですね。

竹筒に耳を近づけ聴いてみるとピチャンッという

何とも癒やされる音が聴こえますよ。


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武田水琴窟の近くには姫の井戸があり、

信玄公の姫君が誕生した時に産湯として

使われたり、京からのお客様が来たときなど

茶の湯として出しては、おもてなししました。

井戸の近くからは茶釜なども発見されており、

宝物殿などで展示されているので是非

ご覧ください。

井戸の水は毎年検査しているので

飲料水としても飲めますが、持ち帰って

飲んだりその場で飲む場合は自己責任との事です。


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◆武田水琴窟案内板参照

◆姫の井戸案内板参照


姫の井戸から西曲輪の方へ移動しますと、

土塁のような所に信玄公500年記念の数字が

設置されていました。

地元の方々が手作りしたランタンで夜には

ライトアップされていたらしいですね。

残念ながら2021年の11月7日までで

ライトアップは見れないみたいです。


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信虎公時代の躑躅ヶ崎館は神社の本殿がある

主郭のみで、こちらの西曲輪や味噌曲輪や稲荷曲輪や

隠居曲輪は信玄公時代に拡張して作られた

みたいです。

徳川時代に主郭の方に造られた天守台は今は

立入禁止となっていて、遠くから見えるくらいです。

北枡形虎口土塁の上から主郭の方を見てみると

石垣のようなものが確認できます。

そして西曲輪は信玄公の嫡男である義信公と

今川義元公の姫君との婚儀あとに

新居として使われていて、北側には北枡形虎口があり

敵の侵入をこんなにさせる武田築城術の技法が

用意られており、虎口石積みも確認できます。

味噌曲輪への土橋あたりから一列でなだれ込み

敵がここまで来た瞬間四方から矢の雨が降り注いで

一網打尽で討ち取られてしまいますね(^_^;)

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南側にも南枡形虎口があり、こちらも用意には

攻めることはできません。

虎口の近くの土塁上から全体がよくわかるので

是非確認してみてください。


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信玄公が統治していた時は一度も領内に敵の

侵攻を許さなかったので、躑躅ヶ崎館での戦闘は

なかったと思われます。しかし信玄公の父親である

信虎公の時代に危機が訪れます。

今川軍の大将である福島正成が1万以上の

大軍を率いて甲斐の国に侵攻し、躑躅ヶ崎館の西方に

布陣して戦となりました。

この時武田軍は2000の兵で向かい幾度となく

戦闘を繰り返し、福島正成は武田方の士気が

下がるのを辛抱強く待っていましたが、

信虎公は夜襲をかけて敵将を次々と討ち

取りました。

その勝利を機に今川軍を甲斐国から一掃する

事ができたのです。

武田家の存亡の危機と躑躅ヶ崎館を戦禍に

さらさぬようにと必死に戦った信虎公と甲州武士の

強さがわかりますね。

ちなみにこの戦の最中に晴信(信玄公)が生まれました。

それでは主郭と西曲輪と見てきましたが、

次は外側の他の曲輪や武田丸馬出や堀など

見ていきたいと思いますが、

続きは後編になります。

 

信玄公に会いに武田神社へ 中編   おわり

 

信玄公に会いに武田神社へ 後編へ続く

 

次回もお楽しみに(^_^)/

 

 

 

信玄公に会いに武田神社へ 前編

こんにちは(^_^)/信玄公生誕500年の記念すべき年に

山梨県甲府市の武田神社と信玄ミュージアムに

行ってみます!

 

信玄ミュージアムに行ってみよう!!

 

 

甲府駅までのアクセス

 

電車の場合

東京方面

特急電車でお越しの方はJR中央線で

新宿駅〜甲府駅まで1時間30分です。

長野方面

松本駅〜甲府駅までJR中央線の特急電車で

1時間です。

静岡方面

静岡駅〜甲府駅まで身延線で2時間20分です。

 

高速バスの場合

新宿バスターミナル新宿〜甲府線で2時間10分甲府着

静岡駅前静岡〜竜王•甲府線で2時間30分甲府着

名古屋駅名古屋〜竜王•甲府線で4時間甲府着

大阪(あべの橋)京都•大阪〜甲府線で9時間甲府着

 

東京から特急電車に乗ること1時間30分で

甲府駅に到着!!

改札でて右側の北口方向に行くと

信玄公生誕500年を記念して無料の展示が見れます。

「信玄公生誕の地、甲府展」

会期は2020年12月20日〜2022年1月31日までなので

この機会に訪れてみてはいかがでしょう(^^)

信玄ミュージアムに行く前に武田氏の事を軽く

学んでから行くと、より楽しくなりますよ。

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それでは信玄公の像に挨拶してから、

武田神社(躑躅ヶ崎館)に行ってみましょう。

信玄公の像は甲府駅南口の方にあり、

信虎公の像は甲府駅北口の方にあります。

甲府駅から武田神社まで徒歩で行くと約30分
かかります。

武田神社方面にバスで行くと甲府駅北口2番

乗り場から10分くらいで着きます。

バス賃は片道230円です。


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今回は徒歩で向かいたいと思います。

甲府駅北口を出た道をまっすぐ進んでいくと

武田通りなので、当時の様子を思い浮かべながら

歩いて行くのも良いですね。

通り沿いには武田二十四将の御屋敷跡が

あったであろう場所に、案内板が設置されています。

ゆっくり歩きながら武田軍の強さの象徴である

武田家臣団の事をよく知ることができ

わかりやすく書いてあるので、ありがたいですね。

他にも武田通りからは信玄公の正室である

三条夫人のお墓がある円光院に行けたり父親である

信虎公の菩提寺大泉寺にも行けますし、

信玄公が亡くなった時に仮埋葬のため火葬した

場所である信玄火葬塚もあります。

信玄火葬塚の近くには武田家が滅亡したあと

織田信長が甲州に派遣した家臣である河尻秀隆の

首塚があります。

河尻秀隆は暴政を行い、織田信長が本能寺で

討ち取られたあとに蜂起した甲斐国の大衆に殺されて

しまいました。

信玄公が火葬された場所の近くに敵方の武将の

首塚があるのも驚きですね。

 

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そしていよいよ武田通りをまっすぐ進んで右側に

信玄ミュージアムが見えてきます(^^)/

この施設は2019年4月5日(金)にオープンしたので

綺麗な施設ですね。

開館時間 午前9時〜午後5時

休館日は 火曜日 12月29日〜31日

観覧料は

    一般   高校生以下(障害手帳お持ちの方) 

個人  300円  無料 

団体(20人以上)240円

駐車場は武田神社参拝者用スペースに利用可です。

他にも2箇所駐車場があるみたいです。


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館内は入ってすぐの所に総合案内所があり、

少し進むと無料展示室にその先に有料展示室が

あります。

入口にある信玄公のイラストが勇ましく

格好良いですね(^^)


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無料展示室では甲府の城下町の紹介や

躑躅ヶ崎館の全体がわかる模型案内に、

甲斐の国を代々統治してきた武田三代の歴史など

わかりやすくパネルに書かれています。

他にも武田氏が滅んだあとの甲斐の国を統治した

武将なども紹介されています。

もっと詳しく知りたい方は有料特別展示室に

行かれてみてください。

こちらの展示室は最終の入館時間は4時30分です。

そしてここでは御城印も入手できますが、

有料入館したあとに希望者全員に無料配布

しているらしいです。

御城印だけもらうことはできないらしいです。

あくまでも有料で入って欲しい人には配る

形ですかね。

信玄公生誕記念の数量限定御城印も

あったらしいですが、1521枚限定だったので

私が行ったときはもうなかったですね(¯―¯٥)残念

1521枚という枚数にも意味があるらしく

信玄公が生誕した年が1521年だったので、

西暦の枚数だけ配布されたのですね。

それでも通常版が配布されているので是非

訪れた際はゲットしてみてください!


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有料特別展示室では今までの甲斐の国の統治の

年票などが展示されていて、

歴史の流れがよくわかります。

躑躅ヶ崎館から出土したお皿や敷地内から

全国初発見された全身の馬の骨など

貴重な展示物が見れますよ。

馬の骨はよく調べると普通の農耕馬とかではなく、

良い食べ物を食べていたと思われる筋肉質で立派な

体格の馬で、大将クラスの人物が乗っていたと

思われます。もしかして信玄公が乗っていたかも

しれませんね(^_^)そう思うと本当に凄い!

時を超えて私達の目の前に現れてくれたことは

感激の一言です。

そして展示場の奥に行くと映像と音楽で

甲斐の国の歴史から始まり、信玄公が生誕してから

国を強く統治していく過程などわかりやすく

解説して教えてくれるので、ずっと観ていたい

気持ちになります。この映像を観てから実際に

武田神社に行って当時の様子を肌で感じながら

敷地を散策するとより武田家の歴史を学ぶことが

できますね。

では旧堀田古城園へ行ってみましょう。

有料展示室を出て右側の方に進むと、

旧堀田古城園の主屋、長屋棟、離れ3棟があり、

主屋は休憩室や講座を開いて学習したりできる

みたいです。

離れは茶室としても活用されてます。

この旧堀田古城園は元々割烹料亭として作られた

らしいですね。

昭和初期の建築様式としても価値のある建物なので

こちらもご覧ください。

何か木造建築の風合いが人に優しい感じがして

私は好きですね(^_^)

館内を見学してるとお腹も空いてくると思いますが、

そんなときは長屋棟で飲食もとれる

蕎麦•cafe由布姫さんに寄ってみてはいかがでしょうか


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メニューには武田三代の名前が入ったお蕎麦や

うどんにラーメンがあり、あの三国同盟を結んだ

今川義元公のラーメンや信玄公の永遠のライバルで

ある上杉謙信公ラーメンもあるので、本当に歴史

好きにはたまらないですね。

他にもデザートには桔梗信玄ソフトや

桔梗信玄餅生ロールとコーヒーのスイーツセットなど

少し休んで甘いもの欲しい人にも嬉しい

カフェメニューもあります。

営業時間は平日10:00〜15:00土日祝10:00〜17:00

定休日は火曜日で祝日の場合はその翌日で

臨時閉館休館の場合も有ります。


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お蕎麦•カフェメニュー

❖信玄肉玉そば・うどん770円(上段一番左)

❖信虎エビ天玉そば・うどん870円(上段左から二番目)

❖勝頼とろろ昆布玉子そば・うどん590円(下段左)

❖勘助カレーそば・うどん820円(下段左から二番目)

❖由布姫とろろ季節の麩そば・うどん770円(下段右)

❖謙信あごだしラーメン610円(上段一番右)

❖義元コーン味噌ラーメン750円(下段右から二番目)

 

❖コーヒー&スイーツセット540円

    (桔梗信玄餅生ロール)

❖桔梗信玄ソフト510円

❖黒蜜きな粉タピオカ510円

❖黒蜜抹茶タピオカ530円

❖黒蜜きな粉ラテ340円

❖黒蜜抹茶ラテ340円

❖コーヒー360円❖紅茶360円❖ココア360円

❖甘酒330円❖生クリームトッピング50円

❖ザ・プレミアム•モルツ560円(ビール)

価格は税込みでございます。

入口入ってすぐの所で食券を買って、右側の

渡し口まで持っていってください。

※現在コロナ対策で名前と都道府県記入を

 求められるので、ちゃんと記入してくださいね。

食券を渡したら音で用意完了を教えてくれる

タイマーもらうので、それを持って店内か

テラス席いずれか自分の好きな場所で

待っていましょう。

急にブザーがなるので少しビックリするかも(汗)

ちなみに私は勝頼とろろ昆布玉子そば•うどん注文

して外のテラス席を選びました(^^♪

玉子は半熟気味でとろろ昆布と混ぜて麺に

絡めて食べれば最高に美味しいです。

そば•うどんと書いてあるとおりに両方の麺が

入ってる感じで2度美味しい感じですよ。


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綺麗に完食してお腹いっぱいになったところで、

食器を渡し口に持っていき

いざ武田神社の方へ移動します!っとその前に

蕎麦•cafe由布姫さんの近くには

お土産処の桔梗信玄さんもあり、

信玄公生誕500年の記念に関連した

お土産も販売されているので、

こちらも注目でございます。

あとこちらでは兜をかぶって記念撮影できる

体験が500円でできるので旅の思い出に

是非体験してみてください。

 

この続きは信玄公に会いに甲府へ中編に続きます。

 

 

信玄公に会いに甲府へ前編     おわり

次回もお楽しみに(^_^)/

 

◆お土産処桔梗信玄さんや兜体験の写真を

 撮り忘れたので、次回訪れた時にまた

 追加して記事に載せたいと思います。
 

 

 

 

 

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初出掲載:2021年11月18日

のんびり散歩 神奈川県津久井城 後編

こんにちは〜(^^)/ユキスナです!

いよいよ津久井城散歩後編に突入しますよ。

今回は根小屋地区のパークセンターに

行ってから、北根小屋に向かい花の苑地に

戻りたいと思います。

 

 

 

パークセンターで津久井城の歴史を学ぶ

 

本城曲輪から根本登山道から降りていき

津久井城主内藤氏の居館跡があった

御屋敷広場に行ってみましょう。

御屋敷広場の上(馬場)の展望台からは

丹沢の景色が見れて綺麗ですよ。

ここからは三増合戦の伝承にもある

場所も望めます。

•石ヶ沢の槍小僧

 津久井城を牽制するのに人形に槍を持たせて

 並べたと伝わる場所

•信玄もろこし

 信玄公は津久井城の内藤勢を脅すため

 金原付近のもろこしの穂に提灯を取り付け

 たそうです。穂に結ばれた提灯の重さで

 首がもたげ茎には兵の血もついていました。

 それ以来牛の飼料用として作られる

 赤い穂のもろこしを信玄もろこしと

 言うそうです。

他にもこの地には信玄公に関係する伝承が

残されているみたいですね。

そしてこの地において武田軍の戦による

影響が大きかったのがよくわかります。

三増峠の戦いの時に武田軍は津久井城からの

援軍を阻止するため小幡信貞と加藤景忠が

津久井城の近くで牽制していました。

ここからの眺めは武田軍の動向がよく

わかります。

 

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ではその下の御屋敷跡に戻りますね。

ここは城主である内藤氏の屋敷があり

けっこう広い場所です。

いざ戦となった場合は上の詰城に登って

戦いに備えるのですね。

今は芝生が広がる静かな場所でありますが、

戦国時代はいつ敵が来るかわからない

なか緊張感を持って、生活していたで

あろう事が想像できます。


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さらに下の方に行くと牢屋の沢が見えてきます。

自然の堀になっていて御屋敷を守っていました。

江戸時代では陣屋の水牢としても使われており、

沢の二又になっているところに牢を作り罪人を

閉じ込めていたらしいです。




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牢屋の沢をこえて江戸時代に陣屋があった

場所に行ってみましょう。

陣屋とは裁判所、市役所などの役目をはたす

場所であり、先程の牢屋の沢の水牢も活用されて

たのがわかりますね。

 

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何気にこういうのが置いてあると、

この場所が甲斐国と相模国の国境近く

だということがわかって

面白いですよね。

 

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パークセンターに入る入口も風情があって

良いです♪
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パークセンターでは津久井の自然や歴史など

学べる場所があり、体験することもできます。


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展示スペースでは津久井城のジオラマ模型が

置いてあり、山城全体の様子がよくわかるように

なっています。

ジオラマの近くには津久井城の歴史や北条氏との

繋がりなど、よくわかる内容の資料が並べてあり

気軽に見ることができます。

鎧などのレプリカも展示されており、

刀や火縄銃などは手に持って重さを体感することが

できますよ(^_^)/

是非パークセンターに訪れた際は刀や火縄銃の

重さを体感し、戦国の世に思いを馳せてみましょう。



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それではパークセンターから北根小屋地区に

行って、花の苑地方面に戻りますね。

戻る途中にデッキ園路から津久井城の竪堀など

見やすくなってるので、是非よってみてください。

 

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園路から見ると竪堀の様子がよくわかりますね。

今は草木が多く見えにくいですが、私の想像では

しっかりとした強固な堀が頭に浮かんでます。

敵が攻めるには苦労しそうですね。

 

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根本登山道近くに案内板があるので現在地を

確認してみましょう。

城山散策絵図などのガイドマップも箱の中に

おいてあるので持ってない人はもらっていくと

便利ですよ。

 

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さらに進んでいくと道をショートカットできる

下に降りる階段があります。


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そちらに向かわず左手の方の道に行くと

展望台に行けるので、周り道になってしまいますが

展望台からの素敵な景色を見ていくのを

オススメします。


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展望台からは北根小屋地区と津久井湖が見えます。

湖畔を見ながらゆっくり飲み物飲んだり休憩

するには最適ですね。


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展望台近くの道からは本城曲輪のあたりが

よく見えます。

あそこからここまでよく歩いたなと

自分で自分をほめたりして^_^;

さらに進んでいくと湖畔展望園路があり

こちらにも展望台があります。


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ここまで来ると花の苑地までもう少しですよ(^_^)

園路沿いには綺麗なトイレなどもあり、

休めるベンチもあって嬉しいですね。

こういうところに来ると何気に座るところが

多くあるのはありがたいですよね。

歳を重ねると、そのありがたみが余計に

わかります。


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この近くには小網登山道があってこちらは

ちょっと険しい登山道になってるみたいです。

興味がある方は是非チャレンジしてみてください。

そして園路を歩いていくと山側に城山御林の

江川ヒノキの説明板が見えてきます。

江川ヒノキは江戸時代に森林保護の目的で

代官の江川太郎左衛門が植林したことから、

江川ヒノキと呼ばれるよになりました。

江戸時代から植林してくれたおかげで

現在でも元気に成長し人々を見守ってくれて

いるのですね。

 



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ここをすぎればもう花の苑地!!

登ったり下ったり色々大変でしたが、

何とか津久井城攻略です(^_^;)

まだ行けていない場所もありますが、

また機会があれば訪れて記事に追加していきたいと

思います。

 

 

まとめ

 

この津久井という場所は甲斐国と相模国との国境に

隣接した難しい立場の場所にあり

どちらの国にも影響をあたえる重要な

所だったというのは間違いないです。

武田軍と北条軍の三増合戦などの大戦を

乗り越えてきた津久井城は

豊臣秀吉の小田原合戦により

豊臣方の徳川の兵に取り囲まれ大規模合戦は

なかったにせよ、落城することになります。

小田原城に籠城していた津久井城主の内藤直行は

戦が終わったあと北条氏直とともに高野山に

行ったとされています。

城主不在の津久井城で戦っていた内藤綱秀は

その行方がしれないとされていますが、

最後まで北条方として戦った津久井衆の

意地を見せたのは間違いないと思います。

 

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↑北条の家紋の木の板は水の苑地の入口あたりに

 置いてありました。

 

 

津久井城のお土産!!

 

何とか津久井城のグッツを探していたのですが、

最初に観光センターに行ってみたら

御城印はあったのですが、これといった

津久井城のグッツがおいてなかったので、

パークセンターに行ってみたら

内藤氏の家紋が描かれた手拭いがあったので

購入しました(^_^)

ガイドブックも600円で販売されているので

より詳しく津久井城の事を知りたい方は

オススメです。


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◆津久井湖城山公園案内板参考

◆津久井湖城山公園ガイドブック参考

 

注、津久井城の登山道の中には急峻で危険な

  場所もあるので軽装備で登る方は

  注意が必要です。

  特に鷹射場から小倉方面の十兵衛山に

  行く途中の男坂女坂は軽装備では

  危険ですので注意してください。

 

 

のんびり散歩 神奈川県津久井城 後編   おわり

 

また次回の記事でお会いしましょう(^^)/

のんびり散歩 神奈川県津久井城 中編

皆様こんにちは(^^)/ユキスナです。

では津久井城のんびり散歩中編に行来ますよ〜

あくまでもユルユル歴史散歩なので、

へぇーこんなとこあるんだ!

行けたら行ってみたいな〜と思えるくらいに

軽い気持ちで見ていただけたら嬉しいです。

 

 

武田軍VS北条軍の三増峠の戦いで武田軍勝利!

 

前回は三増峠の戦いについて少し触れましたが、

三増峠の戦いとは甲斐の武田信玄が相模の北条の

城である小田原城を攻めたあと、城下に火を放ち

甲斐に引き上げる際におこった戦いです。

籠城している敵を誘い出すため

無理に攻めなかったのかもしれませんね。

(因みに上杉謙信が10万の軍勢でも落とせなかった

堅城でもあります。)

三増峠の戦いにおいて津久井城は北条方の城で

武田軍を背後から急襲する位置にあり、

滝山城北条氏照(子)、鉢形城の氏邦(子)の2万の軍を

援護するには重要な場所にありました。

小田原城からも氏康(父)と氏政(子)が出撃し

挟み撃ちできると画策していたのですが、

武田信玄はその動きをいち早く察知して、

別働隊の小幡信貞と加藤景忠らを津久井城に向かわせ

敵が援軍に向かうのを阻止しました。

この時津久井城にいた北条方の将は内藤景豊です。

結局山の高い位置に陣をはった武田軍は

優位な展開に持ち込み、逆に武田軍の有力武将である

山形昌景隊が挟み打つ形に持ち込み、北条軍に

勝利します。(山形昌景は赤備えでも有名です。)

北条軍の援軍である

氏康と氏政が到着する前に決着がついてしまったので、

両者は小田原城に引き返すことになります。

この戦いで両軍合わせて4000人もの死者を

出しました。普通なら追われる立場になると

怖い気持ちになりますが、さすが信玄公の軍略ですね。

 

 

飯縄曲輪からの本城曲輪まで

 

それでは飯縄曲輪群に行ってみましょう。

飯縄曲輪には飯縄権現を祀っている神社があり、

飯縄権現不動明王の化身で軍神として

戦国の武将に好かれていました。

後北条氏飯縄権現の信仰場所である高尾山を

庇護しており、津久井城でも軍神の力を

授かりたいと神社を創建したのだと思います。

元々この山は天狗山とも呼ばれてたらしく、

昔天狗でも住んでいたのかなと想像したりして

歴史ロマンを感じてみるのも楽しいですね。

 

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この飯縄曲輪の北側には津久井城のシンボル的

存在の樹齢900年の大杉があったのですが、

2013年の夏の落雷により焼失してしまいました(TT)

今では大杉の一部が見られます。


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飯縄曲輪を進んでいくと、太鼓曲輪

と本城曲輪の間にある堀切と引橋があった

場所があります。


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堀切は一度落ちたら這い上がるのに苦労しそうな

ほどの急峻な溝であり、攻めるのも大変です。

今では草木が生い茂って見通し悪いですが、

戦国時代では周りもよく見渡せて、今の堀よりも

若干深かったと思われます。

堀切には取り外し可能な引橋がかけられていて

敵が来たら、橋を収納して侵攻を防いでいたと

思われます。

本城曲輪の手前の太鼓曲輪はしゃもじ型に削られた

場所にあり、飯縄曲輪からの敵に備えるために

東側を土塁で固めてあります。

太鼓曲輪の東側にある細い道を下の方に

降りていくと、家老屋敷跡にも行きます。

 

↓本城曲輪に向かう途中の堀切です。

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本城曲輪の近くの昔で言えば、

米曲輪跡に案内板が設置されており、

当時の様子が伺えますね。

 

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米曲輪近くには土蔵跡地があり、

ここに戦に必要な物資が置かれていたのですかね。

引橋を渡らなければ土蔵にたどり着けないので、

本当に重要な場所だったのがわかりますね。

 

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それでは最後の砦である本城曲輪に

行ってみましょう。

本城曲輪のある場所は結構広く

より多くの兵士で守ることができます。

今では木々が周りに目立ちますが、見通しを

良くするため伐採して、頂上からも敵の様子が

よくわかるようにしていたんですね。


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本城曲輪には江戸時代に家臣の子孫が

建立した津久井古城記碑があります。

ちょっと影になって見えにくいですかね^_^;

 

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ここから少し降りた米曲輪辺りに案内板が

あるので、津久井城全体の位置と今いる場所を

確認しながら、次行く場所を効率よく周りましょう。


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その前に何だかんだ恒例になりつつある

トイレチェックです。

津久井城の米曲輪を花の苑地方向に

進んでいくと、トイレがあるので今のうちに

済ませておきましょう。

こういう所に行くと急にお手洗いに

行きたくなる事があるので、

助かることが多いです。

下に降りればトイレはあるのですが

間に合わない場合もありますからね^_^;

歳を重ねると余計にありがたいと思います。

春はこの場所からみる津久井湖の紅葉や桜も

素敵ですよ。

 

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戦国時代でも紅葉綺麗だったのかなと

思いつつ、本城曲輪から山をおりていき

根小屋地区のパークセンターに行ってみます(^_^)

下る途中には津久井城址碑もみられますよ。

私は山城に登るときは攻める気持ちで、

山城から降りるときは城方の兵の気持ちになり、

守りながら攻める気持ちでいつも訪れています。

皆様も戦国時代に思いを馳せて

歩いてると、また一つ違う発見をするかも

しれませんよ。


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津久井城案内板参考

 

❖馬込•小倉地区の十兵衛山方面の記事は

 また訪れたとき追記していきたいと思います。

 本城曲輪•米曲輪•太鼓曲輪なども新たな

 写真を載せていければ良いと思っています。

 

 

のんびり散歩 神奈川県津久井城 後編へつづく

のんびり散歩 神奈川県津久井城 前編

こんにちは!ユキスナです(^^)/
今回は神奈川県相模原市津久井湖城山公園に、 
のんびり散歩してきました。
その地域の歴史を知らない人でも、公園として
整備されてるので楽しめますよ。
津久井城の上まで登っていく方は、
トレッキングシューズのような足元が
滑らないような靴を、はいて行くほうが
良いです。


津久井城跡の烽火台跡(鐘撞堂)へ


公園アクセス
JR横浜線 相模線 京王線橋本駅へ行き、
橋本駅北口一番のりば神奈川中央交通バスで
花の苑地「三ヶ木(中野経由)」行きバス(01系統)
    「津久井湖観光センター前」下車1分
バス乗車時間17分でパスモ利用可320円です。

水の苑地(えんち)に行かれる方は城山高校前で
おりて徒歩3分、根小屋地区に行かれる方は
観光センター下車徒歩20分です。


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バスを降りたあと昼食をとりたいと思う方は、
近くにそば処花のさとさんがあるので
食べてみてください。
色々な種類のお蕎麦やうどんがあります。
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観光センターの中にはお土産やお弁当や
地元のパンなども売っており、景色の良い
外のテーブル付きベンチで食べるのも
美味しいですよ。
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花の苑地というだけあって公園内は
お花が綺麗に咲いております(^_^)
私は秋に行ったのですが他の季節も
訪れてみたくなりました。


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公園内は芝生広場があり家族連れで
ゆったりまったりするには良いですね♪


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それではお昼を青空の下で美味しく食べたら
いざ、城攻めに行きますよ!
観光センター裏の方にある築井公園橋を
渡り荒川登山道から攻略して行きたいと
思います。
登山口には津久井城の散策ガイドマップが
置かれているので、手にとって見て回るのが
良いですよ(^_^)/
⚠現在令和元年の台風被害により
荒川登山道は通行止めになっています。
新しい情報を随時チェックしてお出かけください
(因みに私は通行止めになる前に行来ました)
それでは軽く津久井城の事を説明しますと、
この津久井城は鎌倉時代三浦半島の一帯を
支配していた三浦一族が築城したとも
言われていますが、はっきりとしたことは
まだわかっていません。
戦国時代になってくると、津久井城主に
内藤氏の名前が出てきます。
元々は扇谷上杉氏や鎌倉公方足利氏の
国人衆として存在感を出してましたが、
後北条氏がどんどん勢力を増して
北相模まで迫ってきたことから、
内藤氏は後北条氏に従うことになります。
その後津久井城は小田原城の支城として、
隣接する甲斐武田氏の脅威に備えるため
国境付近を守る役目を担っていきます。


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道幅がだんだん狭くなってくるので、
足元気おつけて進んでください。

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歩いていてもわかりますが
戦国時代城攻めするのに
北側から急な斜面登って行こうとしても
かなり難儀しそうです(・・;


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花の苑地から行きやすい登山道では
ありますが、やはり地面も枯れ葉が
あったり石でデコボコしてる所もあり
足場が悪い部分もあるので、
トレッキングポールなどでサポートしながら
登って行くのが無理なく行けるし、
疲れも軽減でき下山の時も足が楽です。


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もうすでに私はこの時点で息が
上がってました(^_^;)
日頃からの運動不足を思いしらされます💦
戦国時代の足軽として攻めていたら
本丸にたどり着く前にへばって、
返り討ちになりますね。

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ここから少し岩場が多くなり足元が
危なくないように、鎖の手すりが
設置されているので滑らないように
十分気おつけて通ってください。
ここを通り過ぎると、津久井城の
水の手(井戸)の一つである宝ヶ池が
見えてきます(^_^)
他にも本城曲輪の北側と御屋敷跡にも
存在しており、津久井城は籠城の際は
水が不足するという不安はなかった
みたいですね。
ここの宝ヶ池は水が濁っていることから
城兵が刀を研いでいたともいわれてます。
やはり戦のときは水は必要不可欠ですからね
大事にされていたことが、良くわかります。
もし武田軍が攻めるならば金堀衆などで
水源を断とうとするのかなと、想像を
巡らしたりして楽しんでました。
(金堀衆は武田軍の工作部隊のような存在です)

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宝ヶ池を後にしてどんどん進んで行きましょう!
少し歩くと鷹射場と飯縄曲輪どちらに行くか
案内板が見えてきます。

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飯縄曲輪の方にある烽火台があったとされる
場所に行ってみましょう。
鐘撞堂(かねつきどう)ともいわれてる
らしいです。どちらも情報伝達の
手段としては最適ですね。
夜や雨の日は烽火台が使えないので、
鐘や法螺貝の音でしらせる
らしいです。
この鐘撞堂には伝承が残っており、
望郷の鐘(上野原の伝承)
戦国時代上野原の大倉地区の要害山に
鐘撞堂(かねつきどう)があって、
凄い美しい鐘の音が山々に
響いていたそうです。
後北条氏が上野原に攻め入った際
戦利品として津久井城に持ち帰ったは良いが
何度鐘をついても、
「ゴォーン オークラ オークラ」と
響いていたそうです。
故郷に帰りたかったんですかね(T_T)
何度ついてもかわらなかったので、
打ち砕いて新しくしたものの
また同じ音が響くので、
さすがに祟りを恐れ功雲寺附近の池に沈めて
しまったといいます。悲しいですね(T_T)
返してあげればよかったのに…
(上野原町紙より参照)

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↑三増峠方向
そして烽火台の方はというと津久井城は
相模平野や武蔵野台地や三増峠や八王子城
など四方を見渡せる最適な支城であり、
何かあれば烽火台ですぐに連絡を
とれる状態にありました。


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↑鷹射場からの景色

西側に烽火台が多いのはやはり、
隣国の甲斐武田家の動向に備えるためで
あります。
近隣の味方の山城とも連携して
敵が攻めてくるのを見張っていたんですね。
この地域での大きな戦といえば
三増峠の戦いですが、この続きは
中編に続きます〜(^^)/


のんびり散歩 神奈川県津久井城 前編 おわり


              中編につづく